2017年9月19日のブックマーク (2件)

  • 「好き」というのは世界を広げる言葉。

    ところで私は陶磁器が好きだ。 好きと言っても、別に詳しい訳ではない。全然ない。 製造工程も通りいっぺんにしか知らないし、ブランドも瀬戸焼と伊万里とマイセンとロイヤルコペンハーゲンと景徳鎮くらいしか知らない。自宅にずらっとローゼンタールの皿が並んでいる、という訳でも無論ない。 ただ、店先で綺麗な陶磁器を見つけると綺麗だなーと思って暫く眺めたり、時には陶磁器展に行って何時間かぼーっと陶器を眺めたり。 ふと町中で見つけた店で、色合いが気に入った陶器を見つけて、あれこれ悩んだ末に買って帰ったり、買わずに帰ったり。 そういう、子どもが綺麗な貝殻を「好き」というのと同じ類の「好き」だ。 たまーに旅先で、土産物屋に綺麗なお皿があると、しばらく眺める。たまに買う。 こういうのがあるので、私は土産物屋にふらっと入るのを楽しみにしている。琉球ガラスみたいなガラス器も好きなので、陶磁器を含む、器一般が好きなの

    「好き」というのは世界を広げる言葉。
    hitomishiriman
    hitomishiriman 2017/09/19
    こういう「好きマウンティング」があらゆる可能性を潰すんだよなぁ。
  • 「学校が嫌だったら逃げてもいいんだよ」というメッセージは美しい。でもその後、子供はどうなるの?

    夏休み明けの9月1日は、子どもの自殺が増える。 SNSやウェブニュースでは、そんな子どもに向けて「逃げてもいいんだよ」というメッセージが踊っていた。 たしかに、自殺を考えるほど追い詰められている子どもがいるのであれば、「逃げる」という選択肢を与えることは大切だ。 「不登校だったがいまは社会人としてちゃんと働いている」 「学校以外にも居場所はあるはずだ」 こういったメッセージがまちがっているとは思わない。 だが、それだけで終わっていいのだろうか。 「正しい」メッセージは美しいが…… 「学校へ行かなかったがどうにかなった」例はたしかに、いま現在追い詰められている子どもに勇気を与えるかもしれない。 だがその反面、義務教育で身につけるべき教養を学ばずに大人になるという不利な面や、高校を中退したあと大学進学まで苦労した人の体験談などにまで触れている人は少ない。 学校に居場所がなく、助けを求めている子

    「学校が嫌だったら逃げてもいいんだよ」というメッセージは美しい。でもその後、子供はどうなるの?
    hitomishiriman
    hitomishiriman 2017/09/19
    まだまだ日本では「逃げるのが悪」という印象が強いので、無責任なくらいに言い続けても良いのかなとは思う。まぁその後の経歴の問題は避けられないけど。