漫画家の蛭子能収氏(69)が4日放送のフジテレビ系「かたらふ ~ぼくたちのスタア~」(土曜・後5時)に出演し、漫画家になった原点は、大阪万博に向かわず東京に来たことだと明かした。 【写真】「路線バスの旅」で9年間コンビを組んだ太川陽介と緩~いガッツポーズ 無類のギャンブル好きで知られる蛭子氏。18歳で高校卒業からできるパチンコをしたいために、卒業式からまっすぐにパチンコ店に向かったことや、20歳からできる競艇(現ボートレース)をやるため、20歳の誕生日に競艇場にいたことなどを語った。 長崎で高校を卒業してから地元の看板屋に就職。仕事の内容がつらくても、生活をしていくためやめるにやめられなかった。しかし22歳の時、大阪で行われている万国博覧会を見に行きたいと休みをもらい、大阪に寄らずにそのまま東京に来てしまったという。 上京後は職を転々としていたが、月刊漫画誌「ガロ」に原稿を送ったとこ
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