2012年5月12日のブックマーク (4件)

  • 国の騒音甘受主張 まるで「地上げ屋」だ - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

    社説 国の騒音甘受主張 まるで「地上げ屋」だ2012年5月12日  Tweet 嘉手納基地周辺に暮らし続ける人々に対して、国による移転補償費を受け取る権利を行使せず、別の場所にも転居しない住民に対し「航空機騒音の影響を、自ら甘受すべきものであるといえる」と言い放った。札束をちらつかせたどう喝としか思えない。  10日に那覇地裁沖縄支部であった第3次嘉手納爆音訴訟の第3回弁論の場で国側が準備書面に記した主張のことだ。まるで「地上げ屋」の言葉ではないか。バブル景気の時代に強引な手法と高値を提示して地主から土地を買い占めた人々との区別がつかない。 来は生命と生活の安全を保障されるべき国民に対し、「地上げ屋」まがいの国の態度はあまりに理不尽だ。 なぜ基地の騒音に苦しんでいる実情を訴えると「甘受せよ」という言葉を投げ掛けられないといけないのか。なぜ国土面積のわずか0・6%の沖縄に在日米軍専用施

  • 人工呼吸器:厚労省、外部電源バッテリーを保険適用に- 毎日jp(毎日新聞)

    筋萎縮性側索硬化症(ALS)など難病の在宅患者にとって欠かすことができない人工呼吸器の外部電源バッテリーについて、厚生労働省が今年度から、費用を保険適用とすることを義務付けた。昨年の東日大震災後の計画停電で、対策が課題となった反省を踏まえた措置。人工呼吸器を使っている在宅患者は全国約1万1300人に上るが、これまでバッテリーが保険適用の対象なのか、不明確だった。全原発が停止し、電力不足が懸念される中、保険医療として明確に位置付け、患者の不安解消を図る。 在宅で人工呼吸器を使っているALSや筋ジストロフィーなどの患者は、停電で電気が途絶えると命に直結する。このため、これらの患者にとっては災害時などには外部バッテリーが必要だ。厚労省在宅医療推進室によると、これまで保険適用の「人工呼吸器加算」には「人工呼吸器」とだけ記され、バッテリーが対象か、個々の医師の判断に委ねられていた。購入費は2万〜3

  • 大阪人権博物館:国際平和センターと統合、近現代史館として一新 府・市が検討- 毎日jp(毎日新聞)

    大阪府・市が補助打ち切りを決めた大阪人権博物館(リバティおおさか、同市浪速区)について、松井一郎知事と橋下徹市長が、大阪国際平和センター(ピースおおさか、同市中央区)と統合し、近現代史全般を紹介する「近現代史博物館」としてリニューアルを求める方向で検討を始めたことが分かった。 両館は府・市が出資する財団法人が運営する。2人はリバティについて、「子どもが夢や希望を描ける展示ではない」とし、年約1億2000万円の補助を全廃する方針を表明していた。 ピースを巡っては、旧日軍による南京大虐殺の展示に対し、大阪維新の会の府議が「自虐的だ」と批判。松井知事も第二次世界大戦中心の展示内容を、明治維新以降の近現代史に見直すよう指示していた。府・市は来年度にもピースを「近現代史博物館」として一新する方針で、リバティの統合時期や方法を検討する。【津久井達、熊谷豪】

    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2012/05/12
    極右が つくる歴史館なんか いらない。気にいらないものを「統合」って、ふざけんな。
  • 『愛とユーモアの社会運動論』【他者性との対話】 - umeten's blog

    愛とユーモアの社会運動論: 末期資主義を生きるためにposted with amazlet at 12.05.03渡邊 太 北大路書房 売り上げランキング: 230358 Amazon.co.jp で詳細を見る 一言で言うと、社会運動論というのは一種の信仰告白なのだということが理解できた。 もはや半分以上人生を投げた身としては、このような不安を「共有」することがあまりできたとはいえない。 かつてあったカウンターカルチャーも、カルチャーなき「カウンター」として形骸化して久しい現在、こののような「夢と希望にあふれた」運動論は、当に必要とされているのかさえ、疑問に感じられた。 もちろん、それは私自身の「閉じた」思考からの視点であって、著者には何か別の開かれた光景が見えているのだろう。だが、私とこのとの距離は遠く感じられた。 いつだってそうなのだ。 あの震災でさえ、「たかが災害ごとき」と感

    『愛とユーモアの社会運動論』【他者性との対話】 - umeten's blog
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2012/05/12
    "「とにかく集まれ」と著者はいう。対して私はやはり、「集まれない」者はどうするのかと考える。 「ユーモアと笑いは重要である」と著者はいう。それでもやはり、ユーモアと笑いは困難な課題として残る。"