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東浩紀に関するhiyokoyaのブックマーク (6)

  • 純文学的『ゲーム的リアリズムの誕生』評 - 感情レヴュー

    ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/03/16メディア: 新書購入: 34人 クリック: 461回この商品を含むブログ (462件) を見る東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』の特筆すべき点は、社会学者としての東浩紀と文芸批評家としての東浩紀が分業しているところであろう。 彼は作品分析に関して、「物語的主題」(何が語られているか)を追うのではなく、「構造的主題」(どのように語っているか)を追わねばならないとくり返し述べているが、それは書に関しても当てはまる。つまり、東氏は一々注釈していないが、書の読解はこの分業を構造的に区分しながら読むことが必要とされるのである*1。 どちらかといえば、社会学者としての東浩紀が勝っていた前著の『動物化するポストモダン』を読む感覚で

  • 純文学におけるエンターテイメントの影響を概説して、東浩紀著『ゲーム的リアリズムの誕生』を論じる : 感情レヴュー

    承前*1 リアルな世界よりもフィクションの世界の方にある種のリアリティーを見出すというか、創作上の可能性を見出した純文学最初の世代が、新感覚派以降、横光利一とかあのあたりだったというのは文学史的に妥当な線だろう。当時は、とりわけ相対性理論などの科学的言説が作家のテキストにしばしば登場したり、創作に影響を与えたりしたわけだが(川端のようにオカルトに流れる作家もちらほら)、そののちにも、たとえば60年代の日SFの勃興期に、三島由紀夫や安部公房なんかがSFの虚構を前提にした世界観に純文学の可能性を見出している。 横光は「機械」で、一人称視点を通して主観(に支えられた文学形式)というものがいかにあやふやでフィクショナルなものかを追求したし、三島は『美しい星』で、「UFOを見た私は宇宙人だ!」というSF的誇大妄想の狂言がひたすら肯定される(つまり、絶対にツッコミを入れない)叙述を通して、常識が通る

  • 現代批評の一分(2) - 感情レヴュー

    純文学をしていると、「東浩紀は文学をわかっちゃいない」という物言いをする人にしばしば出会う。口にしなくとも、彼の話を話題にすると、「ラノベのあれでしょ」的な我関せずの(まあそれはそれで妥当性のある)反応をして話は先に進まない。 今月号の「新潮」にて「小説と評論の環境問題」と題する討論の模様が掲載されていて、高橋源一郎と田中和生にくわえ、東浩紀が参加しているのだが、東氏に挑みかかる田中氏の発言からは、そのような純文学サイドの苛立ちを感じ取れた。ライトノベルを評価することはべつにかまわないが、純文学を軽視しすぎているという苛立ちだ。 その軽視は、たとえば、東氏が純文学の定義を「自然主義的リアリズム」として一括するところに求められる。僕としては、東氏のそのような定義を、べつに大文字の文学とか純文学に崇高な(ジャンルの存立)根拠を見出しているわけではなく、単に事実問題として粗雑だと思っている。 た

    現代批評の一分(2) - 感情レヴュー
    hiyokoya
    hiyokoya 2008/02/23
    言葉の経済性に関して、期待されるべき見識についてフォローした記事。ただ、批評あるいは論文的なものの書き手でなければレトリックのことはもっとわかりやすく言わないと通じないかもなあ。
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000365.html

    hiyokoya
    hiyokoya 2008/01/30
    オタク産業白書の対象は未見ですが、1800億円は算出の仕方も。06年よりゲーム産業の伸びは1800億どころじゃなくすごいですが、あれは非オタ層取り込みだからなぁ…。「金の話だから」指摘は、議論の位相分け必要やも。
  • PCの死の一回性(動物化するポストモダン2を読んで) - ブレーキをかけながらアクセルを踏み込む

    ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者: 東浩紀出版社/メーカー: 講談社発売日: 2007/03/16メディア: 新書購入: 34人 クリック: 461回この商品を含むブログ (462件) を見る さて…TRPG分は? 動物化するポストモダン2は紅茶さんはTRPG分を期待して読んでも楽しくないと書いてますけど*1、僕はそうは思いませんでした。TRPGではゲーム的な部分と物語的な部分が常にせめぎあっており、書の内容はゲームをしているプレイヤーと物語の中にいるキャラクターの分離の問題に何かしらの示唆を与えるのでないでしょうか。 ハンドアウトなどを使ったセッションを予定調和と感じる場合というのは、PCの活躍はどんどん派手になっているのに、それを演じているPLが楽しくないという状況です。美少女ゲームのような感情移入の方法をTRPGで行うのは難しいと思います

    hiyokoya
    hiyokoya 2007/03/23
    この指摘は出ると思った。物語の複数性を確保することで一回性を成立させる制度としてのTRPG、とリセットという複数性の中で立ち現れる一回性の話は違う、という指摘。
  • ひぐらしのなく頃に

    hiyokoya
    hiyokoya 2007/03/09
    閉域(繰り返される日常=悪夢)からの脱出方法が、メタフィクション的にメタレベルに向かうものではなくて、なんというか、ゲーム世界からプレイヤー世界に移行するような感じへと変わっている
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