ゲームを学術的に考えるにあたって、自己完結型(独りよがりの域を出ない)の体験を語ることが差し控えられなければならないということはわかるけれども、そのスタイルでどうして、「プレイヤーという存在」というテーマについて学術的に考えることができるのだろう? というジレンマを、僕は無視できないでいるのです。 http://d.hatena.ne.jp/tsukimori/20060808 クリティカルな話だと思うのでリンク。 前にRGNを主催されてる井上さん(id:hiyokoya)や先日発表されてた茂内さん(id:AYS)や他何名の方々かと夕食をご一緒させていただいたときに、「ゲームを学問で取り込もうとしたら<アート>みたいな形でしか取り込めないでしょう」て不遜にも放言したことがあります。海の向こうのゲーム研究者やゲーム開発者がゲームについて語ると「ゲームはアートだ」と言いがち*1、という話を受け