cakesに連載している書評の、五木寛之『風に吹かれて』の回(参照・後編)で、テーマに近いながらも、あえて扱わなかった話があり、書かなくてもよいのだけど、なんとなく気になるので書いておきたい。 扱わなかったのには理由があった。一つは、版によっては関連の章が掲載されていないことだ。もう一つはメッセージの受け取りが難しいことだ。 風に吹かれて (角川文庫) 五木寛之自選文庫 エッセイシリーズ cakesの連載書評には、「新しい古典」と通しタイトルがあるように、これからの時代で新しい古典として読まれそうな書籍を扱っているが、古典であることの条件の一つは、読み継がれることだ。そして「読み継がれる」というのは多くの場合、いくつか異なる版の存在を意味する。 そこでまず、初版・初出と現在流布している版の比較が重要になる。『風に吹かれて』についても、いくつかの版を検討したところ、ごく基本的なレベルで、掲載
Redditで話題になっていたポストを訳してみた。 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかったという高校生の独白にたいしてつけられたこのちょっと長めの返信がとても的確で示唆に富んでおり、多くの人のこころをつかんでいました。私自身、勇気づけられるというか身につまされるところがあり、忘れないために翻訳をしてみました。 まずは高校生の独白から。 僕は自分が思っていたほどは頭がよくなかった 僕はいま高校の最終学年で、次の6月に卒業する予定です。高校の成績は、いままでずっとAを取りつづけていましたが、去年始めてBをとってしまいました。もしそのBがなければ、卒業生総代に選ばれていたでしょう。 総代にふさわしいのは自分だ、つまりクラスで本当に一番頭がいいのは自分だと思いたいです。でもこの一年で、僕にそれほどの知性はないし、僕より頭のいい人はたくさんいるんだということを思い知らされました。 また僕は、自分
オカルトチックにならず、宗教的・妄信的にならず、日常的な感覚でどうやって『死』を理解できるのか?ということが、ずっと疑問でした。スタンフォード大学客員教授であり宗教学が専門であった岸本英夫は、ガンにより余命半年の可能性を告げられ「死」を見つめていきます。最も興味深いのは宗教学者であった著者が、「死後の世界」の存在を否定した上で死の淵に立つ選択をしたということです。本エントリーでは、彼の『死を見つめる心』を紹介します。 岸本英夫 - Wikipedia 死とは何か? 死は、突然にやってくる。思いがけない時にやってくる。いや、むしろ、死は、突然にしかやって来ないといってもよい。いつ来ても、その当事者は、突然に来たとしか感じないのである。生きることに安心しきっている心には、死に対する用意が、何もできていないからである。 1954年アメリカ滞在中に岸本英夫は、首の左、あごの下にできたしこりを検査し
2012-11-19 諦めと傲慢 http://d.hatena.ne.jp/Yashio/20121116/1353088610 こちら。 さすがにこの状況は気まずいので、なんか書こうかなあと思ったんですが、家に帰って座った瞬間、ほんとなんもやる気しなくなり、さらに頭のなかにあったこともみんな消えてしまったので、いったい昨日の自分がなにを書こうとしていたのか、もうわかりません。 どうしようかなあ、どんな切り口がいいかなあと思って、たまたま夜勤で一緒にいたうちの奥さまにリンク先のテキストを読んでもらって、感想を聞いて、それを話の枕にしようと思ったら「できる人は最初からできるし、そうじゃない人はできない」って言われてそれで終わったので、枕にもなにもならず困りました。 結局リンク先の人がいうような違いとかって、目的意識の差だよなあ、あとはやっぱ感受性の違い。目の前に与えられた材料をおもしろいと
内向的な人が秘めている力 (TEDTalks) Susan Cain / 青木靖 訳 2012年3月 9歳の時初めてサマーキャンプに参加しました。母はスーツケースいっぱいに本を詰め込んでくれましたが、私にとってはごく普通のことでした。私の家では読書が主たるグループ活動だったからです。非社交的だと思うかもしれませんが、私たちにとってはそれが一種の交流方法だったのです。家族が揃っていて、人の温かみを感じながら、同時に心の中の冒険の国を自由に飛び回ることができるのです。キャンプではそれと同じことを大がかりにするんだろうと思っていました。(笑) 10人の女の子が山小屋でお揃いのパジャマを着て一緒に読書するのを想像していました。(笑) でもキャンプはむしろアルコール抜きのビヤパーティに近いものでした。キャンプ初日にリーダーの人が私たちを集めてチアを教えました。キャンプの精神を再確認するためこれから毎
成功する人は自分の利益になりそうな人を尊重する。利益になりそうな人というのは、つい地位や名声、頭の良さ、ルックスで決めがちだが、さりげなく物や知識をくれる人と医者のこと(徒然草を読むべし)。 「大きなミスをしでかした部下は公平に接する」「仲間はずれにされている社員と公平に接する」。恩とか考えずやっかいな人間関係は公平を基本とする。 失敗と成功は結果論なので、結果論から議論するのは無駄だなと、目先のことを優先する。 小さなアイデアが大切なのではなく、アイデアを自分の継続的な仕事に育てられるか、人を巻き込める説得力があるかが重要。 成功する人には面白い人が多い。面白い人になるには、天性が必要なので真似して惨めなピエロにならないように。 時間を15分単位で使うと、多くの時間を無駄にしてきたのがわかり、いらいらが募る。時間の有効活用はその時間の質を見極めて選択するほうがいい。 これといった特技がな
東日本大震災が起きた「3・11」を境に、いろいろなものが確実に変わり始めている。とりわけ電力不足という緊急事態は、家庭生活にも、働き方にも、大きく影響を及ぼしている。 私自身、埼玉県熊谷市で驚異的な最高気温が出た日、「この一押しで停電が起きたら」と思うと、冷房を入れる勇気が持てず(これを勇気と言うかどうかは別として)、近所のカフェにパソコン片手に避難した。原稿に集中する時は、本と資料に囲まれた狭い仕事部屋にこもるのが日常だったのに、熱さに耐えきれずにカフェに“出勤”したのだ。 労務行政研究所によれば、節電対策のため「所定外労働の削減」を行っている企業は66%、「サマータイム(始業・終業時間の繰り上げ)の実施」は52%で、5割以上の企業が、自宅勤務や休日の増加といった「働かせ方」の見直しも行っているという(東京電力、東北電力管内の195社を対象に2011年4月に実施)。 あれだけ「エコだ!
縁起でもないですが、あなたがもし今クビになったばかりだとしたら、きっとパニック状態でしょう。新しい仕事を探す必要はあるけれど、そうするには落ち着きを取り戻してクビになったという憂鬱感から抜け出さなければなりません。 投資家で本も出しているJames Altucher氏は、失業から起きるストレスに苦しんでいたり、自尊心の傷ついた人がすぐにすべき10個の事柄を紹介しています。 Altucher氏はある時、会社の社長に呼ばれ「君との契約は終了した、もう来なくていいよ」と通告されました。 「今とりかかっている仕事があるので、あと数日、それが終わるまで働いてもいいですか?」と尋ねたのですが、社長は「ダメだ、すぐに出て行ってくれ」と言いました。金髪で青い目、いかついアゴをした50代ぐらいのロバート・レッドフォード似の社長は、その後なんと笑顔を見せたのです。 Altucher氏の記憶はそこで途切れていま
自分への問いかけ。 と解答。 「基礎は無意識に落としこむほど反復してこそ、本当の土台となる。」 「基礎は常に更新、あるいは再構築されるものである。」 以下本文。 高校生を応援するNHKの番組「テストの花道」みて 早稲田先進理工学部で、 その他いろんな薬学部にも合格もらった人の 勉強法が面白かったです。 問題集への取り組み方 学校で配られた問題集で、 「例題」→「練習問題」→「演習問題」 と普通は順番に理解し解いていくところ、 「例題」のみひたすら繰り返す! 「練習問題」「演習問題」には手をつけない。 え? それだけ? というか、例題だけ覚えても練習やら応用やら、 やらないとダメなんじゃないの? と、思ったんですが、 どうも受験対策に買った物も「基礎英文法」と「単語帳」だけで、 後は授業の復習や、学校のプリント、問題集のみ。 結局応用問題には最期まで手を付けなかったそうです。 (そんなんで薬
丹埜倫 @rontanno 「あれほど」が何を指すのか分かり兼ねますが、僕は小学校教育だと思いますね。イギリスの全寮制から小6で日本の公立小学校に転校したときの衝撃は忘れません。同一性を重んずるという意味では、正直カルトに近いものを感じました。@daijapan なぜ日本人は偏りをあれほど嫌うのか 2010-12-15 02:00:50 爲末大 Dai Tamesue 熟達論発売中 @daijapan 偏ってないってことは誰かと替えがきく存在になるって事だと思うんですけどね RT @RonTanno: 「あれほど」が何を指すのか分かり兼ねますが、僕は小学校教育だと思いますね。イギリスの全寮制から小6で日本の公立小学校に転校したときの衝撃は忘れません。同一性を重んずるという意味で 2010-12-15 02:12:24 丹埜倫 @rontanno 全くその通り。同一性が求められる単純作業は今
このエントリーのイメージテーマソング 『マリリン・モンロー・ノー・リターン』野坂昭如 啓蒙の話ではありません 町内会長の男性(62)は「説明もないまま突然ケアホームを隣に建てられると、土地を買った若い住民の人生が台無しになる。彼らを守るため、どうしても阻止する」と主張する。 http://www.ehime-np.co.jp/news/local/20101208/news20101208221.html これは人権意識の低さ、無知、因襲、啓蒙の不十分さの話ではないと思います。 これは今まさに起きはじめ、あらわになりつつある話、これからの話ではないでしょうか。 自殺の国に生きる若い君たちへ - 関内関外日記 もう、気づいたでしょうか。君らが放り込まれたこの状況というのは、沈みかけた船で救命艇を奪い合う、まさにそんなときなのです。あるいは、大飢饉におそわれたり、遭難したりして、食料が底をつき
「どうもーはじめまして」 「はじめまして」 「今日は、生きる目的というインタビューです!あなたの生きる目的はなんですか?」 「目的、ですよね」 「そうそう。何のために生きるとか、生きがいとか、これがあるから生きているとか、漠然としていてもいいです」 「そのテーマなんですけど、それを聞いたときからよく考えてみたんです」 「そんな難しく考えなくていいよ?簡単に、生きていてこれが楽しいとか そんなでもいいから」 「はい」 「では、あなたが生きる目的はなんですか?」 「恐怖です。」 「恐怖?」 「そう、恐怖です。」 「生きる目的が恐怖?」 「はい」 「どういうこと?」 「はい、私の人生を振り返ってみると、私の行動原理が全てにおいて、恐怖を根底においていました。ですから「生きる理由は?」と聞かれたら 「恐いから」としか答えようがありません。恐いから。 恐さからの退き。恐怖からの脱却。恐れからの逃げ。
リア充たちは「友達とカラオケ」なんて学生時代に腐るほど経験してる。 でも私は「夜にカラオケだと!?なんというリア充行為!」って、イイ年してめちゃくちゃテンションが上がる。 「この程度のことでテンション上がるって何w」なんて笑われたけど、関係ない。 バーベキューも、花火大会も、ボーリングも、スノボも、 この歳になって立て続けに初体験して、私はすごく新鮮に感じたし、最高に楽しかった。 あとモテ系の人は「自分がどう思ったか、どう感じたか」っていう個人的な話をよくする傾向にあって、 非モテの人は一般論を語る傾向にあると思う。 可愛い子やイケメンはその時点で価値があるから、その人の「どう感じた」っていう情報にも価値がある。 たとえば可愛い子が「私RAD好きなんだ~」と言うと、 その子を口説きたいと思ってる男は話題を合わせるためにさっそくRADを聴くし、 練習してカラオケで歌って好感度上げることを目論
友だちの家のPCの動作がおかしいというので見にいった。だいぶ古くて起動に十分もかかる状態だったので、さしあたり彼女が必要としているDVDの再生ができるようにクリーンインストールすることにした。 彼女の仕事用の携帯電話が鳴り、彼女は私にことわって出た。はい、いつもお世話になっております。いえいえ、はい、なるほど、担当がそのようなことを申しましたか。 彼女は五分ほど電話で話しつづけた。ほとんどは相槌だった。いろいろな種類の、さまざまな重さの、一定以上の温度を保った相槌だ。彼女はそのあと、仕事にしてはいささか親しげに短く笑って、いいえ、いいんですよ、と言ってから電話を切った。 私はBIOSを確認し、それを覗いた彼女はなんだか怖そうな画面、とつぶやく。怖くないよ、これはWindowsの下に入っているソフトなんだよと私は説明する。 ディスクがかりかりと音をたてて書きこみをはじめる。私は彼女の出してく
イギリスで伝説の広告クリエイター、 故ポール・アーデンの著書にある言葉。 その著書にこんな話がある。 無鉄砲なエリカ 若い頃、彼女はエディほど魅力的な人物ではなかった。 少なくとも、会社員向きではなかった。 職場におけるエリカはやかましくて、周囲をかなりいらつかせた。 それでも仕事に対しては情熱的で、 次から次へと狂ったようなにアイディアを出し続け、 そのおかげでかろうじてクビにはならなかった。 エリカのアイディアの大半は 「現実的ではない」といわれていた。 あまりに大胆すぎるか、あまりにバカバカしかったからである。 ところがある時、社内にいる誰かが、 彼女の野性的なアイディアに目をつけ、それが採用されることになった。 他とは違って新鮮で、目立っていたというのが理由だ。 それから3年間、調子に乗ったエリカは、 立て続けに使えないアイディアを量産する。 彼女はますます周囲をいらつかせることに
Maybe it's a generational thing, but, Mr. Peter Bregman, I feel exactly the same way you do, thank you for writing this. I, too, don't wear electronic devices, while running. I just want to listen to the wind, chirping birds, feeling the sun, enjoying ever-changing scent of flowers and grasses. That way, I can empty my mind. I, too, treasure the quiet moment I spend staring at my daughter. Kids
◆iモード メニューリスト>スポーツ>各種スポーツ>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆Yahoo!ケータイ メニューリスト>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル ◆EZweb EZトップメニュー>カテゴリで探す>スポーツ>サッカー>トップアスリートモバイル>為末大モバイル 人に嫌われるという事は人間が何か好みを持って生きている存在である以上仕方ない事です。誰からも嫌われていない存在というのは、誰からも知られていない存在でない以上、存在する事は難しくなります。 personalityによっても違いますが、例えば人に嫌われる確率が1%だったとしても、10人の中に自分を嫌いになる人が出てくる可能性は低いですが、10000人になるとほぼ必ず誰かには嫌われます。そして嫌われた人のうち、数%は直接言わないと気が済まない人が混じってきます。 これにやられてしま
研究でも、起業でも、社内での新しいプロジェクトでも、新規サービスでも、 何か新しいことを始めようとすると、外野から何かとケチがついたりする。 例えば、私が例の修士論文を書き始めた頃は、MITの先生とかは面白いと肩押ししてくれたのだが、 中には「それ、何が新しいの?そんなの10年前から言われてるよ。やる意味あるの?」と言ってくる学生もいた。 ボストンのような学術の街でもこうなんだな、というのは少し驚きだった。 私が書いたのは、コンサルファームにいるとかで、業界全体を色んな角度から良く見ているひとなら、 一度は考えたことがあるかもしれない、良く見られる業界の現象だった。 しかし、現状ではその現象に名前も付いてないし、メカニズムもちゃんと解明されてないので、ちゃんと研究する意味があると私は思ったわけだ。 で、取り組んだ結果、その分野の最先端にいる何人かの先生に、これは面白いから、修論で終わらせず
大阪東京間を行ったり来たりしていると、地方と都会を実感する。けっこう都会の大阪でそんな感じだから、もっと地方と東京を行き来している方の格差感はいかばかりだろう。 「皆が皆、東京に出てくるのではなく、地方をもっと見直そう」的スローガンはもう何年も前からある。地方の活性化を思えば賛成するし、私自身もまた、出身の大阪で働いてきた。 だが、最近少し地方都市のよくない所が気になりだした。 地方でも生きられる。それは、私のようにぼちぼちずっと仕事を続けていれば、それなりに生きられた。なんせ出身である。実家に頻繁に帰れるし旧知の仲間もいる。隅々まで知り尽くした土地では、ぼちぼち生きられたらけっこう精神的には豊かで充実した日々を過ごすことができる。 仮に仕事ばかりの人生で遠くに住む親の介護や妻にまかせきりの育児など、人生の味わいの堪能できなさを思うと、ワークライフバランスとは、“ぼちぼち働く”なのではない
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く