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2011年7月29日のブックマーク (10件)

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  • 「アサリがあっさり死んだわけ」大澤曉人 豊島区立池袋第三小学校4年(東京都)

  • 「原発の今後に関する簡単な整理」

    今、何かについて発言する場合、「原発をどう考えるか」について自分の立場を明確にしないと十分な意見にならないことが多いように思います。 以下は、原発に関する私の意見を簡単にまとめたものですが、フジテレビの【コンパス】という意見収集サイトの質問を基にしています。このサイトに回答しても、番組で取り上げられることは滅多になく、回答が徒労に終わることが多いのですが、質問に回答する作業は、自分の意見の整理に役立つことがあります。 以下にコンパスへの回答に加筆修正したものを載せます。 ★問1: 日は今後、原子力発電と、どのように向き合うべきと考えますか? 1-<即時廃止>多少の電力不足も受容し、原発を停止させる 2-<段階的廃止>電力不足に配慮し、ゆるやかに原発を停止させる 3-<現状維持>安全管理の基準を見直し、可能なかぎり既存原発を活用 4-<増やす>より安全性の高い炉の導入などで、原子力発電に取

  • 物語の経済学の手書きレジュメ

    これは16日に行われた現代経済思想研究会で配布した手書きのレジュメをネット用に再掲載したもの。 A.物語と「読み手」 (1)のケースは物語と「読み手」のアイデンティティが完全に重なる世界。小松左京の用語でいえば、仮想自己=現実の自己。 上のように(1)のケースでは、完全に重なったまま外部に膨張する性格を有している。この場合は、村上春樹の「クローズド・サーキット」、タイラー・コーエンの「行き過ぎたルール規律型の私」を示す。 (2)と(3)の場合は、(1)を抑制する領域を含めながら、外部にも拡大する領域(村上春樹の「オープン・サーキット」)を含む。 B.人は物語の複数化を経験している(アイデンティティの複数化) 上記は“一人称”の物語空間 ひとつの物語=アイデンティティから空間を通じて、他の物語に向かう力のベクトルが描かれている。 C.一人称の物語と三人称の物語 一人称の物語空間と三人称の物語

    物語の経済学の手書きレジュメ
  • 量的研究と質的研究の連携に向けて - 社会学者の研究メモ

    足の調子が少し悪くてひきこもってます...。しかし手は動く。 筒井が所属する立命館大学人文科学研究所からの助成で、「人文学・社会科学における質的研究と量的研究の連携の可能性」研究会をスタートさせました。さしあたり3年間継続します。研究助成を申請する際に固定メンバーを10人ほど指定していますが、研究会はオープンにする予定ですので、興味のある方はぜひご参加ください。(9月19日に第1回研究会を開催予定。) 特に社会学では、質的研究や質的データを利用したモノグラフ的研究と、計量データを活用した量的研究のあいだでは、ほとんど協力関係もなく、また互いに妙な誤解を抱きあっている部分もありそうです。研究会では、あまり前提を置かずに互いの研究実践の特性に関する理解を深めることを通じて、合理的な「連携」のあり方を模索することが目指されます。 とはいえ議論の「とっかかり」は必要になると考えています。あくまで

    量的研究と質的研究の連携に向けて - 社会学者の研究メモ
  • なぜシャンクスは腕を食われてしまったのか【ワンピース最大の謎の一つ】

    後に四皇になるシャンクスが10年以上前あろう事か東の海で海王類に腕をわれてしまった。一体なぜ? 漫画的演出と言えばそれまでだが考えられる可能性を挙げてみる。 ・その当時のシャンクスは大して強くなかった。 ・近海の主が強かった。 ・間一髪で結果的にああなってしまった。 ・腕をわせてルフィに海の恐ろしさを教えたかった。 当時のシャンクスの強さは白ひげがこう言っている。

  • 2ちゃんねる映画ブログ 【映画】科学者が実証「最も確実に人を泣かせる映画」第1位は「チャンプ」

  • 心理学ありえねえ

    @VOV_283 ハッシュタグつかないかなーと思ってたらつきはじめたwさすがここ☆ろっしゅさんや!RT @cocorosh: 心理学ありえねえ:文献はドイツ語 #心理学ありえねえ

    心理学ありえねえ
  • 心理学あるある

    eulon(雑垢) @paraph_eulon 屋の心理学コーナーを覗いてみると、心理テストはともかくスピリチュアルとか自己啓蒙とかが多くてちょっとイラっとくる。そしてちゃんとしたは何故か工学や社会学など他コーナーで見つかる。 #心理学あるある

    心理学あるある
  • 学者じゃないから御用じゃないヾ( ・∀・ )ノ゙ くねくね科学探検日記

    オレは学者ではないので、御用と呼ばれることもなく。 しかし、オレは今回の福島の事故による放射能汚染については、心の底から全くこれっぱかりも体に害があるとは思っていないのね。 理由は単純で、この現実の歴史の中でもっとも事実に近づくことが可能な広島・長崎の被爆者による徹底的な調査でも、100とか200ミリシーベルト以下は、ノイズに紛れて全く被曝してない人との違いが検出できないってことにつきる。 そんなの、一人の人間のたちばからすれば、認識不可能なことで、事実上害はないことと変わらないってことだ。 今回の事故では、1年間その場所に住み続けると20ミリシーベルト越えちゃう場所はみんな立ち退いているから、100ミリなんて量を被曝する人なんていないわけね。(原発で作業してる人は別)1年住み続けて20に行くような場所の人も、何ヶ月かで立ち退いたので、10ミリまでいく人すらいないと思う。 もちろ