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物語+神話+歴史とブログに関するhongkongKimcheeのブックマーク (6)

  • 「欲望する父」と「抑圧する父」

    最初に断っておきたい。この文章における「父」とは具体的な父親のことではなく、「父性」などのような、象徴的な父のことを指す。 この象徴的父は超自我でもある。象徴的ファルスΦが大文字の他者Aに及ぼす暗喩作用そのものと言ってもいいだろう。超自我は抑圧を役割としているので、これを象徴的父の一つの側面として捉え、「抑圧する父」と呼ぶことにしよう。象徴的父を「一」という固有性に凝縮したのが「父-の-名」である。 男性にとっての象徴的父は、この「抑圧する父」的な側面の印象が強くなるだろう。男性はエディプスコンプレックスを「父の名」による去勢で終焉するからだ。それは、男性の精神世界においては「トラウマ的な」イベントとなる。 しかし、女性は違う。 女性は原抑圧によってエディプスコンプレックス(エレクトラコンプレックス)が始まる。象徴界に参入してから父親を愛するようになる。そこで、象徴的父から与えられた、象徴

    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/06/24
    心理学・精神分析学の観点から象徴的父性について
  • 「消費者」という権力者

    以下は、私が「今の」オタクたちを現実あるいはネットにおいて、精神分析的な視点で観察し続けてきた経験を元に述べている。 オタクたちは、「権力」を連想させるシニフィアンに対しアレルギー的な拒否反応を示す。それは例えば「芸術」だったり「学問」だったり「知」であったり「純文学」であったりする。オカタく自身を抑圧しそうなシニフィアンに対し、面白いほど、被害妄想と言ってよいほど反応する。オタクたちと議論した者なら誰でも経験あるだろう。ただし、向こうから擦り寄ってくる相手にはだらしなく無防備になる。「芸術」や「学問」や「知」や「純文学」というシニフィアンを利用して「オタク」というシニフィアンを肯定あるいは擁護する言述には、その文章に自分たちを同一化させるほど喜んで受け入れる。例えば最近ヨーロッパなどでオタク文化の表現作品が広まりつつあるが、外国人に愛される作品と自分たちを同一化したような言動をする。まる

  • ふたなり・ヤンデレ・ツンデレ・ショタ・百合・やおい等、性的倒錯の構造まとめ - 萌え理論ブログ

    性別を超えた存在としてのふたなり少女 たまごまごごはん - 「アンドロギュノス」と「ふたなり」と「女装少年」の、超えられないカベ。 男性向けの「ふたなり」は、(…)男性に女性器が、ってのはほとんど見ません。 それは、男性に男性器がない表象は、去勢不安として捉えられてしまうからだ。もっと言うと不気味だから流行らない。対して、女性に男性器がある表象は、男女の性の分化を超えた、欠落のない完全な存在として捉えられる。だいたい(全体的に適当な解説なのだが)、後の段でファルスが男性の象徴記号だと自ら述べているだろう。 欠如の記号としてのファルスが全体を代理・表象するというのは、ちょうど貨幣が商品全体を代理・表象するのと同じ構造をしている。商品がそれ自体で使えるモノなのに対して、貨幣は商品と交換できるという共同体の規約がなければ紙切れに過ぎない。 だから、紙幣は実在しても貨幣価値の実体はない*1ように、

    ふたなり・ヤンデレ・ツンデレ・ショタ・百合・やおい等、性的倒錯の構造まとめ - 萌え理論ブログ
  • 萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ

    萌えとロングテール 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前回) ムイミムイミムイミミーちゃんよ!! - ロリコンファル メタ的な快楽的差異だけがあるのだ、無意味万歳って話ですよね…(^^; 作品に物語としての意味を見出すべきだという論説に「メタ的差異の無意味万歳」 という意見を出すのは…、う〜ん、噛み合ってないような……。 「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立 - 絵文録ことのは 世界全体=物語派←→世界の一部である人物=キャラ萌え 人物の全体=キャラ萌え←→人物の一部の特徴=属性萌え こう書いてみると極めて当たり前のことでしかないのだが、視野の広さ、見ている範囲の違いは歴然としているといえよう。 それがですね、萌えは無意味だとか視野が狭い、といった常識的な思考をひっくり返したのが、前のエントリなわけですよ。でも前回ちょっと硬めに書いたら、

    萌えにもロングテールの物語性がある - 萌え理論ブログ
    hongkongKimchee
    hongkongKimchee 2007/06/23
    ・・・「物語派」と「キャラ萌え」と「属性萌え」の対立
  • 図解・キャラ萌えの構造 - 萌え理論ブログ

    図解・キャラ萌えの構造 萌え理論Blog - 萌えにもロングテールの物語性がある(前回) 萌え理論Blog - キャラを通じて作品群をインテグラルに見る読者性=萌え(前々回) この書き方だとサイレントマジョリティーはついてこれない気がする。 図で説明したほうがわかりやすい気がする。 (はてブのコメント) 賛否以前に、そもそも私の主張が十分に理解されていないようなので、改めて解説します。まず最初に図から見てみましょう。 作品の立体像 古典的な基準で優れた作品は、立体的な構造をしています。鑑賞者は何回も作品を鑑賞し、角度を変えて見ることで、作品の異なる面を発見します。人物造形、物語の筋、設定や世界観、文体やタッチなど様々です。さらに、業界人でないと分からない楽屋や舞台の裏面もあることでしょう。 さてここで、もちろん人物も一つの面です。が、人物だけ、さらに特定の人物だけを見ている場合に、文字通り

    図解・キャラ萌えの構造 - 萌え理論ブログ
  • フィーチャーから見る格闘ゲームの歴史 - うさだBlog

    # * 投げ スト2。ガードと同時に導入された対ガード兵器。これが無ければガードしていると永久にダメージをらわないクソゲーになるわけで、非常に重要な存在。しかし当時は格闘ゲームというジャンルが登場して日が浅かった事もあり、この「安定なはずのガードを崩される」事自体を理不尽な現象と捉える人間が多く、さらに投げに行く側のリスクがかなり低かった事、そしてダメージが非常に大きかった事が相まって、打撃で固めて投げに行く事を「卑怯な事である」とする風潮が蔓延、そのせいでガードを崩す手段としては満足に機能しなかった。この風潮はその後もずっと続き、通常投げはリスク上昇とダメージ低下の弱体化を受け続けた。また同時に空中ダッシュ攻撃に代表される高速中段を採用するゲームが増え、そこでは空中ダッシュ攻撃が投げに代わってガードを崩す主要な手段になったため、投げの存在感はさらに薄くなった。投げは現在も多くのゲーム

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