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「消費者」という権力者
以下は、私が「今の」オタクたちを現実あるいはネットにおいて、精神分析的な視点で観察し続けてきた経... 以下は、私が「今の」オタクたちを現実あるいはネットにおいて、精神分析的な視点で観察し続けてきた経験を元に述べている。 オタクたちは、「権力」を連想させるシニフィアンに対しアレルギー的な拒否反応を示す。それは例えば「芸術」だったり「学問」だったり「知」であったり「純文学」であったりする。オカタく自身を抑圧しそうなシニフィアンに対し、面白いほど、被害妄想と言ってよいほど反応する。オタクたちと議論した者なら誰でも経験あるだろう。ただし、向こうから擦り寄ってくる相手にはだらしなく無防備になる。「芸術」や「学問」や「知」や「純文学」というシニフィアンを利用して「オタク」というシニフィアンを肯定あるいは擁護する言述には、その文章に自分たちを同一化させるほど喜んで受け入れる。例えば最近ヨーロッパなどでオタク文化の表現作品が広まりつつあるが、外国人に愛される作品と自分たちを同一化したような言動をする。まる