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絶望に関するhoshimaru1のブックマーク (5)

  • ホールの暗闇に星がでるのをまっている

    三年に進級してすぐ、父が亡くなった。我が家には借金があり、そしてまだ小学六年生の弟がいたこともあって進学を希望していた進路については変更を余儀なくされた。母親は進学しても構わないと言ってくれたが、経済状態を冷静に考えれば現実的な選択ではないのは明らかで、それがわかってしまうと、勉強は落ちついたらできるさと、自分にはそう嘯くよりなかった。 当時、高卒の就職率はあまりいい状態ではなかったが、自分は運よく警備関係の仕事に就くことができた。そこではほとんど休みなく働いた。日勤、夜勤、限界まで仕事をいれた。それだけでは飽き足らず、時間が空いたときは知人の伝でスケジュールの融通がきくアルバイトをしていた。この時期から、自分は空疎になっていった。辛いことも楽しいこともなく、好きだった天体観測もやめていた。ときおり、実家で埃をかぶっているであろう父の形見の天体望遠鏡のことを思い出したが、それ以外は何も考え

    ホールの暗闇に星がでるのをまっている
  • 続きのような話…隠れるということ - finalventの日記

    これの続きっぽい⇒http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050801/1122859862 この手の話はうまく言えないのだが、すでに48歳にもなったせいかときおり思うのだけど、若いころはどうしても抑えられないような衝動というかなんかある。性欲とかも関連するのだろうけど。 で、それって、なんであれ、人とのつながりや人との軋轢を生み出す。当は愛やコミュニケーションが欲しいのだろうけど。 で、それってうまくいかないようにできているような気がする。 うまくいく人もあるのだろうとは思う。なんというか、つがいの鳥のようにきちんとメートを見つけて生きていくような。 ただ、衝動の強い人はただ、周りの人に挫折するだけなのではないか。 さらに言うと、大人というのは、若い人の知恵とか体力とか性的な魅力とか…を、ちゅーっと吸って生きているものなので、ようするに若い人なんて大人の餌で

    続きのような話…隠れるということ - finalventの日記
  • 元うどん

    四十代になってから体力の衰え方の質が変わったと思う。 二十代の頃は夕方でも元気で用事があれば山に突然登り、やりたいことがあれば続けて徹夜していたけど今は当に駄目。机に座って事務作業してると一時間で肩と腰が痛い。背中のコリが繊維ぽい。医療が発達してなかったらここらへんで死ぬという説の55歳も遠くないと感じる。 この体もう駄目では? 服でいえば毛玉だらけで穴あいてない? 社会的な人間としてのやるべきことだけで既に精一杯。運動の習慣もあり事も自炊がほとんどで体重血糖値諸々平均値正常やや貧血なだけのはずなのに。体がもうあかん。 こんなんで平均寿命まで生きれるの? 夕方はすでに眠く帰宅後の風呂の後は家事や家庭の日常生活に必要なタスクを時短課金アイテムとスキルで無理やりこなす。 朝早いのもあるけど、夜型生活をする体力がない。ベッドに転がって文を読むのが一番楽で、ネットのニュースやKindleかなろ

    元うどん
  • quino

    ● 2011.5 サウンドトラックquino ダウンロード版配信開始。→★ ¥900 収益はJCFを通じ福島原発震災被災者へ寄付させていただきます ● 2008.8 8bitスタイルのARPG「The Adventure of quino」公開。 ● 2008.1 quino and the MudRock公開しました。

  • 時は過ぎていく、君は美しい - finalventの日記

    二十五歳のときに人生に絶望した。もともと二十歳以降まで生きているのが奇妙な感じではあった。が、二十代というか、大人になった自分というのは、へぇという感じだった。臙脂色の緞帳が上がるがごときだった。歳相応の未熟な恋もしてそして破れそして忘れた。忘れるものだ。が、無意識のなかの私はたぶん時を忘れてないのだろう、というか、もうひとりの私はなんとなく私の死後までこの太虚のなかにミームとして残るというか、そこを胎としてまた私のような意識が生まれるのだろう。私のような自意識。凡庸というサンサラ。 絶望というのは奇妙なもので、字義にすれば望み絶たれるであろうし中国古典でも読むような大望果たせずみたいなものであろうし、人によってはそういうものかもしれないが、絶望というのはもうちょっと変なものだ。生きている意味も意識もなく身体が生きているというのだろうか。この世界と身体と意識の奇妙な、そうあれは昔の遊園地に

    時は過ぎていく、君は美しい - finalventの日記
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