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  • ミニマリストが私の転機 - ヒロニャン情報局

    私はもともと物が捨てられない性格でした。物が周りにあることで落ち着き、捨てると後悔する。そんなことの繰り返しで、物はどんどん増えていくばかりでした。 物で満たさせているはずなのに、心は満たされていない。そんな風に思うこともあり、どうしてこのような感情が生まれてくるのか気になり始めました。 そんなとき、近所の屋さんで『ミニマリスト』に関するが目に入り、ページをめくってみました。そこには、目から鱗の情報が散りばれられていたことを記憶しています。 私は早速、実践してみることにしました。しかし、少ない物で生活することに慣れていなかったため、思いのほか難航してしまい、ひとつの物を減らしていく作業に何時間も費やすこともありました。 作業が進まず悩んでいたとき、主人の転勤が決まりました。必要に迫られて物を減らすことで、私の心も変化していきました。 引っ越しは物を整理するチャンスです。新居に移るには、

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  • 主人がハマっていた趣味の最中の生きた心地がしなかった経験 - ヒロニャン情報局

    主人の仕事の転勤がキッカケで沖縄に移り住んだ私たち夫婦は、沖縄のことが大好きになって長い年月、沖縄島で暮らしました。 当初は数年だけ住む予定だった沖縄に10年以上も住むことになった理由の一つは主人が沖縄ならではの、ある趣味にどっぷりとハマってしまったからです。 その趣味とは「パラグライダー」という大きなグライダーの下のシートに座って空中を飛び回るものでした。 空中から見える沖縄の青い海の景色はたまらなく感動するようで、主人は最初はちょっと試しにやってみると言っていただけなのに、実際にやり始めるとすっかりその魅力にハマって夢中になりました。 そして仕事が休みの日には朝早くから夕方まで、パラグライダーをしに沖縄島のいろんな場所に飛びに行っていました。 そして私も主人と一緒にパラグライダーが出来るスポットに行って、主人が空中を飛び回っている姿を見ることもよくありました。 主人が空中で楽しんで

    主人がハマっていた趣味の最中の生きた心地がしなかった経験 - ヒロニャン情報局
  • 子供の暴力で困りました - ヒロニャン情報局

    子どもの苦労体験について、少しお話しさせていただきたいと思います。 これは息子がまだ小学生だった頃の話でしょうか。それまでは温厚で優しい子だったのですが、突然暴力を振るうようになってしまいました。 事の発端は一の電話でした。家で家事をしていると、学校から連絡が来たのです。どうやらクラスの女の子を殴ったとかで、怪我をさせてしまったとの事でした。 一体どうしたのだと急いで学校へ行き、事情を聞きました。どうやら息子が一方的に殴ったらしく、相手の女の子は泣いていました。 これは良くないと思い、相手の方に謝罪し、それから家で息子の話を聞くことにしました。 しかし、彼は何も教えてはくれませんでした。ずっとふてくされていて、何を言っても無視するのです。 「俺は悪くないし」の一点張りです。私としてもかなりショックでした。軽いじゃれ合いなら何も言いませんし、手を上げるなと日頃から言っているのに、一体どこで

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  • 人生は、気づいた時からいくらでもやり直せる! - ヒロニャン情報局

    大学を卒業して社会人になるまでは、普通に暮らして目標を持って、それなりに自分の夢を叶えるために出来る限りの努力をしてきたので、自分が人生をやり直さなければいけなくなるとは思ってもいませんでした。 社会人1年目は社員として働く事が初めてだったのと、周りの友人がどんな働きぶりをしているか知らなかったのですが、後から振り返ってみると、かなりブラックな会社で働いていており、残業代も出ず土日出勤は普通の事だと思っていました。 会社全体がそういう人ばかりで、年俸制だったので残業手当も休日出勤も無く、頑張って働いてる同僚とランチに行ってお洒落な昼ご飯をべて、お茶をして、また頑張って働いていました。 そして帰りは夜の23:00頃が終電だったので、普通に夜まで働いて晩ご飯をべて、終電間近まで働いていました。 帰りは自宅まで2時間程かかるのと電車は座れたので、帰りの電車の中でも仕事をしていました。 まだ若

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  • 全部失ったけど必死の思いで再起しました - ヒロニャン情報局

    わたくしは40代半ばの女性です。 今日はわたくしが人生を必死の思いでやり直したエピソードを書いていきたいと思いますので、宜しくお願い致します。 「夢を持ち東京へ上京」 わたくしは高校を卒業してから、夢を叶えるために上京しました。因みにわたくしの夢というのは、「歌手」になることでした。 歌手になりたくて上京して、東京でレッスンをするために便利の良い新宿に住居を構えました。 最初は中々仕事が見つからずに苦労しましたが、それでも何とか夜のお仕事とコンビニのアルバイトをして生計を立てました。 それでいよいよレッスンすることになったのですが・・・ 「レッスン教室でけちょんけちょん言われてしまい・・・」 レッスン教室に出向き、先生とお話をしてレッスンに入りました。 ところが面接の時の優しい先生の面影はなく、とても厳しい表情・言動となり悲しくなってしまいました。 でも、「歌手になるなら当たり前」と思って

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  • けちなママの特徴 - ヒロニャン情報局

    子供が通っている小学校で同じクラスの子のママがけちです。そのママは30代です。30代の女性というとおしゃれには気を遣うことでしょう。 肌をきれいに見せるためにはどんな化粧品を使ったらいいのか、どんなメイクをしたらいいのかなど、周りの人を見ても気を遣っていることが珍しくありません。 けちなママも美容面に気を配っているようですが、そのやり方がけちなのです。 肌によい化粧品を使おうと思うと化粧品代が高くなります。開発に費用がかかったり、使っている成分が高価なのだと思います。 けちなママは化粧品代を節約のためにサンプルをもらってばかりいます。サンプルはタダでもらえるので、サンプルをたくさんもらえば化粧品代の節約になるのです。 サンプルなら高価な化粧品もタダで試すことができます。ただしサンプルは1回分なので、これでは継続して同じ化粧品を使い続けることができません。 高価な化粧品であっても1回の使用で

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  • 物を持たない暮らしに憧れて - ヒロニャン情報局

    私がミニマリストを目指したきっかけは、子供が生まれた事です。 それまで片付けや整理整頓などがあまり得意ではなく、元々物は少ない方でした。 子供が生まれると気になるのが衛生面。 寝返り、ずりばい、ハイハイと、床をコロコロ転がる娘を見ては、せっせと床拭きをしていました。 ある日目に留まった雑誌の見出しに衝撃を受け、私のミニマリスト生活が始まりました。 『それ、当に必要?』その見出しの下には、実際にミニマルに暮らしている人の写真が。 玄関マットも、ラグもソファもない。 あるのはダイニングテーブルと椅子と子供のおもちゃが少し。 なんて見晴らしのいいスッキリした部屋なんだろう! 私はその日から、物を見直すようになりました。 まず手をつけやすい敷物類。 どう考えても、毎日洗えるものでもなく、衛生的にちょっと問題ありませんか? 敷いておく必要もたしかに無い。 思い切ってラグと、玄関マットを捨てました。

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  • 私がおかした人に言えない人生の過ちについて - ヒロニャン情報局

    これまで私が思う中では、真っ直ぐで誠実な道を歩んできたと言えますが、たった一つだけ人様には絶対言えない、内緒にしておきたい過ちがあります。 その間違いによって当にかけがえのない大切なものを失いそうになりました。 私には、17歳の時から患っている心の病があります。 長期間、治療を続けて少しずつ良くはなってきているものの、外で働くとなると未だに体調面や精神面で支障をきたしてしまいます。 それでも稼ぐ必要のある環境だったので、「チャットレディ」という仕事に手を出してしまいました。 金銭面と精神面でとても困っていたため、自宅で何とかしてお金を稼ごうと思ったことがこのお仕事を始めるきっかけとなりました。 チャットレディとは、男性会員様とお話をすることでお金を頂くお仕事です。 このお仕事業とするほど人気の素敵なチャットレディさんもいらっしゃいます。 このお仕事に誇りを持って、働かれておられる方も

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  • ミニマリストはシンプルな服が好き - ヒロニャン情報局

    ミニマリストとして、生活をしていると自分がどんどん変わることに気づきました。 その一つとして、なんといっても服が変わることがわかります、どんどん処分をするようになり、当に大切な服だけを残すようになりました。 その結果、シンプルな服にすることにより、とても自分の生活が楽になりました。 ここでは、そのことについてご紹介します。気になる人は、参考にしてみてくださいね。 ・余分な服は捨ててスッキリ ミニマリストの生活としては、やっぱりタンスなども不要と思うことがあります。 タンスに入っている服について今一度見直すことにしました。 すると、ほとんど使っていない、着ることがないものもあります。 いつかは着るだろうと思っているんですね。 しかし3年ぐらい使っていないものもたくさんありました。 そこで、不要と思う服について全て処分をすることにしました。 それはまずフリルがある服や、デザインが奇抜なもので

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  • 旦那の父親が隠してきたことを見てしまった - ヒロニャン情報局

    旦那とは数年前に結婚をしましたが、結婚をしたときに新居を構えたので、それぞれの実家を訪れるのはお正月やお盆の挨拶くらいです。 あまり心地よいものではありませんから、実家に戻ることはできるだけしないようにしていました。 しかし先日、旦那の実家がお世話になっていたお寺さんから墓を移し替えることになりました。 檀家として経済的な負担が大きいことが理由で、同じ宗派が運営をしている霊園に墓を新しく立て直すことになったようです。 霊園だと最初にまとまった契約費用を支払えば、年間利用料を支払えば永代供養も可能だということで、檀家になるよりも経済的な面で負担が軽くなります。 旦那の実家からは、墓じまいをするときに立ち会って欲しいと言われたので、嫌々ながら向かうことにしました。 当日は朝から墓じまいの手続きを行い、これまでお世話になったお寺さんにもお経を読んでもらいます。 その後、一連の手続きが終わったので

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  • モラハラ夫と離婚して再婚した男性との貧乏な生活 - ヒロニャン情報局

    私が貧乏生活に突入したのは28歳の時です。 夫の度重なるモラハラにより、息子を連れて別居を経て離婚に至りましたが、離婚までには2年かかりました。 別居時にアパートを借りて、直ぐにフルタイムの仕事を探して就職しましたが、女手一つで育てるにはどうしてもお金が足りませんでした。 主人は元から経済DVもありましたので、勿論お金もいただけませんでしたし、公的支援を受けようにも、離婚をしていないので頼れませんでした。 毎日、仕事の後に息子を保育園へ迎えに行き一緒にスーパーへ行き、モヤシや見切り品、安い材を買って帰り事作り。 元々が細い子だったので大分助かりましたが、それでも生活は苦しかったです。 市営住宅を申し込みましたが、それも似たような境遇の人が多い為か、順番待ち状態でした。 水道光熱費など、いくら節約しても固定費がどうしてもかかるので、節約できる部分は費になるので、卓はいつも寂しかった

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  • 部屋の要らない物を捨てて生活を豊かにしよう。 - ヒロニャン情報局

    私は今都内の6畳の部屋に住んでいます。 昔は部屋には物が溢れかえり、足の踏み場もないほどに部屋が汚かったです。 片付けても片付けても部屋には物がいっぱいあるのでなかなか綺麗な部屋を維持するのが難しくそのうち掃除をしなくなりました。 そして迷った私は友達相談しました。 その友達に部屋を見せるとやはり「部屋に物がいっぱいだな。」 そう言われました。 確かに物がいっぱいだけど全部大切な物。 一つ一つに思い出がつまった物でした。 そう言うと友達が「1〜2週間使わなかった物は全部捨てよう!」そう言い出したのです。 確かにその部屋には、ずっと見ようと思って見ていないドラマ、映画、アニメのDVD。 もう1年以上来ていない服。 昔に買ってもう使わないおもちゃ。 そしてまだ開けてもいない中身のわからないダンボール。 それらが部屋に散らばってました。 最初は捨てるのにも抵抗がありました。 しかし、人間慣れる

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  • 銀行へ夫と教育ローンについて相談して来ました。 - ヒロニャン情報局

    子供が高校生になってから色々と教育費がアップするのを体感するようになり、やりくりが大変だなぁと負担に感じるようになりました。 私学へ進学したので学費や部活動費用、そして予備校で受講するとなると、想定していた学費よりはるかに多くなり、これだと家計を圧迫して厳しい状況になるため、教育ローンを検討するようになりました。 それまでは、私のパート代でやりくりしていましたが、高校生になると教育費の額がかなりアップして負担が大きくなるので銀行へ夫と教育ローンについて相談して来ました。 大学入試も控えているので、入学金などまとまった費用が発生するため、そのための教育資金について相談したところ、夫の収入なども含めて審査があり、それで融資を受けることにしました。 お給料口座から毎月、返済していくことになりますが、金額は6万円です。この費用を数十年かけて返済していくことになりますが、やはり教育費以外にも親の介護

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  • 初めて就職をしたのが相当酷い会社でした! - ヒロニャン情報局

    私が就職をした時期は就職氷河期と呼ばれる時期で、さらには年俸制が流行った時でもありました。 学校での就職活動は、まわりの友人が熱心に就職活動をしていたので、私もそれにつられて何となくはじめたのですが、その頃はまだどこにどんな仕事を探して、就職する活動をするのかわからずに、何となく就職のための部屋に行って求人票を見る毎日でした。 そこで興味を持ったのがゲーム会社とメディア系の大きな会社で、どちらもコンピュータグラフィックを扱っている最先端の会社でした。 その頃はゲーム会社も3DCGも映像も流行っていたので、周りの友達のほとんどが同じ会社を受けるために、作品集やら履歴者を書いたり、スーツを着て面接に行ったりしている毎日でした。 私が最初に勤めた会社は、学校に来ていた就職案内のポスターを見て興味をもち、今まで見てきた会社の中でも一番輝いて見えました。 一番働いてみたい会社だな!と思えて、ワクワク

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  • ママ友トラブル!グループラインの恐怖 - ヒロニャン情報局

    ママ友トラブルに悩んでいます。 子供が幼稚園に入ると、あるお友達3人と仲良くなりました。 幼稚園が終わった後公園やお互いの家で遊ぶようになり、自然と子供のママ達とも仲良くなっていきました。 リーダータイプのママ友が「この4人で、グループラインをしよう!」と提案し、私はあまり日頃からラインはしないのでちょっと面倒だなと思いましたが、みんな「いいね」と喜んでいるので、私もグループラインに入ることにしたんです。 それがトラブルの始まりでした。 子供とは関係ない姑や旦那さんの愚痴、料理や美容の話、どこのスーパーが安いといった話など、1日のコメント数が100~300になる日もあり、だんだんついていけないなと思うようになりました。 私以外のママ友はすごくおしゃべりなんです。 私は特に話す話題もないので、スタンプをしてみたりなんとか頑張ってコメントをしていましたが、疲れてしまって見るだけの日が続いていま

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