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ブックマーク / p-shirokuma.hatenadiary.com (268)

  • 「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」 - シロクマの屑籠

    ネットもつまらなくなった 「ネットがつまらない」=「自分がつまらない」は言い過ぎとしても、「ネットがつまらない」=「自分のネットユースがつまらない」「自分の眺めているネットがつまらない」なので、ネットそのものが問題というより、その人自身の所業によるところ大な問題だと思う。 ネットがつまらないなら、どうして観測範囲を変えないのか テレビ番組がつまらなければ、チャンネルを回せばいい。それと同じように、ネットがつまらなければ観測範囲を変えればいい。マスメディアと違ってインターネットには無限に近い選択肢があり、多種多様なネットサービス上に、これまた多種多様な表現、プレイヤーがひしめき合っている。だから、「ネット、つまらないな」と思ったら、自分から面白いものを探しに行けば、たいていどこかに面白い表現、面白いプレイヤーが隠れている。 例えば、twitterを眺めていて物足りなければ、followしてい

    「ネットがつまらない」≒「自分がつまらない」 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/07/24
    何故そうまでしてネットに固執するのかわかんないなあ・・・・・・
  • 国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ - シロクマの屑籠

    インターネットは都市部と地方の格差を縮めたか - ボンダイ リンク先は、全国の地方インターネット愛好家を敵に回しそうな文章でした。なに?「田舎の若者はみんなガラケー開いてケータイ小説読んでいる」ですって? いったい何年前の地方ですか。引用文献が全体的に古いところをみると、地方の情報インフラ事情をよく知らない人が、文献だけを頼りにまとめた文章のようにも読めます。そりゃ東京に比べて、ガジェットの流行が一段階遅れてはいますよ。でも、地方でもiPhoneは「ライバル達に差のつくデジタルガジェット」じゃなくなっているし、若い人はfacebookやtwitterをバンバン使っています。 リンク先の筆者は、「湘南育ち」のシティボーイのようです。向日葵が太陽の方角ばかり向いているように、定めし、東京だけを見つめ続けた思春期を過ごしてこられたのでしょう。そして地方のヤマダ電機やイオンには、あまり足を運んでい

    国道沿いでも、若い人はネットをちゃんと使いこなしてますよ - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/06/28
    んー、なんかちがう気もする。
  • ブログが痩せてきた - シロクマの屑籠

    ブログが痩せてきた。 この二ヶ月ほど、ブログもインターネットも5割運転を続けざるを得なかった。それで痛感したのは、自分の精神生活に占めるブログの割合は予想以上に大きく、「やっぱり俺はブロガーだった」ということだった。ブログを書くことで、脳をアクティベートしておく営為は意外に重要らしかった。ブログをさぼると、頭が錆びてくるような気がする。 もちろん、ブログ単体で考えられることなんてたかがしれているし、インターネットの知には大きな偏りがある。だから、読書時間や学会出席といった、オフラインの時間は大切にしなければならないと思う。けれども、ブログやSNSを介して半熟の思考を第三者と交換し、ときに承認欲求を充たし、ときに批判や補足を頂き……そういう一連のプロセスを介して脳に染み渡ってくる諸々は、オフラインではあまり体験できない類のもので、当世ならではの思考の閃きがあるとは思う*1。 ブログ周辺は、一

    ブログが痩せてきた - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/06/15
    ほどよく脂が乗った後に、董卓風に扱う。
  • ネット世代それぞれの面白さ/ネットインフラそれぞれの面白さ - シロクマの屑籠

    こないだ、インターネットがベテランな人とオフ会をしていて、現在のインターネットの“面白さ”を巡る話になった。ネットの古参・新参にありがちな「どうしてこんなものが面白いのか」問題について。 ネット世代それぞれの面白さ、コアユーザー/ライトユーザーの面白さ インターネットの面白さ、その中核付近のものは、時期によってだいぶ違っている。少なくとも「インターネットの都大路でウケやすい出し物」のトレンドのようなものはあると思う。 例えばテキストサイト時代に面白がられていたのは何だったか?2013年からふり返ってみると、くどくて、後ろめたい意識が漂っていて、前世紀末のオタク/サブカル臭が優勢な、そういう面白さだったと回想する。 2003〜2008年。ブログの時代。いわゆるプロな物書きの人もこぞってブログを書いていた時代。そして「Web2.0」。2ちゃんねるは相変わらずだったけれど、この時代のインターネッ

    ネット世代それぞれの面白さ/ネットインフラそれぞれの面白さ - シロクマの屑籠
  • スマートフォンやタブレットばかり使っていると頭が悪くなるんじゃないか - シロクマの屑籠

    「いいね!」に慣らされて俺はバカになってしまいそうだ - シロクマの屑籠 ついでに、スマートフォンやタブレットばかり使っていると頭が悪くなるかもしれない問題――言い換えると“日頃使っているインターフェースに思考が影響を受ける問題”――についてまとめておく。 スマホやタブレットは、出先で大まかな情報収集をするには便利で、そのモバイル性は捨てがたい。けれども、これらをインターネットのメインの手段にし続けていると、インプットとアウトプットの質感はかなり劣化してしまうと思うし、ひいては、ユーザー個人の思考の水準もかなり低下するんじゃないかと私は危惧せずにいられない。モバイル端末に頼るのは、できるだけモバイルな状況だけに絞ったほうがいいと思う。 まず、モバイル端末は格的な文字入力には適していない。ガラケーなんかに比べればずっと速く、ずっとたくさんの文字を入力できるけれども、キーボードに比べれば長文

    スマートフォンやタブレットばかり使っていると頭が悪くなるんじゃないか - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/05/15
    ???元々狭い範囲の中で表現を重ねるスタイルじゃなかったっけ。/TwitterでしにくいことをTwitterでしないとかそんなもんだと思うけど。Evernoteとか使ってないのかなあ。/文字入力デバイスとしてはガラケー超えない。
  • 「いいね!」に慣らされて俺はバカになってしまいそうだ - シロクマの屑籠

    Facebookの「いいね!」やtwitterの「リツイート」「お気に入り*1」に慣れ親しんでいるうちに、自分の頭で考えるのを面倒くさがるようになった気がする。 Facebook上でなにか面白い文章・考えさせられる文章を見かけた時、私は「いいね!」をクリックする。twitterでも「リツイート」や「お気に入り」もよく使う。それ自体は、インターネットではごくありふれたことだ。 けれども、この「いいね!」がときどき自分の思考を妨げている、と感じることがある。いや、「いいね!」ボタンが思考を直接妨害しているわけではない。けれども時折、「「いいね!」を押しておけばいいや」というか、そこで考えるのをやめてしまうことがある。眼に留まった文章について、深く考えるのを端折ってしまう。 twitterでも、「リツイート」「お気に入り」をクリックしただけで文章を咀嚼完了したような気分になって、考えるのをやめて

    「いいね!」に慣らされて俺はバカになってしまいそうだ - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/05/13
    ???上手く踊ればいいんじゃない?いいねボタンに踊らされ、はてなブックマークに踊らされ、まとめに踊らされ、最終的には、自分の肩書きや自分のエントリに踊らされてんだし。そっから抜け出せることはあるまいよ
  • インターネットには「なまはげ」が必要だ - シロクマの屑籠

    Twitterで大失敗をやらかす前に――バンダイナムコが小学生向け仮想空間 -INTERNET Watch リンク先は、「バンダイナムコが小学生向けに仮想空間を提供する」、という記事だ。単なる子ども向け仮想空間ではなく、子ども達に“失敗の許されるネット空間”を提供し、適切なネットリテラシーを身につけてもらう狙いもあるらしい。 現在のインターネットは、子どもには過酷な環境すぎる。思慮分別のつかないうちから大人並みの情報発信のチャンスが与えられているので、社会生命を左右するような炎上リスクは大人よりも高い。たとえ炎上しなくても、あれこれのネットサービスに貴重な青春のリソースを吸い上げられてしまうリスク・ネット山師に感化されて人生計画を踏み間違うリスク・過剰な承認欲求に溺れてスポイルされるリスクもある。こうしたインターネットの落とし穴のなかには、大人でも気付きにくいものが多く、後々になって後悔さ

    インターネットには「なまはげ」が必要だ - シロクマの屑籠
  • アニメ愛好家として「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別できるか否か - シロクマの屑籠

    新作アニメ『惡の華』を巡って、アニメ界隈が「ひとこと言いたくて仕方がない雰囲気」になっていて、現時点では作品そのもの以上に興味深い。ともあれ、話題沸騰なのはいいことだと思った。 その騒々しい風景を眺めているうちに、昔、ある人から教わったフレーズを思い出した。 「愛好家たるもの、自分自身の「好き/嫌い」の次元と「こいつは凄い/凄くない」の次元をきちんと区別できなきゃいけない。」 アニメに限らず、料理音楽にしたってそうだ。 たとえば、自称料理愛好家が「俺はハンバーガーが好きだ。だからハンバーガーはどれも凄い」と言っていたら、そいつの舌はたいしたことがなさそうである。素人の出したハンバーガーを「凄い」と褒めちぎり、嫌いな材の入った料理とみるや問答無用で「こいつはダメだね」の一点張りでは、“ただのハンバーガー厨”と言わざるを得ない。グルメじゃなさすぎる。 おなじく、自称アニメ愛好家が「俺は萌え

    アニメ愛好家として「好き/嫌い」「凄い/凄くない」を区別できるか否か - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/04/10
    技術的にはすごいけどその技術が作品の面白さとかにつながっていかない、みたいな話はたまにありますね。/技術論とかは、隠居後に過去回想してくには良いネタだとは思いますよ。
  • ブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。ブログがSNSからトラフィックを集める時代が始まっている。 - シロクマの屑籠

    TwitterやFacebookの次は何が来るか」だって?そりゃお前、ブログに決まってんだろ! | Tribal Marketing ❤ ikedanoriyuki.jp 前から勘ぐっていたけれど、なんとなく言い辛かったことを後押ししてくれる記事をみかけた。「ブログはオワコン」ではなく「twitterやFacebookの次はブログ」。私もそう思う。 ブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。 twitterSNSが流行しはじめた頃、ブログが終わった論が流行した。その際、根拠として言われていたのは「SNSにブログはトラフィックを奪われる」と「ブログは可処分時間をSNSに吸い取られる」だ。 一見、これらは間違っていなさそうにみえる。2009〜2010年頃にブログのアクセス解析を眺めていた頃には“どうやらSNSにお客さんを持っていかれているらしい”という体感もあった。当時、ブログ

    ブログがSNSにトラフィックを奪われる時代は終わった。ブログがSNSからトラフィックを集める時代が始まっている。 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/03/28
    昔のTB打ちまくってたはてなっぽいお話。多分それはなくて、BOTとかで今までのブログの人は喜んで、実際にはBLOGOSとかNEVARへの無断転載とかの方が大きくなってくると思ってる。
  • 伸びたのは「余生」であって、「若さ」ではない - シロクマの屑籠

    最近は、ネットでも「四十歳になった」「健康が気になるようになった」的な文章を目にする。私自身がそういう話題を気にするようになっただけなのか、それとも、黎明期からネットをやっている連中がだいたいそれぐらいの年齢層なのか。 そういえば、ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法の著者・天真爛漫なキャラのphaさんまで、『病気と健康の話ばかりする中年にはなりたくなかった』という記事をアップロードしていた。そこに群がるはてなブックマークのコメントが、これまた歳を感じさせる。 平均余命まで健康を保ちたいなら、三十代〜四十代からの健康管理は必須だろうし、これぐらいの歳になると身体の衰えが気になってくる。集中力や記憶力にも陰りがみられ、徹夜なんてやろうものなら体調を戻すのに数日かかる。親が病院の世話になりはじめる。だから、三十代の途中から健康不安が首をもたげるのは自然なこと

    伸びたのは「余生」であって、「若さ」ではない - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/03/20
    鍛え方を忘れると、劣化の一途しかないよね。そういう人はかなりいる。
  • 自称クズ=理想と現実のギャップに苦しんでいる人 - シロクマの屑籠

    http://anond.hatelabo.jp/20130306163244 リンク先は、就職活動中の大学生が書いた長文だ。文中、「自分はクズ」「人間失格」といった文字がちりばめられ、「どうやったらスティーブジョブズになれるんだよ!」とも書かれている。リンク先の書き手が、精神的にどれぐらい余裕が無いのか・万が一にもメンタルヘルスに問題を呈しているのかは、文章だけでは判断できないので、触れないでおく。 それより、私や友人達の間で「クズ」という言葉が流行っていた年頃を懐かしく思い出してしまい、“自称クズ問題”について書きたくなってきたので、書き記しておくことにする。 「クズ君」の思い出 大学生だった頃の私は、自分のことをクズだと思っていた。学業は低空飛行で、世間から後ろ指を指されるような趣味に耽り、コミュニケーションにも自信が無い。さりとて“一般的な”クラスメートや親族の前で「自分はクズです

    自称クズ=理想と現実のギャップに苦しんでいる人 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/03/08
    失敗を積み重ねる程、酸っぱいブドウは上の方につくようになるだけですって。
  • ソーシャルゲームよりゲーセンのほうが「高コスト」問題 - シロクマの屑籠

    (※タイトル変更しました) ドラクエ7雑感:スマホ脳になったことを思い知らされる:村上福之の「ネットとケータイと俺様」:オルタナティブ・ブログ 上記リンク先の記事には、「スマホ脳」になった人が久しぶりにドラゴンクエスト7をやってみた際の「めんどうくささ」が書き記されている。 こういう記事を読むと、俺は「あなたが欲しかったのは真正のゲームではなく、エンターテイメントならなんでも良かったんですね」と思ってしまいがちだ。俺は、ゲームゲームである与件として「上達感が感じられるプロセス」を重視しているので、ゲームの上達プロセスを面倒と呼んで憚らない人はゲーマーとして認めない。なにか「手応え」がなければゲームとして楽しくないじゃないか。 そういえば、俺のシューター仲間の一人が、スマートフォンに移植されたケイブのシューティングゲームについてこう評していた;「あれは俺達が楽しんでいるほうのシューティング

    ソーシャルゲームよりゲーセンのほうが「高コスト」問題 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/03/03
    ゲーム辞める理由出来て良かったじゃん。/単に集中力無くなっただけだろうね。
  • 青春時代を彷徨い続けるオジサンが大人の音楽を騙るなんて、ちゃんちゃらおかしい - シロクマの屑籠

    俺たちオジさん(オバさん)には今、歌う歌もなければ、聴く歌もない!(富澤一誠) - 個人 - Yahoo!ニュース リンク先では、61歳の音楽評論家が現代のミュージックシーンについて「青春時代の音楽を取り戻して欲しい」「30年程前のあの〈熱狂〉をもう一度」と熱弁を奮っている。率直に言って、驚き、呆れた。 あるていど歳を取った人が、青春時代に耳にした曲を大切に思う気持ち自体はわかる。私だって、自分が青春時代を過ごした頃の音楽――それは小室哲哉であったり、渡辺美里であったり、ミスターチルドレンであったりする――を聴くと、若かった頃が思い出されて胸が高鳴る。だから、リンク先の音楽評論家さんがフォークソングを特別に思う気持ちそのものはおかしいとは思わない。 だからと言って、自分の世代の音楽だけを「真の音楽」「大人のための音楽」と吹聴するのは、いかがなものか。 これが、(西洋でいう)クラシック音楽

    houyhnhm
    houyhnhm 2013/02/21
    自己批判要求する。一個前のエントリと、無矛盾で説明していただきたい。
  • “壁ドン”を介した一体感と連帯感――ベタな表現と、エモーショナルな繋がり - シロクマの屑籠

    …前にも似たような記事を書いたような気がするけれど、大事なことなので二度以上言ってもいいような気がするので。 ここ最近、ニコニコ動画を見ていて“壁パン”“壁持ってこーい!”といった文字をよく見かけるようになった。例えば『ソードアート・オンライン』『まおゆう 魔王勇者』などで男の子と女の子がキャッキャウフフなシーンになると、壁をドンドン叩くようなコメントが弾幕状に表示される。壁叩きだけでなく、もっと直接的に嫉妬が表明されることもある。コメントを字義通りに読むなら、「うわ、このアニメ見てる人達はみんな嫉妬しているのかー」となりそうではある。 もちろん、実際に強く深く嫉妬している動画閲覧者もいるのかもしれない。けれども動画を観ていて感じるのは「そういう真性の嫉妬者は殆どここにはいない。」「そうじゃなくて、嫉妬で繋がる一体感や連帯感」が気持ちいいんだ、ということだ。 最近の“壁パン”に限らず、ニコ

    “壁ドン”を介した一体感と連帯感――ベタな表現と、エモーショナルな繋がり - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/02/12
    ID付き同士でもしばしばそんな会話見受けられるし、形として見えやすくなってるのがニコニコとかだと。未だに弾幕とか参加したこたあないんだけど。
  • 「生身の人間にキャラ萌えする」という事の罪 - シロクマの屑籠

    http://sankei.jp.msn.com/entertainments/topics/entertainments-14849-t1.htm http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1748859.html 昨日、AKB48のメンバーの一人が丸坊主になったという「事件」があった。人は「自分の意志で」丸坊主になって、動画投稿したという。自分の意志で。 なるほど、誰かが「丸坊主になれば研究生降格で済ませてやろう」とアドバイスしたから自分の意志で丸坊主になったのかもしれないし、「男女交際をした者にはAKBメンバーたる資格無し」という彼女自身に内面化された職業倫理に基づいて、頭を丸めたのかもしれない。どちらが真相だとしても、恐ろしいものを見てしまった。 AKB48は、多種多様なキャラクターを用意して、ファンにそれぞれのキャラクターを推してもらう―

    「生身の人間にキャラ萌えする」という事の罪 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/02/01
    個人的には、煙幕だと思っている。何でか「酷いことをやっている」というのは固く信じる人が多いなあという印象。
  • 「自己愛が腹ペコの人は、判断力が低下する」問題 - シロクマの屑籠

    自己愛の充たされ具合と、判断力について。 人間って、腹が減ってもすぐには死にません。空腹は辛いものですが、健康な人が一抜いた程度なら大丈夫でしょう。しかし空腹がずっと続けば衰弱しますし、いつか餓死してしまいます。 人間の自己愛も、これに似ていると思います。人間の心は――少なくとも概ね健常な状態にある人間の心は――ちょっとやそっと自己愛が充たされなくなっても、すぐには潰れてしまわないものです。でも、ずっと自己愛が充たされない状態が続いていると、だんだん心が衰弱していって、メンタルヘルスを損ねやすくなってきます。尤も、自己愛が腹ペコ状態になっただけでメンタルヘルスを損ねるところまでいってしまう人は稀でしょう。身体的疲労やストレスが重なった時に、自己愛が腹ペコ状態なのかそうでないのかが問われ、その人の命運が左右されるんじゃないかと思います。 ここまでは拙著『ロスジェネ心理学』でも書いた話。

    「自己愛が腹ペコの人は、判断力が低下する」問題 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/01/21
    予防が必要とかって複数のコミュニティに絡んで上手く回らない状況になると多分自己愛過剰とかになるんだよね。/中世の騎士道の結論であるところの「中庸」の掌から一歩も抜け出てない気がする。
  • お言葉ですが川上会長、会長は十年前とは別人ですし、十年後も別人ですぞ。 - シロクマの屑籠

    ネットに木霊する叫び - 続・はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記 リンク先を読んで、共感するところと「いや、違う」と思うところがあったので書き綴ってみます。 id:kawangoこと川上会長さんは、十年前の自分も現在の自分も基的には変わっていない、と仰っています。一個人の主観的感覚としては、よく分かる話です。 私も、二十代の頃から「脱オタクファッション」だの「適応技術の追求」だのに傾倒して、足りないコミュニケーションの技能を高めるべく、あがき続けてきました。けれども一番基のところで、私はやはりコミュニケーションが不得手というか、苦手です。エネルギーを消費すればできるようにはなった。けれども当はコミュニケーションなんてしたくないし、当は一人で好きなゲームやったり好きなアニメ見たりブログにくだらない事を書き殴って一人でニヤニヤしていたい、そういう“芯”の部分は変わっていません

    お言葉ですが川上会長、会長は十年前とは別人ですし、十年後も別人ですぞ。 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/01/16
    どうでもいい話だけど、単語の頻度集計とかを時系列で並べて見たら面白いかもなあと思ったりはします。
  • 俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠

    Geekなぺーじ:ブログ論 最近のブロガーってどこで運営ノウハウ習得しているんだろう? - 情報の海の漂流者 ブログの運営については何も知らない。 だが、“長文ブロガー道”や“ブロガー精神論”についてなら語れる。 『シロクマの屑籠』も今年で7年目を迎え、ブログはすっかり自分の生活の一部となった。書きたい時に書きたいことを書き、誰かに声を届けたくなったら躊躇せずトラックバック記事を書く――そういう素人ブロガーらしいブログライフを楽しめていると思う。 この7年間、欲望の赴くままに書いてきたから、俺はブログの運営なるものを知らない。マネジメントを欠いているからこそ、デフォルトのままのデザインで、記事の方向性も散らかっている。じゃあそれで損をしたかと言われたら、あまり損をしていないような気がする。自分が書きたいことだけに意識のリソースを集中させることが出来たという意味では、“下手の考え休むに似たり

    俺のブロガー精神論 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2013/01/10
    「僕の中のモンスターが大きく育ったよ」
  • 「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠

    先日の記事の補足として。 今、思春期の後半と言われている20代後半〜35歳ぐらいの年齢には、思春期という言葉と表裏一体だったはずの、モラトリアム*1という言葉があまり似合わない、と思う。それぐらいの年齢になっても進路や生き筋を自由選択できる幸運とタフネスを持った人もいないことはないが、あくまで幸運だったりタフだったりする比較的少数の人達である。大半の人達においては、三十路を迎えた頃というのは、色々な事がかなりのところまで決まっている or 決まりつつある最終段階に相当する。決まりつつある、という意味ではぎりぎりモラトリアムとも言えなくもないが、夏休みに喩えるなら、八月三十日や八月三十一日を夏休みと呼ぶのと同じようなものではある。 実際には、三十路を迎えた大半の人は、自分の人生のかなりの部分を既に選んでしまっている。まだ会社は変えられるし、恋愛経験のある人なら結婚相手を選べる可能性もある。し

    「思春期が終わったけれども壮年期が始まらない人達」 - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2012/12/30
    何故この人は経年的な人の成長を考えようとするのかな。
  • 「今年の漢字」はいつから現実逃避のアイコンになったのか? - シロクマの屑籠

    2012年、“今年の漢字”に選ばれたのは「金」だった。 2011年は「絆」。 これらが、それぞれの年の事実の一部分を示していることは否定しない。2012年のオリンピックで金メダルがたくさん取れたのは事実だし、2011年の大震災で絆が改めて意識されたのも事実ではある。 しかし実際には、2012年において「金」は足りないものであり、2011年において「絆」も足りないものだった。大震災後、多くの地域共同体は危機に瀕しているし、震災後にみられた種々の議論は、合意形成よりも唯我独尊を押しつけあうような、なかば中傷合戦のような様相を呈していて、度量のある身振りと政治が心がけられた人は少数に過ぎなかった。 そんな現状のなかで、「金」だの「絆」だのといった、全体としては枯渇気味もいいところな要素を指し示す漢字が、二年連続で選ばれているのである。願望か、あるいは現実逃避か――いや、現実逃避というのも願望のひ

    「今年の漢字」はいつから現実逃避のアイコンになったのか? - シロクマの屑籠
    houyhnhm
    houyhnhm 2012/12/27
    初めから。