ブックマーク / kfujiiasa.hatenablog.com (687)

  • 「史書を読む」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    太郎著「史書を読む」吉川弘文館 刊を読み終えた。 著者は1987年に亡くなられたが、日の古代制度史の基礎を作ったひとりとして評価され文化勲章も受賞されており、このは1981年に刊行されたものの復刊である。 このは、古事記、日書紀、風土記など古代の歴史書から中世の平家物語、吾鏡(あずまかがみ)、太平記、など、近世の大日史、近代の日開化少史に至るまで全部で29の史書を取り上げ、その史料としての価値、性格や編著者の姿勢などを著者の一貫した視点で論じたものである。 著者は「あとがき」のなかで、真っ先に「史書を読むことは楽しい」と書き、更に「偉大な史書は読む人の立場によって、いかようにも変わった姿を現す。読むたびに新しい発見があって、あるいは驚き、あるいは笑う。ここでは私のそうした経験の一端を記して、各々史書の性格や面白さを披露したものである。」と書いている。 29の史書は私がよ

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  • 「歴史に裏切られた武士 平清盛」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    上杉和彦著「歴史に裏切られた武士 平清盛」アスキー新書刊 を読み終えた。 このは標題に表されているが、一般的に驕る独裁者として悪人のイメージが定着している平清盛について、最近の研究成果を踏まえながら清盛の実像に迫ろうとするもので、著者は日中世史の専門家で私は、鎌倉幕府や源平合戦の関連でお世話になった記憶がある。 私が引っ越して1年半を超えた神戸は、平清盛に非常にゆかりのある地で、彼が修築し瀬戸内海運を経て日宋貿易の拠点にした大輪田泊(おおわだのとまり)は現在の神戸市兵庫区の海岸で、和田岬が西風を抑える古代からの良港で近世まで兵庫湊として栄えた。 また出家後京から居を移した福原は、神戸市中央区から兵庫区にまたがる地域で、ここから政治的実権を行使し、例えば後白河上皇の院政を停止して幽閉する「治承3年(1179)の清盛クーデター」の折には、福原から数千騎の武者を率いて上洛し果断な処置を行っ

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  • 「大佛勧進(だいぶつかんじん)ものがたり」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    平岡定海(ひらおかじょうかい)著「大佛勧進ものがたり」吉川弘文館 刊  を読み終えた。 著者は東大寺の最高職である別当(べっとう)も勤めた僧侶でもあり、史学の専門家である。 勧進(かんじん)とは寺社・仏像の建立(こんりゅう)や修繕などのため寄付を募ることを言う。 余談になるが熊地方の民謡「五木の子守唄」に おどまかんじん かんじん あん人達や よか衆 という歌詞があるがこの かんじん こそ勧進であり来の寺社への寄付行為から転じて、自分自身の境遇を「物乞い」のようだとして卑下している。 このは大きくは三つのものがたりに分けられ、 ・天平時代、聖武天皇の詔勅により始まった大佛造顕と東大寺創建、この事業に向けた僧・行基、良弁僧正などの活躍。 ・平安時代末期、平家の南都(なんと・奈良)焼き討ちに伴う大佛と東大寺などの焼亡、後白河法皇、源頼朝などの後援を受けた重源上人(ちょうげんしょうにん)に

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  • 映画「土を喰らう十二ヵ月」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    施設の映画会で2022年の日映画「土を喰らう十二ヵ月」の知らせがあり参加してきた。 ネタバレにならない範囲で簡単に書くと、物語は初老に差し掛かった作家(沢田研二)が信州の山裾で、時折訪れる年下の恋人で編集者(松たか子)や、愛犬と暮らし、村人や亡くなったの母親、弟夫婦等との付き合いを交え、土から得られた野菜や山菜の恵みを調理(土を喰らう)して生きる姿が描かれる。 冬から始まり冬で終わる十二ヵ月だが、信州の季節の移り変わりに合わせ、雨水(うすい)、啓蟄(けいちつ)、清明(せいめい)、穀雨(こくう)などの二十四節気が字幕で説明され観る者に季節の変化をより感じさせることに繋がっている。 今まで二十四節気とは無縁の生活を送ってきたが、最近俳句を始め、多少このような季節の移り変わりにも目がいくようになり、改めて農業や自然に関係する「節気」の言葉の意味合いを感じている。 出演者のなかでは、今年亡くな

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  • 「戦乱と民衆」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    磯田道史/倉一宏/F・クレインス/呉座勇一共著「戦乱と民衆」講談社現代新書刊を読み終えた。 著者は何れも国際日文化研究センターに所属する日史関係の教授、准教授で、このの後半を構成する一般にも公開されたこのテーマに関係するシンポジウム「日史の戦乱と民衆」の出席者も著者を含めてセンターのメンバーである。 国際日文化研究センターは日文研とも呼ばれ、日文化歴史を国際的な連携のもとに研究したり、海外の日研究者を支援する大学共同利用機関として京都にあり、大学院大学として院生も受け入れている。 一般的に歴史は指導者や政治、軍事、経済などの分野で語られることが多いが、このは民衆に視点をおき、「ふつうの人々が戦争をどのように生き延びてきたか?」の問いに答えようとするものである。 著者ごとに古代から幕末までの4つの戦乱をあげ、それぞれの事例を論じているなかで印象的な内容を書き出しておく。

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  • 12月放談会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は施設の有志が5人集まり色々なテーマを話し合う放談会の12月の例会に出席した。 前回11月度の会が遅れて12月10日だったので、今回との間に時間的な余裕がなく、テーマを決めず思いついたものを話し合う形での会になった。 話し合われた内容は ・いじめ問題 ・過労死、働き方改革、 ・来年度予算、財政赤字、税の問題 ・女性の地位向上、男女の機会均等化 ・企業の不正 ・エネルギー政策 などあちこちに飛び火して、まとまったとはとても言えないが、もともと結論が出るような課題ではなく互いの知見の交換になってしまうが、それで充分と思っている。 私も半世紀近く働いて来てその経験などがベースになって一定の考えに至っているところがあり、違う人生経験や、女性の意見を聞いて頭のなかを時折刺激する必要があると思っており、月1回のこの会が役に立っているような気がする。 色々な情報や意見を取り入れ、出来るだけ深掘りした

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  • 高砂と工楽(くらく)松右衛門 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    兵庫県高砂は結婚式の定番・謡曲「高砂」の舞台であり瀬戸内海運と播磨の大河・加古川の舟運で発達してきた湊街で西方に姫路を控える。 中学時代の同級生のひとりが此処に住み、以前播磨繋がりで会った際に、高砂の歴史観光パンフレットなどを頂いており高砂生まれの人物として工楽松右衛門のことなどが載っていた。 先日、12月20日のこのブログで、司馬遼太郎さんが江戸日の各地域、各藩の多様さについて語られたことを書き、そのなかで江戸期の高砂生まれの代表的著名人として山片蟠桃(やまがたばんとう)と工楽松右衛門を挙げられたことにも触れた。 山片蟠桃については2022年9月1日のこのブログで既に書いているので、今回は工楽松右衛門について書かせて貰うことにした。 初代松右衛門(1743~1812)は、若くして兵庫湊に出て船乗りになり海運業を営む。その過程で当時の船の弱点のひとつであった帆布の耐久性を、織り方や継ぎ目

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  • スポヂカラ!温泉街が育むなでしこたち 女子サッカー 岡山湯郷Belle - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    2011年のサッカー女子W杯でのなでしこジャパンの優勝は、今まで色々なスポーツ競技を観た中でも特筆されるもののひとつだった。 特に決勝のアメリカ戦で1点先行されて宮間あや選手のゴールで追い付き、更に1点先行され土壇場で宮間選手のコーナーキックを澤穂希選手がゴール、同点でのPK戦を競り勝った流れは作られたサクセスストーリーのような気がした。 当時なでしこジャパンの中心選手であった宮間選手が所属したチームが「岡山湯郷ベル」で、私は娘や孫が岡山に住んでいたことや、サッカーにひたむきな宮間選手のファンだったので湯郷ベルを応援していた。 しかしあのW杯に優勝した時期を境に女子サッカーの人気が徐々に低下、トラブルの噂もあるなかで宮間選手が湯郷ベルを退団、湯郷ベルも一気に成績が降下、宮間さんも湯郷ベルも殆ど情報が消えてしまっていた。 そんな中いつものルーチンで録画する番組をサーチしているとNHKのスポー

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  • 「オスマン帝国英傑列伝」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    小笠原弘幸著「オスマン帝国英傑列伝」幻冬舎新書刊を読み終えた。 オスマン(トルコ)帝国は13世紀末に産声をあげて領土を拡大、数世紀のうちにイスラム世界の覇者となり、16世紀には世界で最も強大な国家となるが、18世紀末よりヨーロッパ列強の圧迫を受け、1922年同盟国側に立って参戦した第一次大戦の敗戦を契機に滅亡する。 著者はオスマン帝国史、トルコ共和国史の専門家で副題が「600年の歴史を支えたスルタン、芸術家、そして女性たち」とあるように帝国の長い歴史の中から選ばれた10人の人物伝である。 10人に触れだすときりがないので少し皮肉かもしれないが、10人の最後に登場しオスマン帝国に最後のとどめを刺し、現在迄続くトルコ共和国を建国し現在でも国民の敬愛の対象になっている「ムスタファ・ケマル」について少し書いておきたい。 最近国際ニュースで存在感を増すトルコ共和国はイスラム圏の地域大国であり、明治2

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  • 車検で思ったこと - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    神戸に引っ越してきて車に乗る機会は用事で大阪を往復するか、買い物の運転手を務めるくらいのもので、以前に比べめっきり減った気がしている。 しかし走行距離にかかわらず年月が経つと車検の通知がやって来て、その見積もりに出掛けてきた。 街の修理工場で以前トライして貰ったがドイツ車の為かエンジンオイルの交換にも手こずる始末で、今回は最初から引っ越し後の最寄り正規ディ-ラ-に持っていった。 診断では冷却水がサーモスタットケースから水漏れしているので、車検を通すには交換が必要とのこと、半信半疑で現象を見せてくれと伝え立ち会ったが確かに少量漏れた痕跡が見られた。 通常水漏れの場合部品単品とシールパッキン類を交換すれば済むと思うが、これを修理するのにはユニット全体の交換が必要と言われた。 そもそも部品の供給単位がユニットで、細かい個々の部品を交換するような体系になっていないらしく、サービスメンテナンスの後の

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  • 山口県地方史研究・吉田松陰が幕末長州藩政治に与えた影響について - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    山口県地方史学会の会誌・「山口県地方史研究第130号」に掲載されている内の二つの興味ある研究のもうひとつ、萩市 相島宏美氏の「吉田松陰が幕末長州藩政治に与えた影響について」を読ませて貰った。 吉田松陰が、安政6年(1859)安政の大獄で処刑され29歳の生涯を終えた。藩校・明倫館や松下村塾での彼えの教えや著作を通じて、松下村塾系といわれる人々に影響を与え、それが維新への起爆剤のひとつとなったことはよく知られている。 この研究は副題であるー「破約攘夷」に着目してーとあるように主として文久年間(1861~1863)を対象にして、天皇の意思に背いて安政5年(1858)締結された日米修好通商条約を破棄(破約攘夷)するという松陰の思想が長州藩の藩是として統一されたプロセスを追跡している。 松陰は開国通商することを重視しつつ、外国との戦争を恐れ天皇の意思に背く形で締結した条約は破棄すべきで、これを進めた

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  • 「幕府」とは何か・武家政権の正当性 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    東島誠(ひがしじままこと)著『「幕府」とは何か・武家政権の正当性』NHK出版 刊を読み終えた。 然しこのを読み終えるのにはここ数年例が無いほど難儀した。2~3度途中で止めようかと思ったがヘトヘトでたどり着いた気がしている。 その訳は、あらゆる箇所で関連する他者の著作や論文を挙げて是非を論じて止まらないからで、否定だけでなく肯定や称賛があるのでまだ救いがあるが、読者はあちこちに目を配らなければならず大変である。まあそれだけ縦横に論じて中身があると好意的解釈が出来るのかも知れない。 著者は「はじめに」のところでこののことを以下のように説明している。 「戦争や謀殺に明け暮れた武士の世界についての歴史的事実を、ただひたすらに細密に描こうとする従来の歴史書とは違って、武家政権はどのように支配の正当性を確保しようとしたか、を中心的課題として論じる」 著者はこの場合の「正当性」を、「政権の黎明期や危

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  • 映画「かもめ食堂」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    NHKBSで放映された2006年の日映画「かもめ堂」を録画して見終わった。実に不思議な感覚に陥る映画で、時間がゆったりと過ぎて行き、見終わると日常の雑事などどうでもよくなるような錯覚が起き、精神衛生上実に効果があるような気がする。 これと全く同じような感覚になった登場人物が全てめがねをかけている「めがね」という映画の記憶があり、観終わって調べてみるとやはり同じ監督で「荻上直子」という方の作品らしい。 何故かフィンランドのヘルシンキで「かもめ堂」という名前の、おむすびなど日堂を開いた主人公を演じるのが小林聡美さん。 地図を開いて目をつぶって指した場所がヘルシンキでそれを目指してやって来た女性を片桐はいりさん。 長い介護を終えてたまたま見たTVでフィンランドのおらかな国民性を知りやって来た女性をもたいまさこさんがそれぞれ演じていて3人で堂を切り盛りすることになる。 全く客が来な

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  • 厚狭毛利家文書の地元移管 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    私の生まれ故郷・山口県厚狭周辺を給領地にしていた厚狭毛利家のことはこのブログで色々と触れて来た。 先日山口で行われた山口県地方史学会の70周年記念大会で「厚狭毛利家文書」と呼ばれる貴重な史料が、厚狭図書館に保管保存されるまでの経緯を書いたものが山口県文書館発行の古い「文書館ニュース」に載っていると教えて貰った。 「代官所日記」や「山陽町史」などこの文書に関連した資料にお世話になっている身として、是非目にしておかねばと思い、山口県文書館のホームページから苦心して探しだし読み終えることが出来た。 筆者・江沢能求(えざわのうきゅう)氏は厚狭毛利家菩提寺の洞玄寺(とうげんじ)元住職で「山陽町史」の編纂委員長でもあった。 「厚狭毛利家文書」は初代・毛利元康関連の「豊臣秀吉朱印状」「毛利輝元書状」や系図などと、藩政時代の行政関係資料「御用所日記」「代官所日記」「沙汰書」などが含まれる。 厚狭毛利家は第

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  • 「武士の衣服から歴史を読む/古代・中世の武家服制」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    佐多芳彦著「武士の衣服から歴史を読む/古代・中世の武家服制」吉川弘文館を読み終えた。著者は歴史学の教授で貴族社会の服装研究の延長で興味が武士に広がりその風俗研究のなかから衣服に絞ってたどり着いたのが書ということである。 通常現代のは右開きが多いが、このは左開きで横書きの文章、歴史関係でありながら少し不思議な著者の個性が反映されているのかも知れない。 歴史、特に武士に関するを読んでいると必ず武士の出で立ちを表す表現で「鎧直垂(よろいひたたれ)」などの表現に出合う。 また、「折烏帽子(おりえぼし)・直垂(ひたたれ)・小袴(こばかま)」とセットで表現される場合もある。 表題のようにこの武士が台頭する平安時代後期から武家の世がほぼ出来上がる室町時代までを対象にして、武士の地位の変遷を横軸に通し、武士の主装束ともいうべき直垂を中心にして、それがどのように変化定着発展していくかを追及し

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  • 放談会(11月延期分)・ジェンダー - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は来11月に実施予定であった施設有志参加の放談会が遅れて実施され、男女合計5名の出席でテーマはジェンダー(社会的性差)。 世界経済フオーラムが男女格差を算出する2023年の日のジェンダーギャップ指数は、総合指数で過去最低の全146ヵ国中125位、個別に比較される経済、政治教育、保健の4分野の中でも特に経済(収入格差、管理職の男女比など)が123位、政治(意志決定機関への参画比など)が138位と全体を押し下げている。 こういうなかでこのギャップを少なくするための前提として、ギャップが生じる歴史的背景、指数で見て男女格差が少ない北欧や各国との違いなどが話題の糸口になった。 特に日的特徴である男女の役割分担という考え方、長時間労働、男性優位の固定観念、らしさを求める教育、女性の正規雇用を妨げる出産子育てへの理解不足等々が俎上に上った。 また改善へ向けた対応として、議員や企業の役員の女

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  • 山口県地方史研究・大内義隆の官位に関する一考察① - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    専門外ながら入会させて貰っている山口県地方史学会から会誌「山口県地方史研究第130号」が送られてきたが、今号には私の疑問にも応えてくれる興味ある研究が二つ載せられていた。そのひとつが山口市の西田智洋氏の「大内義隆の官位に関する一考察」である。 戦国期に山口を拠地にして西中国、北九州一帯に勢力を及ぼした大内氏の実質的な最後の当主・義隆は、天文20年(1551)家臣・陶隆房(晴賢)の謀反、いわゆる「大寧寺の変」で自刃する。 一般的にはこの謀反は義隆の文治派重視、公家好みが武断派家臣一同に見放された結果とされている。 この研究のなかで私にとって新しい知識になったものが二つある。ひとつは義隆が通常考えられないレベルの官位を保持していたとされることである。 今まで大内氏歴代が朝廷の高い官位を与えられていたことは知っていたが、これほどとは思わず驚きである。 「参議従二位行兵部卿兼侍従太宰大弐多々良朝

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  • 昭和24年生懇親会/クリスマス飾り付け - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は住んでいる施設の昭和24年生まれ(多少許容範囲あり)の初めての昼懇親会があり家内と共に垂水の和屋さんに出掛けて来た。 施設内では昭和24年組はまだ若手らしく少数派で10名の参加であった。 店の形態からテーブルが二つに分かれているため男性4名、女性6名のグループとなり必然的に男性グループ内で事と会話をすることになってしまった。 同年代ということもあり、生まれ故郷のこと、仕事でのこと、中国を含む海外のことなどが話題になった。 私はまだ入居して一年半で知らない人もいたなかで同年代と顔を合わせることが出来有り難い面がある。またビール付き事(刺身定)もとても美味しく、後シャトルlバスの時間待ちでミスタードーナツでコーヒーまで味わい良いリフレッシュになった。 🔘今日の一句、施設の園芸サークルの畑ではカリフラワーにそれぞれ植えた人の名札がぶら下がっている。 名札下げ出来を競ふや花椰菜

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  • 「逆さひょうたん」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    激動の幕末は色々なエピソードに彩られているが、これもそのひとつかもしれない。 土佐と長州の要人が江戸で会同、酒を酌み交わした席で土佐前藩主で藩の実権を握る山内容堂(やまのうちようどう)は長州の周布政之助(すふまさのすけ)や久坂玄瑞(くさかげんずい)を前にして「逆さひょうたん」の絵を見せ酔った勢いで「長州はこれだ」と言ったらしい。 長州藩は下位のものが藩を牛耳っていることを当てこすったのだが、長州側も黙っている筈がなく一触即発の状態まで立ち至った。 他藩からもそのようにみられているように、確かに当時の長州藩は封建時代でありながら、実質的に中堅以下の藩士が動かしているような雰囲気が散見された。 例えば村田清風(むらたせいふう)、周布政之助、椋梨藤太(むくなしとうた)、木戸孝允(きどたかよし)、広沢真臣(ひろさわさねおみ)などが有名で、これらは中級武士・大組(おおくみ)の出自で入れ替わりながらも

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  • 倍賞千恵子さん・私の履歴書 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    日経新聞文化欄に著名人が交代で各々1ヶ月にわたって連載する「私の履歴書」と題するコラムがあり、通例自分の半生、来し方などがかなり突っ込んで書かれている。 12月に入り突然、倍賞千恵子さんの写真と共に連載が始まったのを見て少々嬉しくなって熱心な読者になり楽しみに読んでいる。 紙面掲載の近況写真 倍賞さんは多分私より先輩の筈で、私の若い頃から現在までずっとスクリーンや歌で比較的身近に感じてきた芸能人の一人で、私はファンのひとりかもしれない。 「私の履歴書」の最初の回でのっけから今年5月大腿骨骨折の話が出てビックリしたが、それはさておきその回で、「私は歌と映画と二兎を追いかけてきた」とあり二兎を追ってきたことを自信を持って振り返っている様子が伺えこちらも嬉しくなってしまう。 歌は叙情歌等も幅広く歌われているが、何と云っても記憶に残るのは「下町の太陽」で、映画と併せこれ以降倍賞さんと下町のイメージ

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