ブックマーク / kfujiiasa.hatenablog.com (631)

  • 7月句会/お知らせ - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    今日は住んでいる施設の定例の句会、兼題は「父の日」、私は兼題の1句を含み以下の5句を出した。 ①父の日や娘(こ)選びしシャツ齢(よはひ)告げ 毎年娘からシャツが贈られて来るが、今までどちらかというと若く見られるようなものが多かった気がするが、今年は年齢相当と思えるものが来て否応なく年齢を意識したことを詠んだ。 ②多様性育む草木青葉山 近くの県有林を歩くと名前も知らない草木が種類沢山生え競っていて、人よりも自然の方がはるかに多様性を実践していると思えたことを詠んだ。 ③夜半(よは)嵐朝凪ぐ海は知らぬ気(げ)に 夜の激しい雨風にかかわらず一転して朝の穏やかな海の情景を見て詠んだ。 ④夏の潮紀淡と明石せめぎあふ ベランダから大阪湾方向を見ると大抵、海の色が2つに別れている。紀淡海峡から出入りする潮と、明石海峡を通り瀬戸内海を出入りする潮との出合いが色の違いに出ていると思えることを詠んだ。 ⑤抜歯

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  • ユニクロ40年 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    日経新聞のビジネス記事に「ユニクロ40年止まらぬ進化」という見出しで今月、誕生から40年を迎えた(株)ファーストリテイリングが運営する「ユニクロ」の興味ある記事が載っている。 ユニクロは周知のようにUNIQUE CLOTHING WAREHOUSE(ユニーク・独自な衣服の倉庫)からとられた名称で、私が今から30数年前に初めて奈良・学園前で出会ったユニクロはまさしく斬新な倉庫をイメージした今まで見たことがない店舗だった。 ユニクロの創業者・柳井正氏がスタートした実家の紳士服店は私の生まれた街・厚狭の東隣・山口県宇部市にあり、そこを原点に「カジュアルウエアの倉庫」をコンセプトに1984年6月ユニクロ1号店を広島にオープンした。 以降数字から読み解く軌跡と、小売業今後の課題などを記事を元に私の興味意で整理すると、 ・当初は他社から買い集めた服を所狭しと並べたがわずか2年でこれを自己否定、自社で

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  • 「周縁の三国志」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    関尾史郎著「周縁の三国志」東方書店刊を読み終えた。 副題が「非漢族にとっての三国時代」とあり、中国で秦の始皇帝から漢王朝まで約450年続いた統一が瓦解して出現した三国時代、魏(ぎ・曹氏)・蜀(しょく・劉氏)・呉(ご・孫氏)の周辺居住民族と三国の関係を膨大な文献や史書を読み込み論じたものである。 三国は各々の対立関係から周縁(周辺)の勢力との関係強化が基路線であり、周縁の民族種族のなかにも自民族が生き残るためにこれを期待する動きがあった。 NHKBSのドキュメンタリーに「中国秘境 謎の民」というシリーズ番組があり中国周縁の秘境で暮らす少数民族の歴史や暮らしが記録放送され私は欠かさず観ているが、このに書かれる幾つかはその謎の民のルーツと言えるものではないかと思われるれる。 ここで取りあげられている非漢族は烏桓(うがん)、鮮卑(せんぴ)、朝鮮、越族(えつ族)、氐(てい)、倭(わ・日)などだ

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  • ふるさと厚狭・沓(くつ)古墳 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    山口県に住む同級生から、山陽小野田市歴史民俗資料館で開催された講演会「山陽小野田の古墳と地域間交流」を聴講したとのことで、その折の資料コピーを送って頂いた。 山口県埋蔵文化財センターの職員の方が講師で、このブログでも何回か書いてきた厚狭の遺跡、長光寺山古墳や妙徳寺山古墳などを取りあげ、出土品や石室内の構造などの共通項から山口県内の他の遺跡と同様に、徐々に九州地域の影響を受けているとの講演骨子である。 山口県はその地理的条件から、現代に至るまで九州や朝鮮半島の色々な影響を受ける土地柄であり、ある意味当然のことかもしれない。 その資料の一部に私にとって懐かしい円墳の「沓古墳」が取りあげられていて、このブログに書かせて貰うことにした。 沓古墳は私の生まれた村・鴨庄の北隣にあり、鴨庄から沓地区へ抜ける道がJR 美祢線と交差する踏み切りの北約100mの田の中にあり、私の子供時代には田畑の耕作により墳

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  • 日本語探偵・「全然」の誤用談義 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    月刊雑誌・文藝春秋には日語学者で「三省堂国語辞典」の編集委員でもある飯間浩明(いいまひろあき)さんの短い常設コラム「日語探偵」があり、日語のアレコレを切り出しておられる。 今6月号は『「全然」の誤用談義』と題して、この「全然」がその下に肯定表現を付けることについて書かれてある。例えば「全然良い」という表現の是非である。 私はこのコラムを見るまでは「全然」の下には否定表現を付けるべきと思っていたが、どうやら間違いであったようである。 手元にある広辞苑で「全然」を引いて見ると副詞の場合以下の3種類に分けて書いてあり ①すべての点で。すっかり。 ②(下に打消の言い方や否定的意味の語を伴って)全く。まるで。 ③(俗な用法)(予想や懸念に反して)全く。非常に として確かに②のように否定を前提に使われる場合もあるが①や③のように肯定的表現の前に使う用法もあると書かれている。 日語探偵の調査した

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  • 明治の元勲の愛した味 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    明治新政府に出仕した長州出身者で木戸孝允、大村益次郎、広沢真臣などが亡くなった後、長州閥を牽引したのは、伊藤博文、井上馨、山県有朋であったことは衆目の一致するところであり何れも明治天皇から元老として遇された。 (元老は天皇の諮問に応じて総理大臣の推薦や重要国策の決定に参画し明治国家運営の最高指導者の役割を担った) 山口県在住の同級生から送って頂いた郷土史関係の新聞切り抜きの中に、この3人に関係した面白い記事が載っている。その内容は、 「幕末維新グルメ」を味わうとして、下関川棚温泉のホテルで市立歴史博物館の学芸員を勤めていた現観光政策課職員・田中洋一氏が企画監修したイベントが開かれたというニュースである。 余談ながら新聞記事を見て直ぐ思い浮かんだのだが、この田中洋一氏には市立歴史博物館時代に長府藩々祖・毛利秀元についての画期的な著作「毛利秀元拾遺譚(もうりひでもとしゅういたん)ー元就の再来ー

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  • 周防国(すおうのくに)・鋳銭司(すぜんじ) - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    古代律令制下で令外官(りょうげのかん・制度に規定のない新しい官職)鋳銭司(じゅせんし・ちゅうせんし)は現代で云う造幣局で、皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)と呼ばれる和同開珎(わどうかいちん)など十二種の銅銭等を鋳造を担当する役所だったと考えられている。 河内国(大阪府)、山城国(京都府)、長門国(山口県)におかれ、天長2年(825)には長門から周防国(山口県)に移された周防鋳銭司が開設されたとされる。 長門国及び周防国(何れも山口県)に鋳銭司が設けられているのは2022年9月15日のこのブログなどに書いて来たように、大仏創建時の材料にもその銅が使われた、長登(ながのぼり)銅山などが近くにあり材料の調達に適していたからだと考えられる。 周防鋳銭司跡は現在の山口市鋳銭司(すぜんじ)にあり昭和41年(1966)に発掘調査が開始され昭和48年(1973)に国史跡に指定されている。 正式な呼称「

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  • 「日本史サイエンス」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    播田安弘(はりたやすひろ)著「日史サイエンス」講談社ブルーバックスを読み終えた。 ブルーバックスシリーズは「科学をあなたのポケットに」を合言葉に、技術や工学系を中心に科学的なものの見方で課題を解明したり分かりやすく説明する新書版シリーズと理解している。 そのシリーズの中に人文系の歴史関係が入るのは珍しいが、著者は造船会社で長年船の設計に携わる技術者で自称船オタクとされている。 その技術者の観点から船に多少とも係わる日史上の三つの事件の論点・謎に、歴史研究の道である文献や古文書に依らず、科学的な手法を用いてアプローチした結果を取りまとめたものである。 そのプロセスを省いた概要を私なりに整理すると以下の通りであり、ものの見方として得るものが有った気がしている。 ①Q:第一次蒙古襲来・文永の役で蒙古軍は九州博多に上陸後優勢であったにも拘らず、突然船に撤退しその後暴風雨に襲われたとされるが、

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  • 廃藩置県(はいはんちけん) - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    の近代の幕開けとも言える明治維新の諸施策のうち明治6年(1873)の徴兵令などと並んで明治4年(1871)7月の廃藩置県は明治維新の骨格を成立させた大事業のひとつであった。 明治2年(1869)実施された版籍奉還は土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還する改革であったが、直轄地以外の藩はそのまま旧藩主が知藩事になっているという封建制度が残る中途半端なものであった。 この為西洋列強に追い付くという観点からしても、中央集権を徹底するための廃藩置県は新政府にとって必須の施策であった。 雑誌・文藝春秋6月号の巻頭随筆で作家・塩野七生(しおのななみ)さんが「断頭台には送らない国での革命のやり方」と題して、この廃藩置県を捉えて、来血を見ずには収まらないような革命的な施策が実行出来たプロセスの断面を書かれている。その骨子は、 ・この廃藩置県を実行したのは薩摩と長州の出身者であったが、最も問題となったの

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  • 五色塚古墳 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    住んでいる神戸市垂水区にある五色塚古墳は、築造時に近い形で復元された古墳として聞いており、いつか行ってみなければと思いつつ月日が過ぎていたが、ここに来て二つのことで背中を押されようやく昨日腰をあげて訪れた。 ・俳句会でこの古墳のことを詠んだ句に出会った。 ・故郷の厚狭にある二基の古墳をきっかけにして少しづつ古代の事にも関心が向くようになった。 垂水駅から15分程度歩けば良いと思って海岸通りを西へ歩いたところ、近くまで来ても電車の線路を渡る道が無く、倍くらい歩いて次の駅まで来たところで線路を渡りその後大きく迂回して引き返す羽目になってしまった。 汗を拭きつつ管理事務所の方に聞くと北側に住宅街を抜ける道があるとの事で帰りはほぼ半分の行程で助かった。 五色塚古墳は4世紀の終り頃の築造とされ全長194m(墳丘高約19m)の前方後円墳、兵庫県では最も大きい古墳と言われる。以下の写真の通り明石海峡、淡

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  • 兵庫県と淡路島 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    現在地に越して来て毎日目の前に見える淡路島は身近な存在になって来ている。 以前にもこのブログで触れたことがあるが、兵庫県は律令制の旧国、摂津(せっつ)・播磨(はりま)・丹波(たんば)・但馬(たじま)・淡路の5ヵ国にまたがる珍しい県でもちろん全国で兵庫県のみである。 他の4ヵ国は地続きでもあり理解出来るが、淡路島全域の淡路国(あわじのくに)が兵庫県というのがどうも理解出来ていなかった。 というのも淡路国の名前の由来は諸説あるなかで最も有力なのが、畿内から四国・阿波国(あわのくに)への通路である、「あわみち・あわじ」であること。 また律令制下では国内各国を五畿七道(ごきしちどう)に区分しているが、淡路国は阿波国と同じく南海道に位置付けられていて明らかに県内の他の各国とは位置付けが異なる。 また江戸時代阿波国を領した蜂須賀(はちすか)氏は「大阪の陣」後にその功で淡路国を加増され以後明治維新まで阿

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  • 6月句会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は住んでいる施設の定例6月句会があり14人の参加、都合で欠席のひとりの方も事前に出句されていた。 今月の兼題「迎え梅雨」「走り梅雨」の1句を含めて以下の5句を出した。 ①菜園の小苗叩くや走り梅雨 園芸サークルの畑で、ミニトマトの苗が先日の風雨に激しく叩かれ辛い様子を詠んだ。 ②国生みの島より南風(はえ)の駈け来たり 住んでいる施設の南側は大阪湾や淡路島方向にひらけていて、南からの風の通り道になっており、そこを風が上って来る様子を詠んだ。 淡路島は「古事記」で日で最初に生まれた島だとする記述があり、国生みの島とも呼ばれている。 ③鍬入れて蚯蚓(みみず)で探る土の出来 蚯蚓が生息するのは自然の肥えた土の証であり、園芸サークルの畑でも以前の自家菜園でも土を耕した際ミミズが出てくると安心した気持ちを詠んだ。 ④瓶底に紅い日焼けの青き梅 青梅の紅い斑は太陽にさらされた部分であり、その梅が梅酒の

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  • 園芸サークルと同年会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日の日曜日は忙しい一日で午前は定例の園芸サークルの活動日、それから同年代の計7名が集合しての2ヶ月に1度の昼会に参加した。 ①園芸サークル、今日の活動内容は以下の通り ・キュウリとゴーヤの畝にツルを絡める為のネット張り ・タマネギの収穫とそれを各自に分配、私の貰った分を取り敢えずベランダに拡げた ・ミニトマトを各自に1ずつ抽選で配分、その結果私の担当になったミニトマト、下葉などが先日の雨風などで相当にダメージを受けておりしばらく様子を注意して見ていきたい。 ・コスモスの種撒き ・スイカの花 ・ミニトマトの花 ②同じ施設に住む◯◯年会のメンバーでの定例昼会、今回で4回目となる。 シャトルバスで垂水に出て和の店で和気あいあいと語り合った。漁協の直ぐ傍なので魚主体の御膳、皆さん美味しいと評価していた。 その後この辺りでは著名な海神社(わたつみじんじゃ)の辺りを一回りして駅前でコーヒー

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  • 「魔都上海十万の日本人」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    NHK 取材班編「魔都上海十万の日人」角川文庫刊を読み終えた。同じ施設の知人の方からの頂きものである。 中国・上海を初めて魔都(まと)と名付けたのは大衆文学などを得意とする日の作家・村松梢風(むらまつしょうふう)のようで、戦前上海を何度も訪れ租界(そかい)等の持つ特殊性から西洋と東洋が混在している様子や、犯罪の横行などを見て感じて表現したようで、現代でもその国際性や混沌としたところから一部ではこの魔都という表現が生きている。 上海は長江(揚子江)河口の南側・長江デルタに位置する中国で一、ニ、を争う大港湾都市だが、都市の主要部分が面しているのは長江ではなくその支流・黄浦江(こうほこう)である。 この地域が注目されるきっかけは1842年のアヘン戦争の結果、南京条約でイギリスが上海を開港させたことに始まり、英、仏、日、米などの治外法権エリア・租界が次々と出来たことに始まる。 租界は黄浦江の西

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  • 英雄たちの選択・よみがえれ大仏~重源 61歳からの挑戦~ - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    NHK BSの歴史番組、英雄たちの選択で「よみがえれ大仏~重源 61歳からの挑戦~」が放送され録画再生してようやく見終わった。 俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)は平安時代末期から鎌倉時代にかけての僧で、源平騒乱の幕開けの時期、治承4年(1180)平家の南都(なんと・奈良)攻めで焼け落ちた東大寺大仏と大仏殿の、その後の復興を成し遂げた。 大仏の初期建立は聖武天皇の詔勅に始まったことはよく知られているが、このとき以来大仏は民衆によって支持された対象で費用、労力、技術などを民の協力を得て結集する慣わしになっておりこれを勧進(かんじん)と称した。 (2023年12月28日のこのブログ参照) 重源は養和元年(1181)当時としては甚だしき高齢の61歳の時に後白河法皇の命で再建を指揮する「東大寺大勧進職」に着き活動を開始する。 活動の基は全国を対象にした勧進活動で更に、朝廷や鎌倉幕府の創始者

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  • 「太平洋戦争秘史 周辺国・植民地から見た日本の戦争」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    山崎雅弘著「太平洋戦争秘史」朝日新聞出版刊をようやく読み終えた。「秘史」とあるので先の戦争について偏った立場からの見解が示されるのではと多少身構えて読み始めたがその心配は杞憂で、広範囲に渡る中立的な内容を時間をかけてじっくり読ませて貰った。 副題に「周辺国・植民地からみた日戦争」とあるように太平洋戦争の影響を直接、間接に受けた諸国、・仏領インドシナ(現ベトナム、ラオス、カンボジア)・英領マラヤ(現マレーシア)・英領シンガポール・米領フィリピン・蘭領東インド(現インドネシア)・英領ビルマ(現ミャンマー)・英領インド・英租借地香港・独立国タイ・独立国モンゴル・英連邦構成国オーストラリア、ニュージーランド、カナダが取りあげられている。 従来太平洋戦争を振り返る場合、米、英、蘭、中、ソなどの大国間の政治軍事関係が大半であったがこのは東南アジアなど周辺国各々に細かく光を当てその実態を詳述し日

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  • 放談会と園芸サークル - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は住んでる施設の行事に午前と午後で連続参加し比較的忙しい一日だった。 ①午前、園芸サークル、来の活動日は来週の日曜日の予定だったが苗の入手の関係で急きょ設定された。 ・キュウリ10の苗を植え付け ・ゴーヤ6の苗を植え付け ・ポーチュラカの花の苗 ②午後 目先の色々な課題や問題新しい知識などを有志の少人数で話し合う放談会の月一回の定例会で、今回は私の当番に当たってしまった。テーマは前回の出席者の希望で日の財政特に債務問題。 最新の日の債務額を調べようと財務省のホームページに入ったところ「財政学習教材」として「日の財政を考えよう」と題した令和6年4月発行の15ページの資料を見つけ、ほぼ自分の考えにも合致しておりこれをコピーして説明することにした。 その骨子は ・現在までの日の債務総額は、1105兆円一人当たりに換算すると901万円/人となる。 ・GDP 当たりの借金比率はG

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  • 高塚山(たかつかやま)ハイキングと徳川道(とくがわみち) - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は住んでる施設のハイキング企画で、北へ2~3kmの近場にある標高186mの高塚山へ行って来た。 14名の参加でスタッフさん3名も入れて総勢17名、登山口まではバスの往復でトータルの歩行距離は5kmくらい、途中ローゼンファームカフェという店の仕出し弁当をべる休憩も入れて、ドア~ドア約4時間半の無理の無い設定であった。 最近、低山登りにご無沙汰しているので、足慣らしと思い参加させて貰ったのだが、私にとって思わぬ嬉しい収穫が得られたハイキングになった。 山の出口に降り立ったところコース説明の看板が有り、どうやら我々が通って来た道は「徳川道」と名付けられた古い道の一部であったらしいことがわかった。 その名前に興味が湧いて帰宅後色々調べて見ると、今まで知らなかった神戸の歴史の一端に繋がっていることがわかってきた。 「徳川道」は当時正式には「西国往還付替道(さいごくおうかんつけかえみち)」と呼ば

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  • 「教科書には書かれていない江戸時代」と長州藩士・長井雅楽(うた)の切腹 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    博文著「教科書には書かれていない江戸時代」東京書籍刊 を読み終えた。 著者は東大史料編纂所の教授で中学や高校の歴史教科書の編集委員もされており、「あとがき」にこののことを、教科書は通説として認められている学説を採用することが一般的ななかで、教科書には採用されなかった最近の知見を織り込んだ一般向けの文章のなかから江戸時代のあれこれを収録したと書かれている。 この中に江戸時代の武士の切腹の事例が報告され、学問に励んだことが認められ財政再建策の立案を命ぜられた会津藩の武士の事例が出ている。 彼は藩札の発行を提案、承認され実行したが藩内に偽札が横行し混乱、「不届き至極」と総括され切腹を命ぜられた。 上席に登用され自分の主張が実現できるという場合、もし失敗したときは自分が腹を切って責任を取らなければならない社会が江戸時代の武家社会であり、私の追いかけている幕末の長州藩でも全くこれに似た悲惨な事

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  • 映画「ハイジ アルプスの物語」/有馬温泉 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    NHKBS プレミアムシネマで放送された2015年のスイスとドイツの合作映画「ハイジ アルプスの物語」を録画していたがようやく観終わった。 プレミアムシネマでは今まで字幕版ばかり観て来たが、今回初めての吹き替え版であり最初はびっくりしてしまったが、内容がファミリー向けなので子供にも視聴しやすいようにとの配慮だなと直ぐに納得した。 云うまでもなく有名な児童文学の「アルプスの少女ハイジ」を原作にした物語だが、私はこのもアニメもじっくり見たことがなかったので、この映画のお蔭で大筋のストーリーを理解したが、この映画では原作の前半部分がかなり割愛されているようである。 然し大人が観ても見応えがあり、ハイジが自分の希望を押さえて(押さえられて)ホームシックにかかる場面、クララの祖母の配慮で教育を受けることに踏み出す場面、大人の配慮でアルプスに戻ることが出来ておじいさんと再会する場面、またアルプスの生

    映画「ハイジ アルプスの物語」/有馬温泉 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録