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ふるさと厚狭・沓(くつ)古墳 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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ふるさと厚狭・沓(くつ)古墳 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
山口県に住む同級生から、山陽小野田市歴史民俗資料館で開催された講演会「山陽小野田の古墳と地域間交... 山口県に住む同級生から、山陽小野田市歴史民俗資料館で開催された講演会「山陽小野田の古墳と地域間交流」を聴講したとのことで、その折の資料コピーを送って頂いた。 山口県埋蔵文化財センターの職員の方が講師で、このブログでも何回か書いてきた厚狭の遺跡、長光寺山古墳や妙徳寺山古墳などを取りあげ、出土品や石室内の構造などの共通項から山口県内の他の遺跡と同様に、徐々に九州地域の影響を受けているとの講演骨子である。 山口県はその地理的条件から、現代に至るまで九州や朝鮮半島の色々な影響を受ける土地柄であり、ある意味当然のことかもしれない。 その資料の一部に私にとって懐かしい円墳の「沓古墳」が取りあげられていて、このブログに書かせて貰うことにした。 沓古墳は私の生まれた村・鴨庄の北隣にあり、鴨庄から沓地区へ抜ける道がJR 美祢線と交差する踏み切りの北約100mの田の中にあり、私の子供時代には田畑の耕作により墳