心身に重大な影響を及ぼす気がする。 吐き気がする。帰宅後もふと。
アラフィフ男子なんだけど、がっかりって単純に落ち込んだときの言葉じゃないの? あの発言がそれほど炎上するように思えないんだけど。 「五輪相としてどう思いますか?」って記者に聞かれてたら至極妥当。 本人を思いやる言葉があえてカットされてる可能性もあるのにこんなに簡単に炎上するほうが怖いし、一番つらいであろう病気になった本人を放置したまま明後日方向の正義感振りかざしている人間のほうがよっぽどだと思うんだけど。 老人養護するつもりは一切ないけど、これに関しては若者のほうが完全にどうかしてるよ。 ※追記 結論。「がっかり」は今の時代、相手に対する失望としての意味合いが強くなり、ただ単純に落胆という意味を失いつつある。 50歳以上の方はがっかりの使い方に注意して必要がなければ使うのは避けよう。
よく子供の教育などで口で言えば、分かるというが人の痛みが口で分かるのだろうか?という疑問。 この間の暴力問題は論外として、怪我をさせるのが目的ではなく軽い拳骨(コツン程度)や手をはたく程度でも体罰というのなら、 一体何で痛みを教えると理解するのだろうか? 言葉で言えば分かるというが、言葉でどうやったら理解できる? 例えば『食事の話』をしたとして料理の美味しさやまずさはm実際に味わったから理解できる。 でも、食べずして好きだ嫌いだっていうのは分からない。 例えば、『マラソンの話』をしたとして、マラソンをして息があがって苦しくなるのは、経験するから理解できる事でしょう? ※例え話は、あくまで例なので関係ないじゃんとかいうツッコミは不要。 そういう風に経験するから理解できる事であって、悪い事をしたとして、それが悪い事であるというのを言葉だけで理解させるには 限度があると思うのだけど、どうにもこう
それは人間という種が生き延びるにあたって正しいことではあるけど 別に遺伝子様のキャリアーが人間の存在意義じゃねぇんだから そういう理屈とか合理性で多様性を尊重するのはおかしいだろ 「過去の天才の一部は発達障害やアスペルガーだった(から尊重する価値がある)」ってのと同根の問題 役に立つとか意義があるとかそういう価値観なら今まで一緒だろと
つい先程、俺の事務所におばさんが突然来た。 おばさんは、俺の母親に用事があるとかで、母を訪ねてきたとのことだった。 母は3年前にガンで亡くなった事を伝えると、ビックリしていた。 そのおばさんと、母の思い出話をしばらくしたあと、 そのおばさんは恥ずかしそうに「今お金に困っているので、1万円貸して欲しい」と言った。 見ず知らずの人にお金を無心されたのは、生まれて初めてのことだったけど、 俺は迷わず、10,000円を貸してあげた。おばさんはひどく嬉しそうだった。 おばさんは来週までに必ず返しますと言ってた。連絡先は訊かなかった。 おばさんが帰ったあと、そのやりとりを見ていた事務所の女の子に、 お金は帰ってくると思う?と訊くと、「戻らないと思う」と断言していた。 でも、俺はあのおばさんは、1万円を返しに来ると思う。
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