タグ

2006年6月25日のブックマーク (8件)

  • 出来るだけ佳い女のスカートに、繰り返し顔を突っ込もうとする俺 - シロクマの屑籠

    スカートの中を覗くためなら、媚びて媚びて媚びまくってやる - シロクマの屑籠に対して、突込みが入った! え? なんで? お店にいって、お金払えばいいじゃない? クジャクみたいになる必要も、雄鹿のようになる必要もないよ。不思議だなぁ。 でも、もし、それじゃ物足りないと思うのなら、あなたの望みは「女性のスカートの中に顔を突っ込みたい」なんてほど単純なものじゃない。そこにはいろいろなものが隠れてる。単純化した理屈をこねてその複雑性から目をそむけようとしないで欲しいな。そこに隠れてるものこそがモテと非モテを分けていて、俺はそれを明らかにしたいと思ってる。明らかにすることで、問題を(解決には至らずとも)前進させたいと考えてるんだ。 from:2006-06-22 - 読書感想日記 こんなこと指摘されちゃった!私はスカートの中を除く為に――つまり異性と親密な関係に至るために――全身全霊を費やす心意気を

    出来るだけ佳い女のスカートに、繰り返し顔を突っ込もうとする俺 - シロクマの屑籠
    huruike
    huruike 2006/06/25
    短期的交際や性風俗よりも、ディスプレイの向こうの人形にリビドーをぶつけたほうが混じり気の無いワガママを一方向的にぶつけることが出来るので気楽だ。
  • 「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常

    労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。望むらくは、消費者としての多様性すらみられない、没個性的な金太郎飴のような労働者がいい−−不満を抱いた時に、何か共通の娯楽でも与えてやれば黙ってくれるような労働者がいい。それでも人間は幸せになれないことはない*1。 にもかかわらず、そこここの教育分野では、こうした「

    「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常
    huruike
    huruike 2006/06/25
    それでも挑戦したい。「幸せ」と「将軍の夢」のバランスを保ちながら挑戦する必要があるな。→最近は兵士としての誇りを持ちながら仕事をしたいという風に変わってきた。
  • ある種の業種では、「練兵所」なんて要らない。必要なのは「弾薬工場」と「鉄砲玉」だ!

    「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常 - シロクマの屑籠 コメントやはてなブックマークをみているうちに、ふと気付いた。ああそうか、職種によっては、「将軍」や「参謀」にあたるほんの一握りさえいれば、もう「兵士」すら要らないんだ、と。堅実な古参兵を生み出すような「練兵所」が要らない業種があるんだな、と。 例えばアニメの世界。例えばプログラムの世界。テクノロジーの進歩が早かったり、ただベテランを高給で雇ってもメリットの薄い業種なら、夢見心地の新兵を毎年雇っては使い捨てにしたほうが(雇用者側にとっては)旨味がある。若いのを大量に雇って、むしろ長続きさせず、給料があがらないうちに使い捨てる*1という手法。少なくとも自分が事業者だったらそれを考える。使い捨ての若年労働者を求める邪悪な事業主は、「夢という名の麻酔」をかけたままルーキーを輩出してくれる教育機関を、ありがたいと

    ある種の業種では、「練兵所」なんて要らない。必要なのは「弾薬工場」と「鉄砲玉」だ!
    huruike
    huruike 2006/06/25
    、「夢売り教育機関」に釣られてきた若者を、彼らが夢見ている間だけ(或いは心身が維持される間だけ)こき使った時に最高の費用対効果をみることが出来る。心身が疲れるとどうしようもない。
  • モチベーションと職業教育 - socioarc

    モチベーションと職業教育 Society 「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常 ある種の業種では、「練兵所」なんて要らない。必要なのは「弾薬工場」と「鉄砲玉」だ! いつもながらシビアで身も蓋もないエントリであるものの、極めて的を射ているように思われる。仕事関係のサイトが余り積極的には書かない部分だが、「「社会化装置」化する大学」でいうところの学生の希望を現実的なところに落とし込む「学校の役割」というところとも通じるものがある。高校入試や大学入試がそうだったように、仕事においても、基準はそれぞれ違うにせよ、ピラミッドや輪切りの構造があるにも関わらず、一体何故ある種の大学や、専門学校は、そうした高過ぎる夢を持ってしまうような教育を行ってしまうのか。 恐らくそれは、授業を成立させるためにそうせざるを得なかったのではないか、と考える。 家庭の教育がしっかりしていたとい

    huruike
    huruike 2006/06/25
    若者が、身近な親ではなく、TVの向こう側にロールモデルを置いてしまうのも、無理のないことだろう
  • 話題力パターン - socioarc

    話題力パターン Communication 先日、雑談力についてニュースエントリで触れたが、今回は、コミュニケーションにおける話題力について考える。雑談の場合、ノリや共感力(相手に関心を持てること)、非言語ソーシャルスキルの要素が大きいと考えられるが、コンテンツ面から見ると、興味・関心の多様化により、共通の話題が見つかりにくいこともまた、雑談に苦手意識を持ちがちな理由の1つであると考えられる。特定の話題についてはいくらでも話せるが、世間の話題には全くついていけないということだと、自分が得意とする話題にヒットしてくる確率は小さい。しかもその得意とする話題が自分から大っぴらにしにくいものだと更に厳しい。これは言って見れば幅が狭く奥が深い「I字型話題力」ということができる。 逆に、どんな話題でも対応できる反面、どれも詳しくはない人は、「一字型話題力」ということになる。これは情報源が、TV、新聞、

    huruike
    huruike 2006/06/25
    、一字型の人であれば、ネットで興味のあるテーマを深掘りし、I字型の人は、ネットはやめ、回線を切って、代わりにTVや新聞、一般誌といった幅を広げる情報源を活用する、ということになる。
  • 九尾のネコ鞭「会話はキャッチボール」の本当の意味

    「会話はキャッチボールなんだよ」ってのは良く聞くお説教だが、私は今までその意味合いを勘違いしてきたようだ。最近、ようやくそれが判明した。 私はこれまで、この言葉の意味を「一方的に話すな」と言う意味として捉えてきた。会話はスピーチじゃないんだから、こちらが喋った後は、相手も喋る。会話が行き交う。つまりキャッチボールなのであると。 だから私は、そんなことは当たり前じゃないか、と思ってきた。私はコミュニケーション不得手ではあるけれど、別に、自分が喋ったら即、耳をふさいで「あーあーあーあー、きこえなーい、きこえなーい、ぜんぜんきこえなーい」とか首を振り振り、叫んでいるわけじゃないのだ。キャッチボールはちゃんとやっている。訳の分からんお説教するな。そう思ってきた。 しかし、この捉え方が、根的なところで大きく間違っていることが判明した。 ポイントは「キャッチボール」という暗喩である。 良く考えてみれ

    九尾のネコ鞭「会話はキャッチボール」の本当の意味
    huruike
    huruike 2006/06/25
    私は会話においてキャッチボールなんてほとんどしていなかったように思う。どちらかと言えばドッヂボールに近かったように思う。相手に如何に剛速球を投げるかを考えてきた。
  • zico goals

    zico goals

    zico goals
    huruike
    huruike 2006/06/25
    基礎と応用
  • Amazon.co.jp:上司も先輩も教えてくれない 会社のオキテ: 本

    Amazon.co.jp:上司も先輩も教えてくれない 会社のオキテ: 本