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ブックマーク / dergeist.hatenablog.com (15)

  • ホッテントリで振り返る、「承認欲求」論の歴史(06~08年) - 長椅子と本棚2

    はじめに なぜ承認欲求と自己愛が問題になるのか? - デマこいてんじゃねえ! 読んでて、そもそもどういう「承認欲求」のことを言っているのかよくわからないし、それを夢とか自己愛とかとアクロバティックに繋げられてもなんとも言いがたい、というのが正直な感想でした。ういにゃんさんのツイートを受けて書かれたんじゃないかなと邪推しておるのですが、具体的な場面に沿って確認してみないとうまくあてはまるかどうかわからないな、と。 それはそれとして、じゃあ「承認」という言葉について、どんなふうに遣われてきたのか、そろそろまとめがあってもいいんじゃないかなと思って調べてみました*1。調査歩法として、「承認欲求」ではてなブックマーク検索して、100ブクマ以上の記事を眺めつつ、主観も交えながら目星をつけて、周辺の記事をたどってまとめました。なぜ08年までかというと、黎明期が見れて面白いというのと、単純に古いほうから

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  • 「啓典宗教における神の絶対性について」はヤバい - 長椅子と本棚

    啓典宗教における神の絶対性について とにかく致命的に粗いです。論理的な飛躍も随所に見られます。ちょっと勉強した大学1年生が作ったメモ、といったところだと思います。最初見たときツッコミ入れるまでもないだろと思ってスルーしたのですが、ブコメで称賛されてるのを見て危機感を覚えたのと、常日頃、自分が適当なことを書いてしまった時は誰かに訂正してほしいと思っているので、ちょっとだけツッコミを入れておきます。 啓典宗教における神の絶対性について まず、この表題が間違っています。当に言いたいことはこれじゃないはず。これについてはあとからまた問題にします。 ユダヤ教ならびにその影響を受けた宗教(キリスト教、イスラム教)を啓典宗教と言います。 「啓典宗教」? いきなり怪しい。この言葉は使わないほうが良いと思います。理由の第一は、これがイスラム教の術語で、あまりニュートラルな言葉ではないということです。「啓典

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  • 人狼における恋人陣営の戦略とかオフレポとか - 長椅子と本棚2

    昨日、Twitterで昔から仲良くしている皆さんと一緒に、こちらの人狼会に参加して参りました。 5/5 セシオン杉並 GW人狼会-2013 開催のお知らせ - かこのじゅばく それで、オフレポというやつを書いてみたいのですが、普通の日記を面白おかしく書く技量はないので、ちょっと変則的に考察っぽいものを書いてみます。ちなみに私は人狼弱いですので、あんまり信用しないで疑ってかかる感じで読んでいただくことをおすすめします。 「恋人村では初日フルオープン」とその対策 終盤の一局。私はQPを引き当て、@blauesさんと@pes_soさんを恋人に指名しました。その村の話。今回の人狼会では、「恋人村では初日で占い・霊能・共有オープン」がセオリーとして受け入れられていました。ある程度有効なセオリーだとは思うのですが、確実にこれの戦術がとられるとわかっている場合に、キューピッドはどう対応すべきか、というこ

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  • 人狼は嘘をつくゲームではない - 長椅子と本棚2

    「人狼は嘘をつき騙し合うゲーム」という嘘 このところ、人狼の注目度が上がっていると聞く。そのこと自体の是非はとりあえずどうでもよい。ただ、「嘘をついて人を騙すゲーム」として人狼が紹介されていることには、強い違和感がある。 確かに、ゲームの中で嘘をつかなければならない場面は存在する。しかし、その場面は意外に少ない。というか、明確な仕方で嘘をつく場面というのは、狼陣営で、占い師などの役職を騙るときだけである。嘘をつくことは、かなり限定された場面での戦術の一つにすぎないのである。 そもそも、嘘をつくのは狼陣営だけだ(ハムスターや恋人などの第三陣営は今回は考慮しない)。しかし、ゲームに参加すると、村人になる確率の方が圧倒的に高い。そして、村人は、嘘をついたり、誰かを騙したりしない(少なくとも普通は)。これだけのことからも、嘘をつくことが人狼というゲームの中心でないことはわかる。 「騙し合い」という

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  • 起承転結という概念には中身がない - 長椅子と本棚2

    文章構造として「起承転結」がいいのかダメなのか、という論争がある。しかし、起承転結という概念は、そもそもそのような論争に値しない。なぜなら、論者に依って、「起承転結」という言葉に込めている意味がバラバラだからだ。 このことは、「起承転結」でぐぐって上位にくる結果を少しながめてみるだけでもわかる。たとえば、以下のnanapiの記事。 起承転結をはっきりさせて文章を書く方法 | nanapi ここでは、 起=「書く文章のテーマ(小論文や感想文)に対しての自分の意見」 承=「テーマとなっている物に対しての自分なりの解釈や要約のようなもの」 転=「自分が『承』で書いたことに対しての自分がどう思ったのか、そしてそう思った理由を詳しく」 結=「『起』で述べた自分の感想に少し戻り、「『承』、『転』でこう思ったことにより自分は『起』のように思った。」といった風にまとめる」 という感じでまとめられている。

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  • やまもといちろう氏のイケダハヤト氏評に見るブログ論 - 長椅子と本棚2

    やまもといちろう氏とイケダハヤト氏の対談の書き起こしを読んだんですけれども、これ完全にイケダさんをダシにやまもとさんがブログ論を語る会ですね。まあそれはそれとして、やまもとさんのブログ論から、イケハヤさん批判にとどまらないないスローガンを取り出せるのではないかと思ったので書いておきます。それは、「バカでもいいから責任を持って丁寧な議論をしよう」ということです。 イケダハヤト「ブログとは自己主張である」 「イケダハヤト批判にとどまらない」とは言いましたが、まずはイケダさんの主張から少し見てみましょう。彼の第一声。 1.もっと自己主張しよう。僕らは自分の言葉で言わない。それが悪いことにつながる。その裏返しで。2.誰かが何かいうと、出る杭を叩く。例を出すまでもない。多々あるでしょう。みなさんも。だから、3.お話にならない。人が何か言おうとしたときに叩くのは生産的じゃない。 1は合っていると思いま

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  • 本ブログから全文無断転載してるサイトを調べていたら、いろんなサイトがRSS経由で転載されていた - 長椅子と本棚2

    先日、いつものようにエゴサーチしていたところ、私が書いた記事が、知らないサイトに掲載されているのを発見しました。しかも、「投稿者:dergeist」なんて書いてあるし。 dergeist | 神サイトまとめ (魚拓:http://megalodon.jp/2013-0324-0023-40/blju2.net/feed/?author=422) いやもうね、なんですかこれは。エゴサーチでたどり着いたのは、ブログの検索順位をこの転載記事が抜いてたからですよ。やってられないです。 おそらくは RSSフィードを取得してブログ記事を自動投稿するプラグイン「FeedWordPress」 これを使って、フィードからWordPressに自動で投稿しているのだと思われます。好意的に考えれば、転載ブログ製作者の方は、深く考えずに「これで簡単に良質なサイト作れるww俺天才www」とか思ったのかもしれないです

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  • Facebookの「感動のバス話」の何が問題なのか? - 長椅子と本棚2

    今日は以下の記事について書く。 Facebookで大人気の「感動のバス話」は2ちゃんねるのパクリ改竄されたもの - Hagex-day info 2ちゃんねるから盗用してFacebookに「イイ話」として投稿することや、それをシェアすることは、褒められたことではないと私も思う。しかし、気になるのはその理由である。この事案への嫌悪感は、実は非常に複雑に構成されているのに、この点が正しく理解されていないように思える。 「嘘を真実であるかのように語っていること」が問題なのか? 元記事を書かれたHagexさんは、以下のように書いている。 感動バスエピソードのコメント欄で「これは2ちゃんねるからの盗用じゃないか?」と指摘がでると、他のユーザーから「例え嘘でもイイ話だから問題ないです」という意見が多数でた(残念ながら現在は削除されている)。 私は「嘘でもイイ話だから問題ない」という回答が信じられない。

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  • ブログは論破されることに意味がある - 長椅子と本棚2

    今日は私がブログを書く理由について書きます。それは、論破されるためです。言い換えると、自分の見識がいかに狭量で間違っているかを知るためです。 このブログの記事は、見て頂ければわかるのですが、おそらくはいかにもドヤ顔感いっぱいの上から目線な雰囲気に仕上がっています。でもこれは、別に「真理に気づいてしまった俺が無知な読者のお前らに教えてやろう」と思ってやっていることではありません。そうではなくて、自分がその時点で正しいと思うことを出来る限り率直かつ簡潔に述べることが、議論の作法であり、書き手の責任だと考えているからです。 特にブクマが伸びた記事などでは、しばしばコメントで辛辣な批判もいただいています。しかも、そうした辛辣なコメントの多くは、私の記事側の間違いを的確に突いています。この2ヶ月書いてきたことの半分くらいは、既に間違っていたのではないかと考えるようになっている程です。これははっきり言

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  • 「遺族に実名公表を拒否する権利はない」というマスコミの主張は正しい - 長椅子と本棚2

    タイトルの真意は、「遺族に実名公表を拒否する権利があるか否か」という問題と、「報道機関は情報を集めるためにどんな手段に訴えてもよいのか」という問題とは全く別の問題だ、ということである。この二つを区別しないと、おかしなことになる。 何も私は一方的にマスコミを擁護しようとするのではない。しかしながら、上のことが理解されなければ、正しくマスコミを非難することができなくなる。それは結局、マスコミが犯した誤りを曖昧にし、言い逃れを可能にすることにつながってしまう。 何の話をしているかというと、以下の二つの記事の話である。 (cache) 朝日新聞デジタル:犠牲者の氏名伝える意義は 朝日新聞「報道と人権委員会」 - ニュース 傲慢の見のような記事 - 新小児科医のつぶやき 二番目の、朝日新聞のコメントを非難するid:Yosyan氏の記事の中の、以下の箇所は誤解に基づいているように思う。 宮川委員 遺

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  • 千早のこと - 長椅子と本棚2

    以下の記事は、無印アイマスにおける千早を念頭において書かれていることを初めにお断りしておく*1。 如月千早はなぜアイドルをやっているのか? それは、歌を歌うためである。こう答えられれば、765プロのプロデューサーとしてはさしあたり合格かもしれない。しかし、如月千早のプロデューサーであるならば、もうひとつ、答えなければならない問いがある。 如月千早は、なぜ歌うのだろうか? 失われた家族との幸せ 如月千早はなぜ歌うのか。この問いに答える際に、まず手がかりとなるのは、彼女の家族をめぐるエピソードだろう。弟の死と、両親の不和。そのあらましは、有名な「墓コミュ」、ある日の風景5において語られる。 弟の記憶は、以下の一言によって、彼女の歌とつながる。 「弟は……いつも、私の下手な歌、よろこんで聴いてくれました」 そう、弟がよろこんで聴いてくれた記憶。ここで、千早の歌は弟に、家族につながる。それだけでは

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  • 肉じゃが的「つるぺた」と、カツカレー的「つるぺた」 - 長椅子と本棚2

    前回の記事にいただいたコメントを眺めていて気づいたことだが、「つるぺた」というは現在、3つの意味で用いられている、と言えるように思う*1。 第一に、第二次性徴発言前の幼い少女の体型を指す、というもの。第二に、「貧乳」のことを指して「つるぺた」と呼ぶもの。第三に、「無毛=つる」プラス「貧乳=ぺた」のセットを「つるぺた」と見なすもの。これらのうち、特に第三のものと第一のものの違いは、一見するとわかりにくいかもしれない。以下、コメントを紹介しながら、これら三つの違いを考察したい*2。 Wikipediaをはじめとする多くの百科事典では、第一の、「二次性徴前の少女の体型」という意味が説明されている。はじめに確認したいことだが、前回の記事ではこの意味を「正しい意味」とみなした。そしてこれを根拠に、琴浦春香や如月千早は「つるぺた」ではない、と述べてきた。 はじめに、論点を明確にするために、「なぜこれが

  • 「つるぺた」の誤用はどこから一般化したか - 長椅子と本棚2

    誤用の象徴としての『琴浦さん』と千早 まずはこちらをご覧頂きたい。 あとこれも。 さて、改めて指摘するまでもないことだが、「つるぺた」の原義を厳密に取れば、琴浦春香も如月千早も「つるぺた」ではない。Wikipediaもニコニコ大百科もこれを支持しているが、もっとも簡潔なのは、ピクシブ百科事典の以下の記述だろう。 つるぺたとは、つるつるな未だ生えてないパイパンな局部(剃毛は含まれない)と、ぺたぺたで引っかかりが無いおっぱいの事である。 ロリキャラを指す事が多く、貧乳だけて捉われ誤解されることも多いが無毛とセットが正解。 語源はアリスソフトファンクラブ会報内で提唱された「プロジェクトつるつるぺったん(PTTP)」が元。 (つるぺた (つるぺた)とは【ピクシブ百科事典】) また、Wikipediaには「思春期前の幼女の体型」と明記されている(つるぺた - Wikipedia[2012/09/04

    「つるぺた」の誤用はどこから一般化したか - 長椅子と本棚2
  • まとめサイトの手法は、テレビのワイドショーと全く同じ - 長椅子と本棚2

    「インターネットがあればテレビはいらない」という意見を耳にするようになって、もう10年ほどは経つのではないだろうか。まだまだテレビは力を失っていないが、少なくともある程度のパイをインターネットに奪われていることは確実だろう。それでは、この変化の理由は何だろうか。インターネットが、情報源として、またエンターテイメントとして、テレビより優れているからだろうか。 そうではない。インターネットがテレビのシェアを奪っているのは、それがテレビと異なるからではない。そうではなく、テレビとちょうど同じような楽しみを提供しているからである。今日はこのことを、インターネットの中でも「まとめサイト」というインターネットの文化と、テレビのワイドショーの共通点に着目することで示してみたい。 具体的には、以下の5点にわたって、まとめサイトとワイドショーの共通点を指摘してみる。 センセーショナルな見出しで目を引き、広告

    まとめサイトの手法は、テレビのワイドショーと全く同じ - 長椅子と本棚2
  • 人類はそろそろテレビがニュースに向いてないことに気づくべき - 長椅子と本棚2

    ここ10年来、夕方のニュースを中心に、ニュース番組のバラエティ化がとくに著しい(あれがバラエティだということに気づいてない人は、考えを改めた方が良い)。しかしこの変化は、テレビの堕落などではなく、テレビという媒体の特性を反映した変化だと思う。テレビという媒体は根的に、日々のニュースを伝えるのには向いていないのだ。 テレビがニュースに向いていない理由。それはすごく単純で、ニュースの量は日々変化するのに、番組の尺は決まっているからだ。重要なニュースが立て続けに起こる日もあれば、それほどニュースの怒らない日もある。しかし、番組の長さは例えば5時から7時までと決まっている。これは大変なことだ。どれだけ大変かわからなければ、一度、5分のニュース動画を作ってみるといい。5分間、間延びすることなく見続けられる映像を作るということが、どれだけ大変か。たった5分の映像のために、どれだけの素材が必要か。それ

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