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innovator's dilemmaに関するhyoshiokのブックマーク (4)

  • エンジニア適職フェアで講演をした - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    http://type.jp/s/fair/e/ 今回の講演は、パワポを利用したお話ではなく、司会の伊藤さんとの対談というような感じで行った。 パワポなしの講演に初挑戦である。 ざっくりいって、プログラマ視点からのIT業界のこの30年みたいな感じの与太話である。 昔は、ソフトウェアを作りたければハードウェアベンダーに就職するのが当たり前で、その後、ソフトウェアベンダーが台頭して来たので、そこで働いて、90年代中頃以降インターネットの出現によって、IT業界のソフトウェアを作るところもごろっと変わった。 ソフトウェアを作るのがごろっと変わったというのはどういうことですかという伊藤さんの質問。ソフトウェア製品を作ることとウェブサービスの作り方は全然違う。例えば、OSでもRDBMSでもソフトウェア製品は出荷してインストールしてもらって使ってもらう訳で、出荷後に変更することはできない。組み込みソフト

    エンジニア適職フェアで講演をした - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    hyoshiok
    hyoshiok 2014/04/20
    1 パワポなしでお話をした。
  • Can-Do vs. Can’t-Do Culture - 未来のいつか/hyoshiokの日記

    http://recode.net/2014/01/01/can-do-vs-cant-do-culture/ As a venture capitalist, people often ask me why big companies have trouble innovating while small companies seem to be able to do it so easily. My answer is generally unexpected. Big companies have plenty of great ideas, but they do not innovate because they need a whole hierarchy of people to agree that a new idea is good in order to pursue

    Can-Do vs. Can’t-Do Culture - 未来のいつか/hyoshiokの日記
    hyoshiok
    hyoshiok 2014/01/03
    1 大きな会社でイノベーションを行うのがなぜ難しいか。
  • 「UNIXをC++で分散OSに書き直せ」、幻に消えたBill Joyの野望とは - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート

    UNIXの歴史にはある大きな転換点があり、そこには「もう一つの未来」の可能性が開けていました。この転換期に起こった出来事は「UNIX戦争」として知られていますが、その背景に「UNIXをC++で分散OSに書き直す」という野心的な計画があったことは、今ではほとんど語られることはありません。 私は、この一連の出来事の時期に、『日経エレクトロニクス』の記者としてUNIXの動向を追っていました。当時の出来事の概要を、取材者の視点から書き記しておきたいと思います。多くの読者にとって初耳の情報も含まれていると思います。 一連の出来事の発端は1987年に発表された、Sun、AT&T、Microsoftによる統合UNIXの発表です。この発表の前夜がどういう時代だったか、という話がまず必要でしょう。 統合前夜 1980年代後半は、コンピュータの歴史でも重要な時期でした。この時期、32ビット・マイクロプロセッサ

    「UNIXをC++で分散OSに書き直せ」、幻に消えたBill Joyの野望とは - ITジャーナリスト星暁雄の"情報論"ノート
    hyoshiok
    hyoshiok 2012/06/26
    46 LinuxはUnixに対する破壊的なイノベーション。
  • 瀕死のコダックと飛躍する富士フイルム

    (英エコノミスト誌 2012年1月14日号) コダックは瀕死の状態にあるが、同社の旧敵、富士フイルムは力強く成長している。なぜか? レーニンは「資家は自分の首をくくるロープを売る」と嘲笑ったと言われる。この引用は偽物かもしれないが、そこには一抹の真実が含まれている。資家はしばしば、自らの事業を破壊する技術を発明するのだ。 イーストマン・コダックは、まさに絵に描いたような好例だ。同社は1975年に、他社に先んじてデジタルカメラを開発した。デジタルカメラの技術と、それに続くカメラにもなるスマートフォンの開発は、コダックの従来のフィルムおよびカメラ生産事業を打ちのめし、瀕死の状態に追いやった。 名門コダックの最期? 振り返ってみると不思議だが、コダックは当時のグーグルだった。1880年に設立されたコダックは、先駆的な技術と革新的なマーケティングで知られていた。「あなたはボタンを押すだけ、あと

    hyoshiok
    hyoshiok 2012/01/21
    164 コダックの変化が遅かったもう1つの理由は、「まずモノを作り、売り出し、それに修正を加えるというハイテクの世界の考え方ではなく、完璧な製品を作るというメンタリティーに捕らわれていた」
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