タグ

言葉と歴史に関するhystericgrammarのブックマーク (3)

  • 京都のマンションポエムが、やたら“中心”という言葉を使いたがる理由 | 文春オンライン

    今回は京都・中京区のマンションポエム鑑賞である。緊張する。千葉なんぞで生まれ育ったぼくにとって、京都は恐れ多い街だ。ぶぶづけの話や京女の怖さなどを聞かされてきた東者は萎縮せざるを得ない。 京都の中心・中京区のマンションポエムは“こわい” 京都出身・在住の友人は何人かいて、みんな竹を割ったようにさっぱりとした性格のナイスガイたちだ。しかし彼らは京都の端の方に住んでいる。京都といっても広い。割った竹は嵯峨野のものではない。なので、今回のマンションポエム分析対象である中京区という中心地はやっぱりこわいままなのである。おそるおそる当該エリア物件のウェブサイトを覗いてみよう。 中京区といえば、その名の通り京都の中心も中心。ポエムも「センター推し」である。 フージャースコーポレーション「デュオヒルズ京都室町通 鯉山町」ウェブサイトより 「正鵠」にはおそれいったが、まあふつうにマンションポエムらしいマン

    京都のマンションポエムが、やたら“中心”という言葉を使いたがる理由 | 文春オンライン
  • 刺繍のメディア史「テキスタイルが伝えてきたもの」

    女性の政治参加が認められなかった時代、彼女たちは"家庭でのものづくり"を通して、世界にプロテストやアクティビズムを叫んでいた。メディアとしての刺繍や編み物のあり方、現代の女性たちに引き継がれている精神を探る。 女性が自由に、安全に、そして公的に発言ができるようになる遥か前の時代から、女性は刺繍や編み物を通して政治的視点やプロテストの声を表現してきた。1970年代、刺繍と編み物は、第二波フェミニズムのなかで、伝統的にして男性至上主義のアート業界に大きな衝撃を与えた。現在も多くの女性がテキスタイルをコミュニケーションの方法として、そして資消費主義に対峙するひとつの方法として用いている。テキスタイルは、女性の歴史において常に、さまざまな局面で「裁縫」と「修繕」以上の意味を持ってきたのだ。 エリザベス・エメリー(Elizabeth Emery)は、大学で美術の勉強をしていた学生の頃から、数世紀に

    刺繍のメディア史「テキスタイルが伝えてきたもの」
  • ■ - 偽日記@はてなブログ

    ●有原友一、高木秀典展のトーク。個人的にはいろいろ反省するところが多い感じになってしまった。作家の制作話を聞いて、適宜つっこんだりする軽い感じを想定して、あまり準備などもせずに臨んだので、「絵画」とか「絵画性」みたいな大きな話に対応できなかった。 「絵画」と言ったとたんに、膨大な歴史と参照すべき様々な議論の蓄積が押し寄せてきて、しかしその一方、個々の作家や観者は、素朴な(実践的な)次元でそれぞれに「絵画というものに対する感覚」を持っていて、不用意に「絵画」と口にすると、その両者が混ざった曖昧な領域を指す言葉になってしまい、何を言ってもなんとなく納まるけど、あまり何も言ったことにならない感じになりがちだとぼくは思っている。 「絵画」と「言う」ことの面倒くささ。「絵画」という語にはあまりに多くのコノテーションがこびりついてしまっている。だから、おそらく今のぼくは「絵画」と言いたくないのだと思う

    ■ - 偽日記@はてなブログ
  • 1