アダム・スミス――経済分野の「偉人」として驚異的な引用数を誇り、「経済学の父」と讃(たた)えられるものの、自由市場や富裕層を擁護して政府や女性を嫌う、と誤解されている。主著の『道徳感情論』と『国富論』についても、前者は利他主義と善、後者は利己主義と強欲を説いていて、両者が整合しないと批判されることも多い。私生活は地味で、顔も人柄も曖昧だ。本書は、このように歪曲(わいきょく)され、伝説化している
東京の下谷根岸に生まれる。父・山本三郎(1879-1928)は、坪内逍遥に傾倒し慶応から早稲田に転学し、詩人・山本露葉として児玉花外、山田枯柳らとともに若手の新体詩人として注目されたが、夏彦は三男で小学6年時に、父は50歳で亡くなった[1]。なお祖父は高利貸しの山本義上(1848-1909)で、父の代は資産家であった。 父・露葉の友人であった武林無想庵に連れられ15歳で渡仏。3年後に帰国し、24歳のときにフランス童話『年を歴た鰐の話』の翻訳で文壇デビュー。戦後まもない1950年に工作社を創立、没時まで編集兼発行人、コラムニストとしても活動した。 没時まで『週刊新潮』に「夏彦の写真コラム」を連載していた。月刊誌『諸君!』(文藝春秋)でも「笑わぬでもなし」を没する寸前まで350回余り執筆連載した。 長男山本伊吾[2]は新潮社で、編集者として写真週刊誌『FOCUS』の編集長などを務めた。義兄(姉
著者:山本 夏彦出版社:文藝春秋装丁:文庫(301ページ)発売日:2000-05-00 ISBN-10:4167352133 ISBN-13:978-4167352134 内容紹介: 著者が発行人を務めるユニークな雑誌「室内」の歴史を様々な角度から振り返りつつ、自らの戦中、戦後を語る。「命は旦夕にせまっているんですぞ」「メイハタンセキって、なんですか。胆石をわずらってるんですか」。美人才媛ぞろいの社員と交わす抱腹絶倒、かみ合わぬ会話の中に、卓抜な指摘がある。 《室内の山本夏彦》と《室外の山本夏彦》山本夏彦は、まことに食えない老人である。その証拠をひとつあげよう。 この本のタイトルになっている『「室内」40年』の『室内』とは、もちろん山本夏彦が四十年(プラス五年)主宰しているインテリアの雑誌である。インテリアの雑誌だから『室内』、とだれしも思う。そして、なんと素っ気なく簡潔なタイトルであるこ
自炊をこよなく愛する内科医・生物群による、どこまでもやさしい食エッセイ。忙しない日常のなか、時に自分を甘やかし、許してくれる一皿の話。 ずっしりと重い荷物を抱えて、焦るような、それでいて楽しみでもあるような、これから大仕事があるのだという気持ちで家に帰ることがある季節が春です。気持ちのいい外気温、やわらかい風、咲いたばかりの花、これから芽吹いてくる緑、夕方になっても軽い気持ちでぶらつける、夜になっても寒くないことを肌で感じて嬉しくなる季節、だからいつまでも外にいたいのに、そういうわけにもいかない。春にはときどき急いで帰る日があります。 ところどころに泥がまだ付いて、それでも毛皮のように光る竹皮、切り口もみずみずしい掘りたての筍を米ぬかで下茹でするための夜です。 数年前の春の午後、友人が旅行から帰国して、旅行中に撮った写真を別の友人の店で展示するというので、ふらっと観に行くことにしました。新
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