平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。
重要なポイントは、大人も「いじめ」をするということ。 いじめは、あらゆる年齢層のあらゆる集団に存在している。にもかかわらず、いじめを学校の問題として語るのは、問題の矮小化にほかならない。いじめは子供だけの問題ではない。この社会に生きる私たち全員の病痾だ。 いまの学校は強制収容所だ。行きたくもないのに早起きをさせられて、会いたくもない連中と薄暗い部屋に閉じ込められる。学校に「通わせる」こと自体が、子供に対する人権侵害なのだ。学校に通わせることと、教育を受けさせることとは違う。現在はたまたま重なっているだけで、学校に通うことを強制する理由はない。 学校に行かないと社会性が身につかない――と、危惧する人もいるだろう。では、社会性(笑)を身につけた大人たちがどんな世の中を作っているのか。どんな生き方をしているのか。私たちが「社会性」だと思っている行動原理は、たぶん構造的にいじめを生む。 そんな社会
ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。 書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。 以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。 今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。 私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。 子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く