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内田樹に関するiR3のブックマーク (4)

  • いじめについて - 内田樹の研究室

    ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。 書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。 以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。 今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。 私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。 子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人

    iR3
    iR3 2012/07/13
    ふむこの構造からの帰結「競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人参と鞭」戦略を無批判に採用してる。」
  • 兵站と局所合理性について - 内田樹の研究室

    兵站についてツイッターに昨日少し思うことを書いた。 まず、それを再録しておく。 昨日言い忘れたことのひとつを思い出しました。logistics のこと。兵站学。義は「輸送、宿営、糧、武器、人馬の補給管理、傷病者の処置などに関する軍事科学の一分野」。日陸軍は伝統的に兵站を軽視したことで知られています。 司馬遼太郎が書いていましたが、日露戦争のとき、兵士は数日分の糧しか持たされず前線へ送られたそうです。「あとは現地で調達(強奪)せよ」ということです。伝統的に日陸軍はそうだった。 今回の震災の危機管理を見て、「これは日陸軍だ」と思いました。 「輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々トンボも鳥のうち」という戯れ歌のうちに大日帝国戦争指導部の兵站軽視は反映していますが、同じことが今も続いている。前線の「兵士」の活躍は大きく報じるけれど、それを支える兵站の仕事を高く評価する習慣はない。だから、みんな

  • 全国民必読「街場のメディア論」2011内田樹「新・格差社会情報貴族と情報難民」() @gendai_biz

    全国民必読「街場のメディア論」2011 内田樹「新・格差社会情報貴族と情報難民」 新聞・テレビ・雑誌よ、キミたちの言論に何の担保があるというのか マスコミの報道ひとつで、検事総長のクビも、大臣のクビも吹っ飛ぶ。でも何かが違う。安全地帯からひたすら石を投げるマスメディア。そのあり方は古すぎるし、害悪ですらあると、内田氏は話す。 壊すことに酔うメディア 一連の検察不祥事の責任をとって、検事総長が辞任するそうです。しかしこれで検察のシステムが改善されるかどうかはわかりません。 「検事総長のクビをとった」ことをメディアが自分たちの「戦果」だとして、そのことにある種の満足感や達成感を覚えているのだとしたら、それはむしろ危険なことだと思います。全能感に人間はすぐに「アディクト」(中毒)するようになるからです。 メディアは次々と血祭りにあげる獲物を探し続けるようになる。そのときにはもう、検察の組織改革の

    全国民必読「街場のメディア論」2011内田樹「新・格差社会情報貴族と情報難民」() @gendai_biz
  • 人間はどうして労働するのか - 内田樹の研究室

    『日の論点2010』(文藝春秋)が届いた。 そこに「労働について」一文を寄せている。 こんなことを書いた。 「働くとはどういうことか」 編集部から「働くとはどういうことか」というお題を頂いた。この問いがトピックとなりうるという事実から私たちはさしあたり次の二つのことを推論することができる。 (1)「働くことはどういうことか」の定義について、現在のところ一義的な定義が存在しない(あるいは定義についての国民的合意が存在しない)。 (2)そのことが「うまく働けない」若い人たちが存在することの一因だと思われている。 だが、「働くとはどういうことか」についての一義的な定義や国民的合意が存在しないことを私は特に困ったことだと思っていない。その理路を述べたいと思う。 人間だけが労働する。動物は当面の生存に必要な以上のものをその環境から取り出して作り置きをしたり、それを交換したりしない。ライオンはお腹が

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