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Since March 19, 2002 Last update: April 17, 2018 2018年4月17日:「管理栄養士国家試験過去問に挑戦」のページに、第32回管理栄養士国家試験午後の問題をアップしました。 2018年4月15日:「管理栄養士国家試験 過去問に挑戦」のページに、第32回管理栄養士国家試験午前の問題をアップしました。 2017年9月28日:「種々の食品をキウイフルーツ果汁で溶かしてみた」を新設しました。 2017年5月14日:「管理栄養士国家試験 過去問に挑戦」のページに、第31回管理栄養士国家試験午後の問題をアップしました。 2017年5月12日:「管理栄養士国家試験 過去問に挑戦」のページに、第31回管理栄養士国家試験午前の問題をアップしました。 2016年12月31日:「栄養士実力認定試験 過去問に挑戦」のページの公開を終了しました。
次の文章が何かを連想するな、と思って考えてみたら『疑似科学』だったので言及してみる。 時間が無いので散文的に。もしアレでアレだったら誰かが自分の意見をまとめてくれるだろうと期待して。 情報としての価値は、一般的には、ネガティブコメント、特に匿名でなければ言えないようなネガティブコメントの方が低いのだから 説得する相手は私や池田先生ではない。: la_causette 面白いことに、この【逆】を悪用すると『詐欺師』とか『疑似科学』になるんですよね。 疑似科学に付き物の『どこかの大学の偉い教授が実名で持論を述べる』って奴ですけど。 池田先生の話が出てきましたけど、以前池田先生のところでネットイナゴが話題になったとき、dankogai 氏がネガティブな言及をしているんですよね。dankogai 氏は一見して匿名*1のハンドルに見えますが、実はその道の有名人であり、しかも本名だったりします。 要は
ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」でなくなるのはどういうときでしょうか。 そのこととの関係で思い出すのは、私が司法修習生だったときに司法研修所の大講堂で聴いた平井宜雄先生の「良い法律論」についての講演です。要旨を一言で言ってしまうと、「反論可能性のある議論が良い議論だ」ということになります。逆にいうと、「反論可能性を与えない議論は悪い議論だ」ということになります。講演では、どのような法律論が反論可能性を欠く法律論なのかを具体論を交えて説明してくださった記憶があります。 ブログのコメント欄におけるネガティブコメントが「正当な批判」の範囲にとどまっているかを考えるにあたっても、この「反論可能性」という考え方は参考になるような気がします。但し、「反論が可能か否か」を考えるにあたっては、論理的に反論が可能かだけではなく、物理的または心理的に反論が可能かということを考えない
小倉さんの考える「排除したいネガティブコメント」が、具体的にどういう物なのかハッキリしないのだけど。 la_causette: 濫用される「批判されるのがいやならばコメント欄を閉じればいい」 la_causette: コメント欄におけるネガティブコメントの正当性の基準 僕は以前、「管理人が不快感を覚える可能性のあるコメント」のことをネガティブコメントとし、それを大きく4つに分類しました。(参考:ネガティブコメントのガイドライン) 事実確認(便宜上「第一種ネガティブコメント」とする) 異論・反論・批判 (便宜上「第二種ネガティブコメント」とする) 誹謗・中傷・侮辱(便宜上「第三種ネガティブコメント」とする) コピペ(荒らし)(便宜上「第四種ネガティブコメント」とする) 何か意見を述べるブログにおいては、上の二つは「避けてはいけないコメント」だと思うのですね。 事実確認や異論にも揶揄や嘲笑を伴
「批判されるのがいやならばコメント欄を閉じればいい」という言い回しを、ブログ主に対する人格攻撃や言いがかりをブログ主から批判されたりたしなめられたりしたコメント投稿者が用いるのは、何だか誤用という感じがします。 この言い回しは、ブログ自体のシステムをどうするのかということにあたって誹謗中傷等を減少させる試みをすべきという意見に対する反論としてなされるのであれば、それは一つの対抗軸としてあり得るかもしれないのですが、現実に誹謗中傷等を行っている人が、誹謗中傷していることを批判されたときに、その批判をかわすための論理に使ってはいけないように思うのです。 むしろ、「ネガティブコメントを批判されるのがいやならば、ネガティブコメントを投稿しなければよい」という方がすっきりきます。
ekkenさんから、 小倉さんの「匿名」に対する考え方が今ひとつピンとこないので、質問です。 私・ekken(または越後屋健太)は「匿名」でしょうか? もちろん辞書的な意味の「匿名」か否かではなく、ネットコミュニケーション上のそれについて、お答えいただければ幸いです。 とのコメントを頂きました。 ネット上での人格と現実空間での人格とを容易に同定できるのでない限り、「匿名」だと言わざるを得ません。そのネット上での発言の法的又は社会的な責任を現実空間での人格が実際に負うかどうかという点が、単なる別名使用と匿名の使用とを分けるポイントとなることでしょう。 「黒木ルール」は、「匿名でないと言いたいことが言えない」とするネットワーカーの多い日本の現状との妥協点を見いだそうとしたという意味で一定の評価をしうることは認めつつも、他方、ハイド的なキャラ設定をした固定ハンドル名を別途用意されると、「黒木ルー
家から一番近い繁華街はキングストン・アポン・テムズ。ここのハイ・ストリートの一角にロイド銀行がある。その玄関を入った所に、こんなものが。 有名な「HMVの犬、ニッパー」がこの銀行敷地裏に埋葬されているとのこと。 どんな所?と思って、受付のおねえさんに行き方を聞くと、二つ返事で裏口に案内してくれた。おや、なんて親切!と喜んだのもつかの間、ぷかぷか煙草を吸い出した(中では吸ってはいけないんでしょう):良い言い訳に使われたみたい・・・。 これが、その埋葬場所。。。ちょっとうらぶれ過ぎではないだろうか。 いずれにせよ、さっきのと同じ絵の入ったプラークがレンガの壁に嵌め込んである。 さて。 ここまで読んでいただいて、次のようには思いませんでしたか? A:「へぇ~、あの犬って、実在人物、じゃなくて実在犬で、ニッパーっていう名前だったんだ。」 B:「え??HMVって、どういうこと?!?このマークはビクタ
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