ブックマーク / saqwasad.hatenablog.com (7)

  • 「VTuberっぽい名前」をめぐって - 石少Q

    少し前にフォロワーが「VTuberっぽい名前のルーツが意外とわからない」という旨のツイートをしていて首肯した。この「VTuberっぽい名前」とは、だいたい一文ないし一単語をもじった名前のことで、もう少し広く捉えれば「姓名のあいだに文意・語意を含みもつ名前」くらい言えるだろうか。これを「VTuberっぽい」とする共通認識が漠然と形成されていることは、「VTuberの名前っぽい言葉」を列挙した画像の拡散され具合からもいちおう窺える。 ひとまず脳みそを絞り、またYouTubeの登録チャンネル一覧をひととおり確認して、該当するVTuberの名前を書き連ねてみる。当たり判定はやや大きめに設定し、完璧な一文・一単語ではない名前もいったん含める(「安土桃」や「生返るるる」など)。 2018 - 新川良(あらかわいい)|個人勢 - かしこまり|個人勢・upd8・Re:AcT・ビークエストなど - 夜野とば

    「VTuberっぽい名前」をめぐって - 石少Q
  • 仮縫いの声/言葉 - 石少Q

  • 軋む次元の透過光 - 石少Q

    私は「二次元」にあこがれているのではなくて、ただ「遠いところ」に行きたいだけなのではないかと、たまに思う。なぜなら、実写のコンテンツにあまり触れなくなったいまでも、ときどき思い出し、聞き返しているラジオのアーカイブがある。映像はないが、パーソナリティのかれらは紛れもなく三次元の人間である。つまり、その「遠さ」は物理的、ないし地理的な距離の意味ではない。過去や未来までの時間的な距離。あるいは閉鎖性、不可能性、そして非現実性までの、(結局のところ)次元の距離の意味である。何年も前に、ある密室で、声だけを保存されたラジオは、いまの私を癒やすのにじゅうぶん「遠かった」。たとえ根ざしている次元が、私と同じであったとしても。 ✴︎ ときどき思い出し、見返している動画がある。 pic.twitter.com/Ptb9VqACfH — 東雲はつり🔨10/3 一周年 DIY VTuber (@4noha_

    軋む次元の透過光 - 石少Q
  • カリンバと(見えない)指先 - 石少Q

    ここ数日間、眠るときには春日部つくしの「カリンバ雑談」の再生リストを流している。 youtu.be 私が春日部つくしの配信を観るようになったのはごく最近のことである。もともと熱心に視聴のフィールドを拡げるようなタイプではないので、黎明期から活動している人の周知の魅力に、少し遅れて気がつくようなことは多かった。春日部つくしに関しても、チャンネル登録こそしていたものの、配信はしばらく見過ごしていた(誰も配信していない時間が生まれるのがいやで、おすすめにVTuberという文字を見かけ次第チャンネル登録するようにしていたら、いつの間にか600人近くまで増えていて、自分でもなにがなんだかわからなくなっているのである……)。 きっかけはたまたま開いた雑談配信だった。そのときの私の、アーカイブよりは生配信、ゲームよりは雑談という気分に、「いつだって常夏さいたま」という重言かつ季節外れな、気の抜けた配信タ

    カリンバと(見えない)指先 - 石少Q
  • 待機所考(雨とバス停) - 石少Q

    数十分後、数時間後、数日後に始まる配信のことを、私たちは予め知っている。ときには、ほとんど無意識的にYouTubeを開く指先が、告知のツイートよりも先にその存在を見つけている、いつからか「待機所」と呼び習わされている場所。それを目にした瞬間から、私たちの生活には新たな引力圏が生まれる。この配信が始まるまでにシャワーを浴び終えよう。コンビニに行こう。明日のこの時間までに、作業を片付けてしまおう。「遅刻読み」というある種の信頼のかたちは、私たちの呼吸が、既に私たちだけのものではなくなっていることの証拠だ。 「待機所」という、馴染み深いようでいて、じつは日常さほど聞くことのない言葉を試しにツイート検索してみると、その多くがバーチャルYouTuberに関連していることが窺える。普通は取り立ててツイートするような言葉でもないので当然と言えば当然なのだが、主要な活動場所であるYouTubeの特有の仕様

    待機所考(雨とバス停) - 石少Q
  • 生まれつかないお嬢様 - 石少Q

    youtu.be ゲリラ的に告知されたにじさんじ初のソロデビューは当然のように世間の注目を浴びて、ネタ説、企画説、ドッキリ説など、さまざまな憶測が飛び交った。そのなかで私は、壱百満天原サロメという縁起のよさそうな名前と、それによく似合う美しくてかわいらしい身体が、一過性のものとして使い果たされてほしくないと、密やかに願っていた。 そんなことを思い出したり、忘れたりしているうちに数日が過ぎて、いつの間にか初配信の時間がやってくる。がっくりする準備はできていたし、その上で平静を装うつもりでいた。おそらく多くの人がそんなふうに、液晶に対して斜めに構えていたのだろう思う。憂な『エリーゼのために』とともにサロメさまと田角社長が回転する待機画面で心が疑念のほうに傾いたかと思えば、そんな不安は、数度、喉を鳴らしたあと高らかに張り上げられた第一声と、それに呼応した『フィガロの結婚』の長調によって吹き飛ば

    生まれつかないお嬢様 - 石少Q
  • 電波に照準を——極私的VTuber備忘録2021 - 石少Q

    2021年も相変わらず家からあまり出なかったし、その分だけVTuberを観ていた。いや、たまに外出してもイヤホンで配信の音声を聴いていたから、時勢のことはさほど関係なかったのかもしれない。 ここでは、そのような生活のなかで思っていたこと、考えていたことを振り返ってまとめていく。「極私的」とは、「VTuber史」や「界隈」の流れとは離れたところで私のことを書くための予防線だ。その辺りは容赦してほしい。 しかし私は、VTuberとはそのようにも語られるべきだと考えてもいる。二次元の彼らの生活と、三次元の私の生活が、電波を介して混ざり合う汽水域の模様を、ここに書いておきたい。 にじさんじ 卯月コウ おりコウ 静凛 コラム:「観ないVTuber」の可能性 アズマリム 名取さな ヤマト イオリ 大浦るかこ 獅子王クリス ぶいすぽっ! 一ノ瀬うるは BIG☆STAR 英リサ 雪月花 紫宮るな おわりに

    電波に照準を——極私的VTuber備忘録2021 - 石少Q
    ichigocage
    ichigocage 2022/02/15
    「非社会性や非商品性のなかで、変わらない年齢や、変わらない姿のままで、ずっとのびのびとしていてほしい。」Vtuberはスパチャ至上主義、みたいなコメントに感じるもやもやがぴったり言語化されていると感じた
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