山手線のルーツは私鉄の日本鉄道が品川―赤羽間に建設した品川線で、1885年に開業した。建設の目的は官設鉄道の東海道本線と、1884年には上野から前橋(仮駅)まで開業していた日本鉄道との連絡である。絹の生糸を中心とする群馬県の物産品を横浜港まで鉄道だけで運べるようにするためであった。 池袋駅はなかった 当時の品川線沿線はほぼ純農村地帯であり、工事自体は容易であったと思われるが、沿線住民の利用は当てにされていなかったであろう。開業と同時に設置された駅は渋谷、新宿、板橋の3駅のみ。現在の巨大ターミナル、巨大繁華街からは想像もつかないが、池袋駅はなかったのだ。 3駅に半月遅れて目黒、目白の両駅も開業。そこで駅設置は、いったん終わる。池袋に駅ができたのは、豊島線の建設と深い関わりがある。この鉄道はやはり日本鉄道が建設した、田端から延びる現在の常磐線と品川線を連絡する目的で計画された。当初、分岐点は目