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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/aureliano (48)

  • 渋谷にアムウェイの人たちがよく集まるカフェがある - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくは友だちがとても少ないのだが、それでもいないわけではない。ほんの数人、親しい友だちがいて、時々一緒にご飯をべたり、お茶を飲んだりする。 その友だちの一人にMという男がいる。Mはぼくの後輩なのだが、今ではもう友だちのような関係だ。Mもぼくも渋谷の近くに住んでいるので、会う時は渋谷が多い。電話をして、ちょっとお茶でも飲もうよという感じになり、カフェでよくお茶をしたりする。カフェに行く時、ぼくはスターバックスが好きなのだが、Mはタバコを吸いたいので、他の店に行くことになる。スターバックスは禁煙でタバコが吸えないのだ。ぼくはタバコを吸わないのだが、Mと一緒の時は、Mに合わせてタバコの吸える店に行く。ぼくは、近くにタバコを吸う人が多かったので、タバコを吸える店に行ってもそう苦にすることはない。 ある時、それは夜の9時頃だったのだけれど、渋谷で会っていたぼくらは、じゃあお茶でも飲もうかということ

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    idejunp 2013/07/08
  • ハックルベリーに会いに行く

    面白いとは何だろう?続きを読む

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    idejunp 2012/08/21
  • Twitterを始めました - ハックルベリーに会いに行く

    Twitterを始めました。https://twitter.com/huckleberry2008これまでTwitterの悪口をさんざん書いてきたけれど、Twitterからはうんともすんとも反応がなかったので、とりあえず自分で始めてみてTwitterの感触を確かめることにしました。そのために半年間ROMしました。といっても、Twitterを始めたのは村上隆さんの『芸術闘争論』を読んだからだ。ぼくはこれにかなりインスパイアされた。例えばこのにはこういう言葉がある。自分の手に持っている職で金を儲けるには種も仕掛けもない。自分の持つ正義への忠誠心に忠実に生き、こつこつとモノを創造し、社会に問い、そしてその問いかけに対しての評価が下る。良い時も悪い時も、自分の正義に忠実であってそれが社会から信用を勝ち得た瞬間しか儲けを手に入れることはできません。あるいはこんな言葉も。 芸術家の勝ちは死後、作品に

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    idejunp 2012/07/30
  • 『ダークナイト ライジング』の「問いかけ」をどう評価するか? - ハックルベリーに会いに行く

    『ダークナイト ライジング』を見てきた。このエントリーはそのネタバレを若干含んだ批評です。 まだ一回しか見ていないが、一回見て(あるいは見ている最中から)思ったのは「情報量が多い」ということだ。これは、ここ数年のコンテンツ業界の全体的な潮流でもある。今は情報量が多くないとなかなか売れない。なぜなら、消費の敷居が下がった(映画は、一旦パッケージ化されるといつでもどこでも何度でも見ることができる)ので、情報量が少ないとすぐ飽きられてしまうのだ。だから、飽きられないように情報量をどんどん増やしていく必要が生じた。同じような事例を挙げると、AKB48とか『めだかボックス』などもそうなっている。『ダークナイト ライジング』のような情報量の多いコンテンツは、「一回じゃよく分からなかったからもう一回見てみよう」というリピーターを生み出す。そういう忠誠度の高い客をどれだけ作れるかが、現代のコンテンツ産業の

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    idejunp 2012/07/29
  • この言い方は好きではないがファンタジー脳(SF脳)は『おおかみこどもの雨と雪』の映画としての価値を矮小化する - ハックルベリーに会いに行く

    この記事には映画『おおかみこどもの雨と雪』についてのネタバレが含まれます。 先日、『おおかみこどもの雨と雪』を見て、その批評をブログに書いた。すると、概ね好評を得たのだけれど、一部からは強い反発も受けた。そこで、反発をしてきた人々を子細に観察してみると、そこにある共通項が浮かび上がってきた。それは、映画の中に描かれているある重要な「問いかけ」を、すっぽりと見逃しているということだ。その重要な問いかけとは、「おおかみこどもは人間ではないのか?」というものだ。それが、すっぽりと欠落しているのである。ぼくの批評に反発をした人々は、おおかみこどもを初めから「人間ではない」と見ていた。そしてそのことを、ファンタジー(SF)の一つのお約束であるかのように捉えていた。それは、例えば以下のような文面に表れる。 不自然なのはおおかみこどもという設定だけで、しかしその設定を公理として受け入れたら、あとはものご

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    idejunp 2012/07/26
  • 『おおかみこどもの雨と雪』をめぐる批評とそれを非難する人の考察と心がベコってへこんだはるかぜちゃんへのアドバイスと『ダークナイト』のぼくの見方は間違っていたということ - ハ

    先日、『おおかみこどもの雨と雪』の批評を書いたら、一部の人々から「またデタラメなこと書きやがって!」とブコメやTwitterで非難された。その人たちにはいくつかの共通項があって、「1.アニメ好き」「2.ハックルが嫌い」「3.20代から30代の男性」「4.『おおかみこどもの雨と雪』を見てとてもとても感動した!」ということなのだけれど、一夜明けて女性のアニメ好きの人たちから『おおかみこどもの雨と雪』はあまり面白くなかったという評価がぽつぽつ聞こえるようになると、とたんに気勢をそがれて元気がなくなっているのが面白かった。それで、その人たちが慌てて自分の周囲を見回して、ハックルを非難している人たちの属性をあらためて確認してみると、そこにもう一つ「非モテ」という属性が加えられていることを知り、さらに意気消沈して非常にがっかりしていた。特にTwitterでは、月曜日にはあれほど元気だったのがみるみる萎

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    idejunp 2012/07/25
  • 続ネタバレ『おおかみこどもの雨と雪』評 - ハックルベリーに会いに行く

    このエントリーは映画『おおかみこどもの雨と雪』のネタバレで構成されています。 Rootport氏が『おおかみこどもの雨と雪』についての「感想」を書いていたので、それについての意見を書きます。映画『おおかみこどもの雨と雪』の母性信仰/子育ては1人では出来ません - デマこいてんじゃねえ! 女は生まれながらに母性を発揮し、子供ができたら自動的に母親になる――この映画の根底に流れているのは、そういう母性信仰だ。これは単純に違うと思う。なぜなら、この映画で母親は最後、子供たちに懲らしめられる(詳しくは「昨日の記事」参照)。だから、「生まれながらに母性を発揮し、子供ができたら自動的に母親になる」ようなことを「信仰」していない。むしろ「批判」しているのだ。 たとえば、この映画では「産む決断」が描かれていない。「つわりのシーン → 病院の前で立ちすくむヒロイン → 図書館で出産・育児を集めるヒロイン

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    idejunp 2012/07/24
  • ネタバレ『おおかみこどもの雨と雪』評 - ハックルベリーに会いに行く

    このエントリーはほぼネタバレで構成されています。 映画のどこをどう読むか (ジブリLibrary―映画理解学入門)作者: ドナルドリチー,Donald Richie,三木宮彦,司馬叡三出版社/メーカー: スタジオジブリ発売日: 2006/01メディア: 単行クリック: 3回この商品を含むブログ (3件) を見る映画の見方がわかる―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)作者: 町山智浩出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2002/08メディア: 単行購入: 194人 クリック: 6,106回この商品を含むブログ (169件) を見る 見終わって最初に思ったのは、「消化不良の映画だ」ということだ。とらえにくい。もやもやが残る。なぜもやもやが残るかというと、カタルシスがないからだ。映画を見終わった後、なんとも言えない胃のもたれが残る。小骨がいつまで

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    idejunp 2012/07/23
  • iPhoneのデザインが人を引きつける理由を感覚的にではなく論理的に説明する - ハックルベリーに会いに行く

    清水さんが、自身のブログでiPhoneのデザインの美点について説明しようとしているけど、結局のところ彼は、「これは説明できないもの」という結論ありきで論を進めているので、惜しいかないいところまでは肉薄しているけど(そのための努力を相当払っているというのは初めて知った)、しかし最後の壁が乗り越えられないでいる。最後の壁を乗り越えた人にとっては、iPhoneの良さは自明であり、それは言わずもがなだから思わず「説明するまでもない」とも思っちゃうんだけれども、しかしこれはけっして説明不可能なことではない。理解できる人は、その人の中でも、ちゃんと論理的に価値の解釈や処理が行われているのだ。デザイン、ファーストクラス、クオリア、ゲーテ - UEI/ARC shi3zの日記 そこでここでは、iPhoneのデザインの素晴らしさを論理的に、なるべく端的に説明することにトライしてみる。想定読者は清水さんだ。清

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    idejunp 2012/07/17
  • 差別心というのは言葉そのものではなく文脈に立ち表れる - ハックルベリーに会いに行く

    まずサイゾーが、「同性愛は6兆円市場?IBMも積極的にホモ採用のワケ(1/4) - 日刊サイゾー」という記事を書いた。それに対し、とある人がこういう記事を書いた。「株式会社サイゾーに抗議します!「ホモ採用」 「ホモ」とは何でしょうか、「ホモ」とは? « あの女(ひと)の器」。するとやまもといちろう氏が、「ホモというのは別に差別ではないのでは?」と自身のブログ記事「ホモがサイゾーに抗議している件で(追記あり)(さらに追記あり): やまもといちろうBLOG(ブログ)」で疑問を呈した。それに対して、サイゾーへの抗議記事を書いた人から、そもそもホモという言葉自体に揶揄するような意味合いもあるのだが、サイゾーはそれを殊更に取り上げることで差別的な意味合いをそこに含ませたという趣旨の指摘をした。それを受けて、やまもといちろう氏は記事の追記で、そういう意味合いがあるとは知らなかったと述べている。 これを

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    idejunp 2012/07/16
  • ゲームの起源 - ハックルベリーに会いに行く

    今度、ゲームの開発者のカンファランスで講演をすることになった。するとTwitterで実名で「岩崎夏海には来てほしくない」と呟く人が何人かいて、ゲーム業界はそういうことを平気でする人が生息しているところなのかとちょっとギョッとしたけれども、まあ現代ではそういうこともあるかと気を取り直して何を話そうかと考えて、とりあえず「ゲームとは何か?」を考えてみた。「○○とは何か?」と考える時に、ぼくだけではなく多くの人がよく取る手法はまずその起源を辿るということなのだけれど、ゲームの起源を辿っていくとだいたい最終的に辿り着くのがバックギャモンである。バックギャモンは、2000年前にカエサルも遊んでいたとされ、よく「世界最古」のゲームといわれたりする。そこで、今度は「バックギャモンとはどういうゲームか?」と考えると、これは一言でいうなら「陣取りゲーム」だ。と、ここまで考えてハッと思いついたのだけれど、「ゲ

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    idejunp 2012/07/16
  • 我々は読者(消費者)の権利を守り抜くべきだ - ハックルベリーに会いに行く

    近頃では、大手マスコミを中心とする旧既得権益層が、コンテンツの提供における自社の利権をまたぞろ主張しはじめて、購入したの処遇やその読み方の自由までをも収奪しようとする動きを見せている。しかし、これは断固阻止せねばならない。購入したの処遇であったり、あるいはそれをどう読むかということについては、我々読書たる消費者が、長い歳月をかけて獲得してきた権利なのであるから、今このタイミングで再び出版社や著者などの旧権力層に取り戻させてはならないのである。我々には、購入したを自由に扱う権利がある。焼こうが煮ようが、誰からも文句の言われる筋合いはない。また、それを面白いか面白くないか決めるのも、我々読者の占有的な特権であって、大手マスコミや著者に云々される謂われは全くないのである。しかしその権利を、コンテンツの提供方法がアナログからデジタルへと大きく転換しようとしているこのタイミングで、消費者の目を

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    idejunp 2012/07/15
  • 星出彰彦くん、どうか元気で行ってらっしゃい - ハックルベリーに会いに行く

    人類が初めて月面に降り立ったのは1969年で、その頃ぼくは1歳だった。だから、ぼく自身はまだ小さかったから分からなかったけれど、両親を初め世の中が大いに興奮していたのは間違いないだろう。実際、その翌年の1970年に開かれた大阪万博では、アメリカ館が一番人気だったらしい。なぜなら、そこには月から持って帰ってきた「石」が展示してあったからだ。その石が、何百万人という観衆を動員する力があったのだ。 こんな感じだったそうです。大阪万博 そういう時代に幼年期を送ると、誰もが一度は宇宙に興味を覚えた。特に男の子にとって「宇宙飛行士」は、憧れの職業として上位にランキングされた。誰でも一度は、ロケットに乗って宇宙空間を旅してみたい――そんなことを夢想した時代だった。けれども、他の夢――例えば「スポーツ選手」や「歌手」や「博士」といった職業と違って、「宇宙飛行士」というのは憧れと現実との間に当に大きな差が

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    idejunp 2012/07/14
  • ぼくのブログは誰も読まないので割と自由です - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくはブログを書いていると時々当に読んでいる身近な方から「なぜブログを書くのですか? ハックルさんは作家だからそれは商品をただで提供することにはならないのですか?」と問われるけど、ぼくのブログは割と気で全然誰も読んでいないので、何を書こうと自由なのです。誤字脱字も自由。それでぼくの作家としての評価が毀損されるということは丸出梨世で、その代わり評価が高まるということもまたないので、当に気が楽なのです。特にぼくのブログは宣伝効果がほぼないということが割とはっきりしてきたので、宣伝を入れるとますます書くことが自由になる。その昔、自殺しようとした時に今生の思い出にと多摩クリスタルに行った話も勇気を振り絞って書いてみたけれど、割とスルーされたのでした。その分、話題になるのは子育ての考え方について疑義を唱えたりネット民の既得権益について何か抵触するようなことを書いた時だけ一瞬夏の夜の花火のように

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    idejunp 2012/07/13
  • 放送作家という職業で今起こっていること - ハックルベリーに会いに行く

    放送作家という職業で今起こっていることは、なかなかに興味深い。ぼくのはお笑いの卵をやっていて、友人に何人か放送作家の卵がいて、一緒にライブをやったり動画を放送したりしているのだけれど、しかしなかなかビジネスに結びつかなくて貧乏から脱せられていないらしい。アニメの業界でも見た目の華やかさとは逆に内実はお金がないので大変だという記事があったけれど、それを読んだら放送作家業界も似たようなものだというのを思い出した。アニメ制作会社を辞めました放送作家という職業で今起こっていることは、格差社会の進行だ。番組の予算が少なくなって、放送作家に支払われるギャラも比例して少なくなっているのだけれど、そうなると放送作家全員が一律で低くなるというわけではなくて、雇われる人数が絞られることになる。それまでは10人雇っていた放送作家を、いきなり7人回顧して3人にまで減らすとか、そういう規模で淘汰が行われている。そ

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    idejunp 2012/07/12
  • 人はなぜ「レッテル」を貼ってしまうのか? - ハックルベリーに会いに行く

    今夜8時、NHK教育テレビの番組「ハートネットTV」に出演するのだけれど、収録では時間がなくて言えなかったことを、ここに書こうと思う。NHK福祉ポータル ハートネット VTRに登場した有馬圭太朗くんは、なかなか面白い子だった。何が面白いかというと、一つには詩がとても上手だということ。もう一つは、公共心があるということだ。圭太朗くんは、明るく気さくな少年で、周囲の人と仲良くするのがとても得意だった。それだけではない。場にとけ込むのがとても上手いのだ。例えば、圭太朗くんはよく両親が経営する美容院に遊びいくらしいのだが、そこへ行った際には、自ら掃除を買って出ていた。また、それが終わるとくだけた調子で「まだ何か他に手伝うことはないの?」と聞いている。そういうふうに、仕事を買って出ることで自分の居場所を上手い具合に作り出しているのである。そのうえで、圭太朗くんは店員さんやお客さんに気さくに話しかけて

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    idejunp 2012/07/11
  • ハート展のこと - ハックルベリーに会いに行く

    NHKが主催しているハート展というイベントに絵を出展させて頂きました。「NHKハート展」は、詩とアートを組み合わせた展覧会です。この展覧会は、障害のある方もない方も、互いに理解しあい「ともに生きる社会」の実現を目指し、NHK福祉キャンペーン「NHKハートプロジェクト」の一環として実施します。17回目を迎える今回は、5,680編もの詩の応募をいただきました。どの詩にも喜びや悲しみ、あるいは障害をまっすぐに見つめた気持ちがつづられ、味わうほどに「やさしく」「せつなく」「あたたかく」心に語り響きます。ひたむきな思いが込められたひとつひとつの詩と真摯に向き合い選考した結果、ここに50編の詩をご紹介することになりました。これらの詩に託された思いを、ボランティアでご参加いただいた各界の著名人やアーティストの方々が、ハートをモチーフに大切に表現してくださいました。50の詩と50のアートが響きあって美しい

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    idejunp 2012/07/11
  • 若い頃先輩が教えてくれた、なんでも譲り渡すというライフハック - ハックルベリーに会いに行く

    ぼくが放送作家に成り立ての頃、聞けばなんでも教えてくれる先輩がいた。仕事のやり方、営業の仕方、業界のしきたり、テレビマンという職業の習性、求められるキャラクター、さらには、女の子との仲良くなり方まで。あるいは、ネタの作り方や企画の出し方なんかも教えてくれた。「若手はとにかく根性を見せないといけないから、ネタ出せと言われたらすぐ出さなきゃいけないんだけど、あまり早すぎてもなめられるんで、翌日の朝4時にファックスしろ。なぜ4時かというと、その時間に仕事を頑張っているというのは印象が良い。てっぺん付近(午前零時頃)は、仕事か遊びで忙しくしているイメージを作るために、あえて連絡の取れない場所にいろ」とか。後は、「遊びの金は惜しむな」とか。企画会議でネタを提案した時、「近頃○○という店が流行っているらしいんですけど——」と言うのと、「近頃○○という店に行ってきたんですけど——」だったら、絶対に後者の

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    idejunp 2012/07/09
  • 絶対的な「笑いの法則」 - ハックルベリーに会いに行く

    最近、ブロゴスに転載されるかされないかの基準が、ちょっとだけ分かった。それは、記事で宣伝をしているかどうかだ。宣伝をすると転載されないが、宣伝をしないと転載される。なので、転載されたくない記事については、これから積極的に記事中で宣伝をしていこうと思う。この記事については、ブロゴスには転載されたくないので後で広告が出てきます。 ところで、先日「面白さを決めるのは読者ではない」という記事を書いたら、読んだ人の評価が真っ二つに分かれていて面白かった。ぼくの意見に賛同してくれた人もいれば、真っ向から反対であったり、「何を言っているか全く分からない」という人もいたようだ。反対の人の代表的な意見というのは、ブロゴスに書き込まれた以下のコメントに集約されていると思う。 面白さ、というのは主観的な作用なのだから、情報の受け手しか判断できない。逆にいえば、絶対的に面白いもの、なぞ世の中に存在しない。みんなが

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    idejunp 2012/07/08
  • 面白さを決めるのは読者ではない - ハックルベリーに会いに行く

    「週刊アスキー」の読者がTwitter上でこの雑誌は面白くないとつぶやいたら、同雑誌の編集者の人が「面白いか面白くないか決めるのはアナタではありません」と反論した。すると、その当の読者やそれを見ていた第三者の間から、「面白いか面白くないのを決めるのは読者だ!」ということを言い出す人がたくさん現れて、話題になっている。 週刊アスキーの人にの面白さを決めるのはお前じゃないと言われちゃった - Togetter ここで一つはっきりさせておきたいのは、「面白さを決めるのは読者ではない」ということだ。これはもう、反論どころか議論の余地さえない既成事実である。では、「面白さを決めるのは作者か?」というと、それも違う。実は、そのどちらでもないのである。それ(面白さ)は、この世にすでにもともと存在している、先天的なものなのだ。この世には、ピタゴラスの定理みたいに「面白さの公式」というのがあらかじめ在って

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    idejunp 2012/07/06
    おもしろいねー