奈良県天理市豊田町の豊田狐塚(とよだきつねづか)古墳で、6世紀半ばの未知の横穴式石室が見つかった。市教育委員会が6日発表した。ヤマト政権の有力豪族、物部(もののべ)氏の有力者の墓の可能性が高く、木棺の痕跡が3基分あったことから、当時の埋葬を探る手がかりとなるという。 都市計画道路の建設に伴う発掘調査で、全長約4・4メートル、奥壁の幅約2・2メートル、高さ約2・2メートルの石室を確認。天井石などは失われていたが、壁面は30~100センチ程度の石材を積んでいた。床面に残る木片から、手前に二つ、奥に一つの3基の木棺(いずれも長さ約180センチ、幅約60センチ)が安置されていた可能性があるという。 一部盗掘を受けていたが、須恵器50点以上や土師器(はじき)などの土器、玉類、馬具や武器などの鉄製品、鏡などの副葬品も残っていた。 市教委は、直径約20メートル… この記事は有料会員記事です。有料会員にな