少し食べたホッキョクギツネを運ぶアカギツネ。3時間前に仕留めたもので、残りは保存しておく。体の大きなアカギツネはホッキョクギツネの捕食者であり、同時にレミングのような小型哺乳類のエサをめぐる競争相手でもある。(PHOTOGRAPH BY DON GUTOSKI, WILDLIFE PHOTOGRAPHER OF THE YEAR 2015) 世界で最も歴史のあるワイルドライフの写真賞「ワイルドライフ・フォトグラファー・オブ・ザ・イヤー」の受賞作品が発表された。第51回の最優秀賞に選ばれたのは、内臓を取り出したホッキョクギツネを引きずるアカギツネの写真だ。凍て付くカナダで撮影された。 審査員の1人、ナショナル ジオグラフィック誌シニアエディターのキャシー・モランは「この1枚を見ただけで、物語が伝わってきます。これほど力強い写真はほとんど見たことがありません」と高く評価する。(参考記事:「ワイ
ガラパゴス諸島のピンタ島沖を泳ぐメスのクジラとその子どもたち。(PHOTOGRAPH BY FLIP NICKLEN, MINDEN/CORBIS) 仲間と群れながら、互いに餌の取り方、道具の使い方、そして独自の「言葉」を身に着けていく動物たちがいる。シャチ、チンパンジー、鳥類の社会には文化的要素があると言われているが、最新の研究調査でマッコウクジラにも同様の傾向がみられることが明らかになった。 ガラパゴス諸島周辺の海には、数千頭のメスのマッコウクジラとその子どもたちが生息し、それぞれの群れには独自の「方言」がある(成熟したオスは、これとは別に極地に近い冷たい海に集まる)。こうした方言をもつ群れがどのようにして形成されるのかは、これまであまり知られていなかった。(参考記事:「イルカ・クジラの「潜水病」、集団座礁の一因か」) 9月8日付「Nature Communications」誌に発表さ
It Took A Musician's Ear To Decode The Complex Song In Whale Calls Male humpback whales create "songs" together, scientists say. Katy Payne was the first to hear the shifts in pitch and pattern in the collective calls as complex music — haunting, evolving tunes. Special Series Close Listening: Decoding Nature Through Sound Biologists seeking to understand how animals communicate have created a cul
2015年3月、伊豆諸島の神津島(東京都)で希少なコククジラが水中で撮影された。コククジラは現在、北米の太平洋岸とアジア、ロシアの太平洋岸に生息しており、このうちアジアの個体群は、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストで「絶滅寸前(Critically Endangered)」に指定されている。日本の沿岸では数年に一度目撃されるかどうか、というほどまれな動物だ。(参考記事:絶滅寸前のコククジラが最長移動距離を樹立。北米とアジアの個体群は同一か?) 撮影したのは水中写真家の高縄奈々さん。貴重なクジラの目撃情報を聞きつけて急きょ神津島へ移動、2日がかりでようやく出会い、撮影できたという。「コククジラに水中で遭遇できたこと自体が、もう一生ないかもしれない貴重な経験でした」
(CNN) 仲間には理解してもらえない歌を歌い続ける「世界一孤独なクジラ」の発見を目指すプロジェクトの構想が持ち上がり、資金調達サイトで出資者を募っている。 このクジラの呼び名は「52」。52ヘルツの周波数で歌っていることに起因する。もう何年もの間、この周波数を出し続けているのに、仲間からの応答はない。 仲間のクジラは違う周波数を使っているため、たとえ「52」の歌が聞こえていたとしても、自分たちの歌とはあまりに違っていて理解できず、応答しないという。 それでも「52」は歌い続ける。そこから「世界一孤独なクジラ」のニックネームが付いた。 映画制作者のジョシュ・ゼマン氏は、太平洋でこのクジラを見つける探査プロジェクトのため、資金調達サイト「キックスターター」で資金集めに着手した。米俳優エイドリアン・グレニアーさんの助けも借りて、20日間の探査に必要な30万ドル(約3570万円)を調達したい考え
南太平洋で捕鯨船が巨大クジラに激突された。乗組員たちは手漕ぎボートに分乗し、3カ月近く漂流する。食糧が底をつき、空腹と狂気に苦しめられた彼らが生き延びるためにとった行動は・・・。小説『白鯨』の元になった実話は、さらに壮絶だった。 外洋でのつらい仕事 19世紀、捕鯨は生活に不可欠だった。鯨油はランプの燃料やろうそくの原料になり、鯨蝋はさまざまな薬に使われた。捕鯨は手堅く報酬を得られると同時に、きわめて苛酷な仕事だった。 米国の捕鯨産業の拠点は東海岸のナンタケット島にあったが、最も豊かな漁場は南太平洋。男たちは大西洋を南下し、南米最南端のホーン岬を回る1万2000キロの困難な旅を経て、やっと仕事に取りかかるわけである。捕鯨船エセックス号がナンタケット島を出発したとき、これから2年半は家族に会えないことを男たちは承知していた。 『本当にあった 奇跡のサバイバル60』 岩に挟まれた自分の腕を切り落
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く