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文化と考古学に関するiguchitakekazuのブックマーク (2)

  • 河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️

    酸で溶かすなとかウエメセで言われてたりもしてたけど、よくよく考えてみれば千年以上前の鉄製品が河原の水に晒されて原型を留めることなんて有り得ないと思うよね(尤も発掘した時の原型を留めたままにさせるのは間違いではないが)。 勇み足だったSNSの考古学者達も少なからずいたと思うけど、社会学のように主観の集合体みたいなものなので上高森遺蹟のように見抜けなかったってことがここでまた明るみになってしまったな…。 また100年後か200年後か先に千葉県の佐倉辺りで埴輪が見つかったと大騒ぎしたら実は国立歴史民俗博物館で売られていた土産物でしたってことにもなりゃせんよね?(それはそれで貴重かも知れんけど) 江戸時代の茶碗🍚かと思ったら平成の廃屋🏚️の茶碗でしたってオチもありそうだよね。

    河原で拾った古墳時代の遺物は実は半世紀前の木更津高校で作られたレプリカ(模造品)だったことが分かった🏞️
  • 熊本城の復元難航…文化庁が手法に「待った」 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    復元整備計画を巡り文化庁から改善を求められている熊城(4日午前、熊市中央区で、読売ヘリから)=片岡航希撮影 熊市が進める国特別史跡・熊城の復元整備が難航している。 史跡の研究組織が不備なまま復元を進めたことに対し、文化庁が「遺構の調査体制が不十分で、史跡保護の視点に欠ける」と厳しく指摘し、改善しなければ復元を認めない方針を示しているためだ。市は急きょ、研究組織の設置を決めたが、具体的な人選はこれからで、4年後の完了を目指した計画が遅れる可能性も出ている。 整備は1997年度に第1期計画が策定され、築城400年となる2007年度までに、丸御殿大広間や南大手門など七つの構造物を約89億円をかけて復元。現在の第2期計画(08~17年度)では、天守閣西側にある平左衛門丸塀(へいざえもんまるべい)や馬具(ばぐ)櫓(やぐら)の復元に着手している。 しかし、文化庁は2月、遺構などの歴史的評価を

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