日本では食事の時に立膝で食べないというようなことを聞いて、1999年の「写真でつづる上州の民俗」に、箱膳で食べる老夫婦が作法として立膝で食べている写真が載っているなぁと。たぶん日本の食事の作法は、昔は各地で色々違っていたので、一様… https://t.co/ZzXHQH6cwq
![白土晴一 on Twitter: "日本では食事の時に立膝で食べないというようなことを聞いて、1999年の「写真でつづる上州の民俗」に、箱膳で食べる老夫婦が作法として立膝で食べている写真が載っているなぁと。たぶん日本の食事の作法は、昔は各地で色々違っていたので、一様… https://t.co/ZzXHQH6cwq"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/ab51bf8463e61ed08362a05921b10f57e49ce789/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F883629003554177024%2FNVMep_2O.jpg)
プレスリリース (お知らせ) 農研機構の書庫で眠っていたガラス乾板を発見 - 大正期~太平洋戦争末期頃の農事試験場界隈の風景を復元 - ポイント 農研機構農業技術革新工学研究センター(旧農業機械化研究所:さいたま市)の書庫から古いガラス乾板1)が700枚以上発見されました。 大正期~太平洋戦争末期(推定)の農機具や試験・鑑定風景が収録されています。 整理・分類後に公開予定です。 概要 2015年春、農研機構農業技術革新工学センター(以下、革新工学センター)さいたま本所の書庫を整理した際に、古いガラス乾板が多数発見されました。ガラス乾板を清拭し、転写したところ、主に大正期~太平洋戦争末期頃と思われる写真が時代を超えて鮮やかによみがえりました。 革新工学センターは、農事試験場鴻巣(こうのす)試験地の農機具部(大正12年設立)をその前身とし、当時から農機具の開発や検査を行っていました。今回、発見
太平洋戦争中の1942~43年、京都の真宗大谷派が東南アジアに派遣した東本願寺南方美術調査隊が、カンボジアの世界遺産アンコール遺跡群などを撮影したとみられるガラス乾板がみつかった。アンコール王朝(クメール王朝、9~15世紀)の代表的な寺院遺跡、アンコールワットの建物や浮き彫りの装飾などが写され、劣化が進む前の姿をとどめた貴重な写真もある。専門家は、所在不明となっていた調査隊の「幻の資料」の一部が確認されたとして注目する。 ガラス乾板は、ガラス板に被写体を写し込んだもので、フィルムが普及する前の明治~昭和のころによく使われた。今回みつかったのは縦12センチ、横16・5センチで計52枚。昨年末にネットオークションに出品され、東京都在住の収集家、浅田正春さん(65)が購入した。浅田さんによると、京都の解体業者から古物商に流れたものという。 12世紀前半に造営されたアンコールワットの西参道から撮影
戦前に撮影されたとみられるわいせつな写真をインターネットオークションで売ったなどとして、警視庁は、東京都大田区西糀谷3丁目、無職柴田康(やすじ)容疑者(83)をわいせつ図画頒布などの疑いで逮捕し、18日発表した。「生活費の足しにしたかった」と容疑を認めているという。 蒲田署によると、柴田容疑者は16日、農作業着姿の男女の性行為などの写真18枚を販売目的で自宅で持っていた疑いがある。このうちの1枚を含む写真3枚をデジタルカメラで接写し、印刷したものを3400円で埼玉県内の60代男性に4月にネットオークションで売った疑いもある。 柴田容疑者はこれらの写真を骨董(こっとう)市で購入し、複写したものを2010年1月から今月にかけて約300人に計約60万円で売った、と署はみている。
和歌山県出身で世界的な民俗・博物学者、南方熊楠(みなかたくまぐす、1867~1941)が友人らと写った写真の原板となるガラス乾板計503枚が見つかった。南方熊楠顕彰館(同県田辺市)が14日に発表した。 ガラス乾板は感光する乳剤をガラス板に塗ったもの。フィルム普及前の明治~昭和初期によく使われた。顕彰館職員が2012年2月から田辺市立図書館の資料を調べて発見。森の中に立つ熊楠を撮った「林中裸像(りんちゅうらぞう)」や親交のあった画家の川島草堂、熊楠の日記にも登場する写真家の辻一郎が写ったものもあった。熊楠と少年1人が並んだ写真「南方熊楠牟婁(むろ)新報社工員」のガラス乾板も見つかり、元々は少年ら9人との集合写真の一部だったことも判明した。 熊楠は当時政府が進めた「神社合祀(ごうし)」で木々が伐採されることに強く反対。神社の意義を伝えるため、親交があった辻に写真を撮らせて各地に送るなどしていた
1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/02/26(水) 20:36:29.86 ID:wnrOCjSR0 去年、婆ちゃんが亡くなった(97歳)時に遺品整理してたら出てきた、発生当時の情報誌 国際情報社発行のグラフ誌、世界画報と思われ。 昭和11年(1936)年のもの 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/02/26(水) 20:37:19.85 ID:wnrOCjSR0 表紙。当時はまだ「帝都重大事件」の呼称 先の五・一五事件に倣い、のちに二・二六事件と呼ばれるようになる。 帝都東京に大雪の降った昭和11年2月26日早朝 岡田首相官邸を始め、政府要人の私邸が相次いで襲撃され、大臣級数名が殺害された 日本史上屈指のクーデター(未遂)事件 3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2014/02/26(水) 20:37:57
■編集元:ニュース速報板より「【画像】 ノルマンディー上陸作戦前後に撮影された貴重なカラー写真」 1 トラ(埼玉県) :2012/06/11(月) 05:10:54.24 ID:IPF1eDOdP ?PLT(12000) ポイント特典 1944年6月6日、つまり68年前の今日はフランス北部・ノルマンディーの海岸にアメリカを中心とする連合国軍の大部隊が上陸した「D-Day」でした。 そのすさまじい戦いの様子は「プライベート・ライアン」などで描かれていますが、その前後の期間の様子をとらえた貴重なカラー写真です。 http://dailynewsagency.com/2012/06/06/before-and-after-d-day-rare-color-xt8/ ノルマンディ上陸作戦のために集められた物資の上で食事をする兵士達。 1944年春。イギリス・テムズ川のほとりにたたずむ兵
ファンタジー世界から抜け出したような「ホーエンツォレルン城」の絶景…ドイツ 霧の中に浮かぶこの城は、ドイツ南部にある「ホーエンツォレルン城」。 まるで天空の城かと思うような光景ですが、いったいどんな場所に建っているのかというと…。 1. 標高855mの小さな円錐状の、山の頂に建っているんです。 2. 1000年に渡る名門ホーエンツォレルン家の発祥の地の城であり、ドイツ皇帝やルーマニア国王を輩出してきました。 3. 11世紀に建立後、数々の戦火をくぐり抜けてきた歴史を持ちますが、現在の城は、かの「ノイシュヴァンシュタイン城」とほぼ同時期である19世紀に再建されたとのこと。 (参照:ディズニーランドの城のモデルとなった「ノイシュヴァンシュタイン城」…ドイツ) 4. 立地もさることながら、建物も実に美しい。 5. 緑の生い茂る季節。 6. 上空から。 7. 見上げるアングル。 8. 中庭。 9.
フランス王アンリ4世(1553-1610)は太陽王ルイ14世の祖父にあたるブルボン朝初代の王で、カトリックとプロテスタントの融和に努め、ナントの勅令を発布することによって40年近く続いた宗教戦争ユグノー戦争を終結させたことで知られます。 在位中から国民の間で人気が高く、いまでも「大アンリ」「良王アンリ」と呼ばれフランスの歴代君主の中でも最も人気のある王の1人ですが、1610年に暗殺されたのち防腐処理をほどこされ埋葬された遺体は、フランス革命で王族の墓が開かれた際に失われていました。コレクターが所有していたミイラ化した首が、アンリ4世本人のものであると特定されたそうです。 詳細は以下から。ミイラの写真もあるので閲覧時には注意してくださいMummified head is skull of Henri IV, say historians - Telegraph Multidisciplina
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