“男の辛さ”って言葉目にするたびに思うんだけど、なんでいつもその辛さって“単一”の状態でディベートの議題に上がらないんだろう。その辛さだけを大きな悩みとして議論しないくせに、女の辛さを打ち消したり女の権利獲得に物申す道具としてはすごく堂々と登場する概念だよなって思えてならない。
![どぶねずみ on Twitter: "“男の辛さ”って言葉目にするたびに思うんだけど、なんでいつもその辛さって“単一”の状態でディベートの議題に上がらないんだろう。その辛さだけを大きな悩みとして議論しないくせに、女の辛さを打ち消したり女の権利獲得に物申す道具としてはすごく堂々と登場する概念だよなって思えてならない。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/9c08a10b3eb00fe1b4a85988e8cf29b8ea41eed8/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1540484913535012865%2F3qKA5GQ8.jpg)
戸籍の考え方は家族の考え方であり姓というのは家族をまとめた記号である。男女が結婚した際に新たな家族が誕生するため新たな戸籍の作成が必要となるのだがこの戸籍の名前として姓を統一するというのが旧来ある考え方だ。 ここに男女の不平等は存在せずこの新たな戸籍の姓として夫妻どちらのものを使用しても構わない。妻が夫の姓にすることが多いという実態を指して女性差別であるとする論は基本的に筋が悪い。離婚時に親権が母親に行きがちなのは裁判官の判断に依るので、これは司法の男性差別であると言える。しかし結婚時の改姓に関してはこの離婚時の親権問題のように他の誰かが勝手に決めたりそれを強制させられるということはなく夫妻となる男女双方の一致する意志により行われるのであり法的にもそうなっているのであるから、差別であるという主張は無意味である。女性が姓を変えがちだというのは文化的なものであり、悪いのは文化の方である。夫婦同
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