昨日今日と稽古もバイトもなかったので太田省吾漬けになっているのだが、ちょっといい加減いやになってきた。 太田省吾が嫌なわけではなく、漬け物のような状態に飽きた。 気分転換の携帯の麻雀にも飽きた。 もうそのくらい気分転換するくらいである。 読んでも読んでも分からなさが残り続けているが、この人たぶん次のページでこう言いそう、とかは思うようになっていて、そのくらい太田さんは繰り返しほぼ同じ言葉で同じことを言っていて、しかし何だか共感に近いような理解(それが「理解」なのかは置いておくとして)は訪れない。 「分かる」って何だろう。 寺山のときはわりとすぐに好きになってしまって、分からんなぁとはあまり思わなかった。 論文を書くためにどっちがいいかと言ったら今回の方がいいのかもしれないけれど、根気がいる。 寺山は言葉が全部詩のようで、演劇論を読んでいても言いくるめられてしまっていいような感じだったけれど