私が小学生くらいの時にさ、母がスーパーで買い物してるのを端っこのベンチで座って待ってたんだよね。そしたら見知らぬババアが隣に座ってきて、母が来るまでずっと話しかけてきた。私は「なんだこのババアは」って不思議に思ってたんだけど、今思うと守ってくれてたんだな。ありがとう、ババア
昨日は月に一度のラジオのレギュラー放送で、テーマは「シン・ウルトラマンと量子力学と三角関数」だった。 シン・ウルトラマンはシン・ゴジラよりも現代物理学の用語が散りばめられていて、メジャーなフィクションの世界に初めてモダンな宇宙論が導入された作品として意義深い。 ネタバレになるので詳しくは語らないが、既に公開されている情報としては、Hey!Say!JUMPの有岡くん扮する滝くんの職業は「非粒子物理学者」であるとされる。 非粒子物理学は、2007年に生まれた非常に新しい理論物理学の一つで、なぜ「シン・ウルトラマン」の禍特対に非粒子物理学者がいるのかといえば、非粒子物理学が扱う対象が、質量がほぼゼロであり、扱う対象の大きさ(スケール)を変えても性質が変化しない物質がありうるだろうという予測から生まれている。まだそのような非粒子は発見されていないが、「スケールを変えても性質が変化しない非粒子の予測
この10年ぐらい妻と家事をめぐってすれ違いが起きており、誰に相談して良いかもわからず、ここに書いてみる。 まず家事の分担として私が食器の洗い物を担当し、妻が洗濯物を担当している(畳むのは娘が4月から担当している)。 料理は週で半々の分担なのだが、この4月から娘がお弁当を持っていくことになり、仕事の都合上、週5で妻が朝の5時からお弁当を作ってくれることになり、 私は何もしないと作らないのが普通になってしまい仕事の状況が変わったときに変化が難しくなると考え、週一回だけ妻と娘のお弁当を作ることになった。これは結果的にお弁当の大変さが分かって良かった。 さて妻としては、料理をするときに、必ず洗い物が終わっていてほしいという希望を持っている。私はもともとはためてから洗う性格で、ただそれだと家事が回らないため、すぐに洗うようにしてきた。そのため、それを守ることがこの1年ぐらいはできるようになってきてい
僕が行きたい場所には、彼女は喜んで付いて来てくれる。 彼女は自分自身が「こうしたい」ということは、ほとんど言わない。 僕も趣味に全部合わせてくれる。 結婚したら、「家事も料理も自分が全部やるよ?」って言ってくれる(僕は自分も家事・料理はやるよって言ってるのに)。 彼女は自分が今の仕事を続けることができ、実家の近くに住めるなら、それでいいらしい。 ただ、僕はそれで問題ないと思っている。 僕も地元に、そして実家に通える範囲で住みたいと思っているから。 彼女はフルタイムで働いてる。 収入は僕より少し多い。 もし結婚したら、世帯年収は1200万くらいだろうか。 なぜ、彼女は僕に優しいのだろう。 実は僕にとっては初めての彼女である。 僕は彼女を大事にしているし、いつも全力でおもてなししている。 会った後、いつも「今日はありがとう」という気持ちのこもったメールをくれる。 僕は女性にモテたことが一度もな
ついつい約束の時間に遅刻してしまう、二度と破らないと誓った締め切りをまた破ってしまうなど、自身の注意力不足を実感したことがある人は少なくないはず。ADHDの正式な診断を受けているかどうかにかかわらず、注意力を発揮するのが苦手な人を支援するための戦略を、コロラド大学の心理学者であるロブ・ローゼンタール氏がまとめました。 These strategies and life hacks can help anyone with ADHD, as well as those who struggle with attention problems but don't have a diagnosis https://theconversation.com/these-strategies-and-life-hacks-can-help-anyone-with-adhd-as-well-as-tho
新見正興(「りょう」の父)1822年生まれ。1860年(38歳)、万延元年遣米使節の正使として渡米。 ワシントンでは大統領のジェームズ・ブキャナンに謁見し、国務長官のルイス・カスと批准書を交換。 正興は正妻との間に娘が3人いたが、48歳で正興が病没。 長女は北海道に嫁ぎ、二女と三女は芸者として売られた。 正興は「陰間侍」とあだ名されるほどの美男であったため、 芸者となった二人の娘も非常に美しく、芸者の中でも際立っていたという。 1860年に渡米するレベルの上級国民なのに、娘が芸者として売られたことに驚く。 二女と三女の正式な縁談をまとめるまでの、繋ぎの金すら無かったのか? 柳原前光(「りょう」を買った伯爵)1850年生まれ。伯爵。柳原家第22代当主。 芸者となっていた新見正興の三女・りょうを落籍し、柳原本邸近くの家を与えた。 りょうは18歳で女児を一人出産し、21歳で死亡した。 女児は前光
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