ブックマーク / mazmot.hatenablog.com (5)

  • 自尊心がなければやってらんない、という話 - The Greatest Love of All - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    家庭教師やってると、失敗ばかりでときにはイヤになる。生徒とのセッションは基的には楽しい時間だ。けれど、それが結果としてどうなのかというと、たとえば「やっぱりここ、まちがえるかよ」とか、「なんでテストの点数が伸びないんだよ」とか、客観的にみて失敗に分類されるようなことばかり起こる。生徒とはあらかじめしっかりと話し合って目標とかマイルストーンとかを決めてある。それにもとづいてこっちはこっちでいろいろと作戦を立て、ストーリーを描いている。そのストーリーどおりに進むことのほうが少ない。だいたいは、「あー、あ。やっちまったよ」みたいな後悔の連続になる。 それでもおもしろいもので、生徒は成長していく。人間ってのは、どんな障害があってもそれをはねのけて育っていく力があるんだと感心する。まるで舗石を突き破って筍が伸びてくるように、力強く伸びてくる。そういうのを見てると、「下手な家庭教師なんて要らないよな

    自尊心がなければやってらんない、という話 - The Greatest Love of All - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    ikanosuke
    ikanosuke 2021/05/22
    親の褒め方が『満点は当たり前』『私に従ったお陰だからできた』みたいな感じだったので、10歳頃にはヤル気も親への信頼も消失してた。褒めりゃ良いってもんでもないよ。今は無能という矜持に縋って生きてる。
  • 中学受験は、やっぱりおかしい - 基礎教育が目指すものと評価基準の乖離 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    「成長」というとらえどころのないもの 教育が目指すものは、なにはさておき、人間の成長である。人間の成長を支える介入を教育とよぶ、と定義しても差し支えないほどだ。原理的に、これに異を唱える人は多くないだろう。多数の人が教育を人間の権利とし、それを提供することが社会の義務だと考えるのも、それが人間を成長させるからだ。人間は成長する権利をもつのだし、成長を支えるのは社会である。生物はその基特性として成長するのだし、社会的生物である人類はそれを構成する個人のそれぞれの成長によって成り立っている、ともいえるだろう。 ここに、教育を評価する根的な困難が存在する。というのは、人間の精神的な成長は、容易に測定できない。さらに、介入が効果を上げたかどうかの測定は、それ以上にむずかしい。というのは、およそ人間は、教育なんか受けなくったって、それなりには成長するからだ。だから、仮に精神的な成長が観測されたか

    中学受験は、やっぱりおかしい - 基礎教育が目指すものと評価基準の乖離 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    ikanosuke
    ikanosuke 2021/04/29
    その、時間をかけて植木算の法則を自分で見つけられるまで勉強に付き合うことができるのが、本来の教育資本だよ。そして自力でそれの出来る子こそ受験に値する。
  • なぜ勉強するのかを教えてはならない - 家庭教師の経験を通じて見えてくる真理 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    家庭教師としての経験も5年になった。入れ替わりの激しいこの業界だから、ベテランと言ってもいいだろう。これは「プロ」としての経験という意味だ。大学生のアルバイトとか、そういうのは除外したい。 その私が、いくつかの例外的なケースを除いてほぼ最初からずっと厳格に適用してきているルーチンがある。それは、初回の指導時に、「なんで勉強するんですか?」と生徒に聞くことだ。どうしても都合で第1回めにできないときには2回めとか3回めになる場合もあるが、できるだけ早い時期にこれを確認しておく。 当は、「勉強」という言葉も使いたくない。これは誤用だし、危険な言葉だ。けれど、「学習」みたいなよそ行きの言葉では生徒と話が通じないから、しかたなしに使って尋ねる。「勉強は好きですか?」「好きじゃないです」「じゃあなぜ、好きじゃないことをするんですか? なぜ勉強するんですか?」すぐに答える生徒は多くない。たいていは、こ

    なぜ勉強するのかを教えてはならない - 家庭教師の経験を通じて見えてくる真理 - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    ikanosuke
    ikanosuke 2021/04/01
    知るのは楽しい、考えるのは好きだ、でも勉強は嫌い。ただ、他に選択肢が無かっただけだ。
  • 「体操服の下に下着を着ない」は、変態教師の妄言とは、ちょっとちがう - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    ブラック校則との関係で「体操服の下に肌着を着てはいけない」というルールが少し前からときどき取り上げられる。私は着衣や髪型などに関してとやかくいうのは人間としてどうなのと思うほうだから、こういうルールが学校にあるのはおかしいと思っている。そして、多くの校則が「規則のための規則」と化し、その意味が検討されることもなく、ただそれが存在することによって統制と権威付けが行われる機能だけをもっているという現状を見たら、「ええかげんにせぇよ」と言いたくなる。ときには、「そのルールは異常だろう」と思えるものもふつうに通用していたりする。 ただ、どんなにおかしく見えるものであっても、成立当初には何らかの合理的な理由があったと考えるのが穏当だろうとは思う。たとえば「体操服の下に下着を着ない」というルールにしても、一見、「下着のことなんて気にするのはおよそ変質者ぐらいなもんだろう」と思えるのだが、実はそれなりの

    「体操服の下に下着を着ない」は、変態教師の妄言とは、ちょっとちがう - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    ikanosuke
    ikanosuke 2021/03/17
    一番の問題は、透けを気にする生徒自身の声を無視して強要してる点。提案だけなら何ら問題は無かったのに。相手を思っての行動も相手にとって迷惑でしか無いなら、それは単なる自慰やハラスメントに過ぎぬ。
  • 中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて

    役に立ってない中学受験勉強 中学受験はおよそ害悪だ。私がそう思う理由は単純だ。それが子どもたちの役に立っていないからだ。中学受験制度そのものは、それは何らかの役に立っているのかもしれない。少なくともそれを実施する私立中学校にとっては、メリットがあるはずだ。そうでなければやらないだろう(そのメリットも、後述するように怪しいものではあるけれど)。けれど、当事者のもう一方である子どもたちにとって、得られるものは「合格」以外のものはなにもない。そういうものだと言ってしまえばそれまでなのだが、じゃあ、合格競争のためだけに貴重な時間を無駄にすることはどうなのか、ということになる。私はそれを害悪だと思う。 なぜ、「子どもたちの役に立たない」というのか。それは、家庭教師としての経験からだ。私は中高一貫の私立中学・高校の生徒の指導にあたった経験が過去に何件もある。いずれも中学受験を無事に突破した生徒たちだ。

    中学受験は、そろそろ根本的に変わったほうがいい - 天国と地獄の間の、少し地獄寄りにて
    ikanosuke
    ikanosuke 2020/09/25
    自分は所謂トップ校に合格してその後落ちぶれた者だ。塾での人間関係がなければ今生きてないし、就職後は面積図を脳内に展開して工場のトラブルをその場の暗算でカバーしてたりしたので、一概に否定しないで欲しい。
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