究極のコミュニケーション能力は、介護のときに露呈すると思う。在宅介護でも病院介護でもいい。自分のことができなくなった人に対し、なにがほしいか、どうしてほしいか、なにをしてあげるべきか、を予測するのは容易ではない。 要介護の母が入院したときだった。兄が見舞いにやってきた。「飲み物持ってきた」とひとこと言った後、狭い病室で立ったままこれといってやることが見つからない。兄は「ちょっとタバコ吸いにいってくる」と言い部屋を出て行った。 しばらくして戻ったものの、やはり手持ち無沙汰。そこで「ほな帰るわ」と帰ってしまった。見舞いの時間は10分ほどだった。兄が「帰る」と決断したのはおそらく「なにもやることがない」ことへの納得だろう。 一方、私は病院に付き添うときに読もうと持参した新聞を読む暇もなかった。自分で身動きが取りにくくなってしまった病人が、あの狭いベッドの中で食事をしたり、オムツを替えたり、たまに
![究極のコミュニケーション能力とは:日経ビジネスオンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/05f492a9ba706b05ca8fd61b1840b099fb59fdc9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fimages%2Fn%2Fnbo%2F2011%2Fcommon%2Fnbologo_ogimage.png)