太平洋戦争中の日本軍の特攻作戦に関する米軍の映像のワンシーン。特攻機の突入に備えてやけど防止クリームを塗るよう勧めている=米国立公文書館所蔵(知覧特攻平和会館提供) 太平洋戦争末期、日本軍の戦闘機は爆弾を抱えて米軍の艦船に体当たりする「特攻」作戦を展開した。だが、多くは敵艦を前に撃墜され、戦果を上げることはできなかった。知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)が米国立公文書館から入手した映像資料では、米軍が特攻のパターンを分析し、応戦方法を練っていたことが分かる。知覧特攻平和会館の学芸員が「分析力の高さに驚いた」と語る、その内容とは――。 81年前の1941年12月8日、米ハワイ・真珠湾の米軍基地を日本軍が攻撃し、始まった太平洋戦争。やがて劣勢となった日本軍は44年10月、フィリピン戦線で戦闘機もろとも敵艦に突っ込み、撃沈を狙う航空特攻を開始した。45年春に米軍が沖縄に侵攻すると、知覧をはじめ
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