ニートでゲーム三昧で暮らしている娘が、スリランカに駐在中の官僚エリートの父から届いた2通のメールを読み上げている動画を書き起こし。「誰だって遊んで暮らせたらと思っている。でもそれじゃ未来がない」。優しくも厳しい言葉で娘の心を動かそうとする父親と、アンニュイな反応を返す娘の姿に、賛否両論のコメントが寄せられています。 みんな、生活のため、家族のため、仕事をするのが当たり前 娘:昨日、父さんにバレました。父さんから「人生」っていうメールが2件届いてた。読むか……。「人生」っていう長いメールが2件届いていた。1つ目。 「○○へ コンピューターゲームをして、一生暮らせれば、誰でも幸せ。誰でも勉強しないで、遊んで暮らせたらと思ってる。パパだって畑で野菜を作って暮らせたら最高だと思う。でも、現実には遊びもできない世の中。お金がないと何もできない。ご飯も食べれない。洋服も買えない。家もない。だから皆つら
ひさびさだー。 + 差別というものを定義することは難しく、またその定義が逆に差別主義者が揚げ足を取ることを促進したりするので、あまり突っ込んだ定義をするものではないと思っている。 けれども モデルを想定し、そのモデルケースが差別に該当するかどうかという思考実験は有益といっていいだろう。 というわけで以下の、差別デマによく見られるケースを想定してみよう。 特定の社会集団に対して明らかに不利益になる言説を、あやふやな根拠で流通させる もうちょっと具体的にいうと、「◯◯人は性犯罪を起こす率が高い」といったもの(◯◯人のところにオタクをいれてもドカチンをいれても同じこと)。こうした言説を根拠なしに流すのは典型的な差別であることは明白であろう。「××人には〜〜病が多い」なんかでも、就職差別や結婚差別を助長する。 では、 「俺は性犯罪をやらかした◯◯人を知っている。俺の周りでも◯◯人の性犯罪率は高いと
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