終戦から75年以上を経て、いまも国内には戦時に使用された施設の跡が残っている。その中には空襲跡のような被害の歴史だけでなく、日本が積極的に戦争を推し進めていた加害の記憶もある。本土決戦に備えて「大本営」司令部や仮の「皇居」の移設まで予定していた長野県松代市の地下壕群など、3か所の「戦争遺跡」を訪ねた。(取材・文:神田憲行/撮影:小禄慎一郎/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部) 《「外相、もうあと2千万、2千万の特攻を出せば、日本は、かならず、かならず勝てます!」》 《「いや、もうあと2千万、日本の男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば――」》 これは「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督、1967年)という映画に出てくる大西瀧治郎海軍中将が、日本の降伏を止めようとして外務大臣に迫るせりふだ。SNSでは映像の一部とともに紹介されることも多いので、見たことがある読者もいるだろう。末期にあ