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ブックマーク / sportiva.shueisha.co.jp (5)

  • 07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」

    木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko松岡健三郎/アフロ●写真 photo by Kenzaburo Matsuoka/AFLO ★日サッカーを救った男の現在地 前編 カマタマーレ讃岐が使用する高松市東部運動公園サッカー場には、2月の寒風がすさぶ中でも熱心なサポーターたちが練習を見学するためにやって来る。若い広報のスタッフはそんな顔が見える度、丁寧にあいさつをする。サポーターとチームスタッフとの距離の近さと信頼が垣間見える。彼がこのチームに来たのはまだ半年前である。サッカー仕事をしたいということで大阪から讃岐にやって来たのだ。選手との初めての顔合わせの際は緊張したが、その中で最も気さくに接してくれたのが、ベテランの我那覇和樹(38歳)だった。 世代的に言えば、代表戦をテレビで観ていた中学生時代、我那覇にはサウジアラビア戦でゴールを決めた男として強烈な印象が今でもあ

    07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」
  • アフリカ→日本→NBAと歩んだ男が、「レフェリー殴打事件」に思うこと

    延岡学園バスケットボール部の男子留学生がレフェリーを殴打した事件は、スポーツ界に大きな衝撃を与えた。その映像がSNS上で広く拡散されたこともあって騒ぎは拡大。同校は全国高校総体の出場辞退を表明し、事件を起こしたコンゴ人留学生の帰国が発表された。 この件について、2008年から3年間、岡山学芸館高校に留学し、現在はプロ選手として活躍するモーリス・ンドゥールに意見を求めた。 高校3年間を日で過ごした、元ニューヨーク・ニックスのンドゥール セネガル出身のンドゥールは、同校のバスケットボール部員して全国大会にも出場。2年連続で岡山県の最優秀選手に選出され、"スーパー留学生"と呼ばれた。その後、2016~2017シーズンにはニューヨーク・ニックスの一員としてNBAでも活躍するなど、日に来た留学生のなかでも最高級の充実したキャリアを過ごしている。 今でも流暢に日語を操り、全部で6つの異なる言語を

    アフリカ→日本→NBAと歩んだ男が、「レフェリー殴打事件」に思うこと
  • 53歳の山本昌が、突然ピッチング練習を再開。その驚くべき理由は?

    まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだった。 夕闇に染まるブルペン、ジャージ姿の大男がマウンドに立つ。両腕を揃えて天に掲げるような特徴的なワインドアップから、捕手に向かって軽く左腕を振り下ろす。球速にすれば80キロにも満たないようなスローボール。それなのに、ボールにはしっかりと回転がかかっており、捕手のミットを「ドスン」と叩く。 ブルペンの脇でトレーニングしていた10人ほどの高校生が、一斉に手を止めて大男のキャッチボールにじっと見入る。誰も言葉を発しない。ただただ静謐(せいひつ)な時間が流れていた。 球児たちの視線に気づいた大男は、苦笑しながらこう言った。 「ごめん、ごめん。3年ぶりだからまだこんなボールしか投げられないけど、あと2、3カ月もすれば、お前らよりいいボールを投げるようになるから」 山昌コーチ(写真中央)の話を熱心に聞く日大藤沢の選手たち 大男は8月で53歳になろうとし

    53歳の山本昌が、突然ピッチング練習を再開。その驚くべき理由は?
  • 川内優輝、公務員やめるってよ。32歳のプロ転向で何が得られるか

    それは突然の告白だった。 成田空港での囲み取材。優勝賞金15万ドル(約1600万円)の使い道を聞かれた川内優輝(31歳・埼玉県庁)はこう答えたのだ。 「来年の4月から公務員をやめて、プロランナーに転向しようと思っていますので、そちらの資金にしたいと考えています」 集まったメディアの顔色が一気に変わるほど、インパクトのある言葉だった。川内は世界最古の伝統を誇るボストンマラソン(以下、ボストン)で、昨夏のロンドン世界選手権で金メダルに輝いたジョフリー・キルイ(ケニア)ら世界の強豪を撃破。日人として瀬古利彦以来31年ぶりとなる優勝を飾り、日米で大きな話題をさらった。 ボストンマラソンで優勝し、プロ転向を表明した川内優輝 そして、長いフライトの間に川内は、空港で語るべきことを考えていたのだろう。早口で話すことの多い川内が、この日は落ち着いていた。 「昨夏のロンドン世界選手権で、自分自身、公務員

    川内優輝、公務員やめるってよ。32歳のプロ転向で何が得られるか
  • 注目のポドルスキはスタッフも面白い。専属通訳の破天荒なサッカー人生

    来日してから約3週間。ルーカス・ポドルスキは今、日にフィットしようと懸命なようだ。 「結構、日語を話したりするんですよ。ポルディ(ポドルスキの愛称)は発音がいいのか、簡単な日語だと日人が話しているみたいです。まじめで、自身の得点について質問されたりしても、『まずはチームの勝ち点3が大事で、得点は二の次』という話をしています」 Jリーグデビュー直前のルーカス・ポドルスキと通訳の村上範和氏 こう明かすのは、ポドルスキの専属通訳をつとめる村上範和氏(35歳)だ。横浜フリューゲルスジュニアユースから横浜マリノスユースを経て明治大学に進学。昨季末まで約15年間国外でプレーし、今回の通訳就任を機にスパイクを脱いだ。今や多くのサッカー少年がJリーグを経験しないまま海外でのプレーを志す。ドイツにはそんな日人選手が多くおり、村上氏もそんなひとりだった。 今回の通訳就任は、マリノスユース時代の恩師が

    注目のポドルスキはスタッフも面白い。専属通訳の破天荒なサッカー人生
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