萌え漫画は好きなんだよ萌え漫画は。 きんモザだのごちうさだの萌えアニメは原作だと楽しく読めるのにアニメはマジで無理。 でもアニソンとか所謂電波ソングみたいなのも好きなんだから萌えボイス声優が無理なわけでもないんだよね。 あとアニメの絵も好き。 だからOPEDは問題なく見られるんですよ。 なんなんだろうねこれ。 テンポが合わないからかな。
![やっぱ萌えアニメ嫌いだわ。嫌いというか無理。](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
周りでも流行ってるからここ数年何度かチャレンジしたけどムリだった 表情がダメ ヨダレ垂らしそうな口元に困り眉毛、けいおん2期から脈々と続く系譜だと思う あとクネクネしたダンスもきつい あざとさが臨界点超えてて吐きそうになる 別に流行るのはいいんだけどさ アレ好きな人って普通のアイドルとか韓流アイドルとかじゃだめなの? 似てると思うんだけど 女児向けアイドル物とか、プリキュアのEDダンスはすごくよく見える(ストーリーはついて行けないことが多いが) あざとさギリギリ手前を攻めてる感じがある 旧アイマスはよかった、デレマスアニメはギリギリ中間地点で途中まで見た、デレマスゲームは見れる ウェイクアップなんちゃらもダメだった、俺にとっては「あざとさの谷」の手前に見えた そういや昔のサクラ大戦とかもムリだった(猫的なやつ)、あとなにあったっけ? SHOBYROCKはいいよね ここらへん、やり過ぎるとア
2008年、僕はその世界に恋をした。 そう、あれは今から8年も前のことで、僕はまだ大学生だった。軽い気持ちで入ったオタサーに所属しており、新作アニメで目についたものを、取り敢えず視聴するのを習慣にしていた。それらの内容について、サークルメンバーとうだうだ語るのが日課だった。とはいえ、ぬるま湯めいたモラトリアム生活にそろそろだれ始めたまさにその時、破格のアニメ、既存の枠組みをぶちこわすような、エポックで世界観をもったアニメシリーズが放映され始めて、僕は瞬く間に虜になった。アニメ一期の遥か前からOVAや企画などの展開があって、物語の背後にとてつもない情報量を含んだ異世界が広がっているのを知って、沼にはまり込むようにその世界へ沈んでいった。DVDを買い、マンガを買い、小説を買い、ゲームを買い、記事の載っている雑誌を買い、ドラマCDを買い、同人誌を買い、SSを読み、ラジオを聞き、イベントに足を運ん
私は特別心の弱い人間なのです。 仕事中に名前も知らない他部署の人が電話越しに怒られてる声が聞こえてくるだけでもなんだか圧迫感を感じて辛くなるし、 自分が関わってないことで明らかに本人の怠慢によるミスで怒られてる声が聞こえていると、まるで自分が責められてるような感覚に陥って辛くなるくらいです。 NEW GAME!見ました。ぞいちゃんかわいいし、茅野さんがふわふわしててとてもいいと思います。 でも日笠の先輩にぞいちゃんが怒られたりしてると、前述の辛さが来てとたん落ち着かないし、ざわざわして平常心でなくなります。 もうそれだけで日笠の先輩に対してマイナスイメージを持ちました。 平常心でなくなるといってもまったくなくなるわけではなくて、平常心がなくなる兆しがある、くらいなんですが、 それでも平日夜にダラダラアニメ見てぐうたらしてる時にそんな状態になると微弱なストレスを感じざるを得ません。 3話で遅
「ウェイ」や「ウェーイ」を揶揄したり嫌悪したりしているくせに、アニメを見ている時には群れて騒ぐキャラクター達を喜んでみている人達は、知らぬ間に自分自身の思い描く理想のかたちが「ウェイ」「ウェーイ」に寄っていっている可能性を忘れてしまっている— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) February 19, 2016 「二次元と三次元は区別できます」ええ、そうでしょうとも。でも、架空のコンテンツが浸食するのは現実検討識の領域ではなく、思い描く理想や願いの領域ではないでしょうか。アニメやゲームの描写と現実を区別できる人でも、アニメやゲームにあるべき理想像を浸食されている人は結構多いのでは?— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) February 19, 2016 世の中には、アニメやゲームの影響を過大評価する人がいる。曰く、「ア
そんな人いる?よく「中身のあるアニメはつかれる、日常系は何も考えなくていい」みたいな意見目にするけど、自分は逆で日常系の何もなさが苦痛で仕方ない一応齢はそれなりにいってるつもりなんだが、いつまでもこんな感じなんだよなツイートする
シンデレラマスター恒例の鬱展開来たのだけれどかなり心にダメージを負ってしまった。 このダメージを考えると、今から思うとアニマスの時は正直いって、あんまりダメージ受けなかったことに気づく。 千早とかはるかっかの展開だってそうとうきつかったはずなのに今回のUDKさんの方が圧倒的にダメージでかい。何故だろう。 やっぱりこれは、デレマスの女の子たちが自分にとってまだアイドルという壁を存在じゃないからなんだろうな。 765プロのメンバーは、異論はあるだろうが私にとってはもうすでにアイドルというかプロだった。 傷つこうがパパラッチにあおうが、ケガをしようが、他のいろんなことで悩もうが、それは彼女たちの問題であるというせんびきが自分の中にあった。 大変だなとか頑張れ、と思うことはあっても他人事であった。壁の向こう側の出来事だった。 だけど、デレマスの女の子たちって、アイドルであるよりまえに、まだそういっ
「物語を消費する」とかクッソ偉そうなこと書いたけど、要はアニメ観るのがしんどくなってきた。 例えば、重厚で深い設定を読み込む必要のある物語や悲しくも美しく泣かせる物語みたいに、少し身構える必要のあるアニメじゃなくても、観るのがしんどい。 ヤマカン言うところの「美少女動物園」とかでも、まず第一話を観るのがしんどい(これから物語にいざなわれる、その体験がまず面倒くさい)。 重い腰を上げて第一話を観ると意外と楽しめたりするんだけど、途中で飽きて最後まで観られなかったりする。最後まで観ることに成功して「ああ、よかったなあ」と思っても、その「ああ、よかったなあ」が続かなくて、やはり最終話まで観ることがない。 そういえば前期は「長門有希ちゃんの消失」を楽しく観ていたはずなんだけど、途中で観なくなってしまった。何か特別な理由があるわけではなくて、ぷつりと観なくなってしまった。 「別にアニメなんて観なくて
下の画像は世界のSAD(Social Anxiety Disorder:社会不安障害)当事者達の間で今話題になっているアニメの第一話のワンシーン。 主人公の女子高生黒木智子が学校の門を出たところで、先生に「気をつけて帰れヨ」と声をかけられ、硬直。声が出なくなり、挨拶もできなくなり、焦っているシーンである。 日本のアニメであり現在放映中らしいが(オフィシャルページ)、このアニメについて知ったのは私がゆるく繋がっている日本国外のSAD達からの情報だった。 なにしろSADという精神疾患を舞台の中央に置いた初めての漫画であり、大変画期的であると当事者たちに称賛されている。SADに悩む世界の多くの人々がこのアニメを見て「共感した」、「泣いてしまった」とネット上に書いている。 漫画として有名になったのは海外でのことで、いわば逆輸入的に日本でも広まったらしい。 観て思った。この主人公は激しくSADである
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