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hachimasa: YOU俺の代わりに読まずに『ぎゃるせか』を批評しろYO [http://twitter.com/hachimasa/statuses/1417618505] catfist: 冷たい嫁にめげずにギャルゲヱの世界うんちゃらの感想を読み始める我 [http://twitter.com/catfist/statuses/1417642685] catfist: 読まずに考え中 [http://twitter.com/catfist/statuses/1417699513] catfist: これ、スマガじゃなくてとらドラと比較する作品じゃないかな、ギャルセカ。 [http://twitter.com/catfist/statuses/1417711169] catfist: いわゆるKanon問題、「一人のヒロインを救ったとき別のヒロインが救われない」という問題の文
なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO 『真剣で私に恋しなさい!』から、遡るようにプレイ。 『まじこい』とも共通していたのですが、ヒロインの問題という問題意識に対する観点がある種特徴的で面白かったですね。一言でいえば、ヒロインに「エロゲ的」トラウマがない――というか、トラウマを「エロゲ的に扱わない」という点。ここでいう「エロゲ的なトラウマ(トラウマのエロゲ的な扱い)」というのは、それこそ『Kanon』あたりから代表されるであろう、物語においてヒロインの問題として存在して、主人公によって・彼の行動によって・彼の存在によって・彼と過ごす日々という物語によって、癒されたり解消されたり向き合ったりする対象としてのトラウマです。『Kanon』っていうか、『リトバス』の個別ルートなんかまさにというか典型的なくらいにそうでしょう。そういった対象として在るトラウマ。それ
■ notes / Brumaire an CCXVIII そこで、魔女裁判を異端審問として正当化することが、いいかえれば、「魔女」が「異端者」であることの証明が、教会当局にとって必要、かつ重要な課題となった。この課題を解決する役割を引受け、それをもっとも見事に果したのが『魔女の槌』であった。同書がその冒頭においてこの問題を取り上げたのはもっともなことであった。この新書版に邦訳するとすれば一〇〇〇頁を越えるであろう『魔女の槌』の三分の一をそれに当てた第一部の長々しい論証によって確立された結論は、「魔女は悪魔と盟約を結んで悪魔に臣従し、その代償として悪魔の魔力を与えられ、超自然的な妖術を行なうことができる」ということだった。 ここにおいて魔女は「明らかな異端を伴なう」どころか、「異端者の中でも極悪の異端者」となった。「他の異端には悪魔との結託ということはない。魔女の異端の忌まわしさは、この悪
最近、サンデーはチェックしていなかったので四巻の中身は全て初読……だったわけだが。 「サブヒロインは世界と闘争する」 「変容する自己と他者」 前者の中身とほぼ同じ内容が、既に「物語として」過不足なく描写されていたことに驚きつつもややしょんぼり (´・ω・`) まあ相手は神だからしかたないな。 さておき、今回の巻に収録されている小坂ちひろ篇における「普通の人」の物語には、ギャルゲー・エロゲーの基本構造についてある意味重要な示唆が含まれている――そう言えると思う。 前回の1.2.を受けて、次の疑問を提示してみる。 3.物語は誰の物か ギャルゲー及びエロゲーは通常、ヒロインの魅力に焦点をあてた作品としてまずつくられる。 しかし、それは全てのギャルゲー/エロゲーが「ヒロインの物語」であることを意味しない。 前回2.で述べたように、主人公側の救済/トラウマ解消/目的達成がヒロインのそれより優先される
@tukinoha氏の「最果てのイマ」論に応答しての「CROSS†CHANNEL」「最果てのイマ」両作品についてのテキスト論。選択肢型エロゲが保有する物語可能性空間の多様性を、ベンヤミンの「メシア的時間」概念と無理やり絡めて、田中ロミオがどのようにその多様性について向き合ったかについての私的メモ。
選択肢式ギャルゲーにおいてよく議論される問題として「あるヒロインを選択した場合、その他のヒロインはどうなるのか」というものがある。これは、選択肢によって個別ストーリーへと進み、他のヒロインが後景化するタイプのゲームにおいて前景化する問題である。これについては「多世界解釈=遡及的過去生成」説と「同一世界解釈=確定的過去共有」説が有力な説として浮上し、それがある種の対立関係にあるものとして語られてきた、という過去があった。ひらたくいえば、前者は「あるひとりのヒロインが選択されると、そのヒロインルートがひとつの確定的現実として観測され、他のヒロインたちは自動的にドラマを保有しない脇役へと後景化する」というアクロバティックな解釈であるが、後者は「あるひとりのヒロインが選択されると、他のヒロインたちはそれぞれのドラマを保有したまま、主人公と結ばれないことによるバッド/ノーマルエンドへと向かう」という
ちょっと前なのですが、Language×Languageの相羽裕司さんからブログへのリンクをいただいてました。ちょっとそのことについて。 ぼくの記事から『ひぐらしのなく頃に』の話に繋げていただいてます。 ハーレムギャルゲーの終焉は『ひぐらし』でも描かれている: ひぐらしのなく頃に解/ネタバレ感想ブログ 去年(09年)の暮れ頃に、『ときめきメモリアル4』の隠し(なのかな)ヒロインが話題になったりしました。 特にサブカルチャーを視座に入れながら批評的な活動をしている方々のブログやTwitterで話題になっていた感じがあります。たとえば、いずみのさんのこのエントリなんかが参照できます↓ ●『ときメモ4』と『生徒会の七光』がゼロ年代最後尾のリリースであることの意味/ピアノ・ファイア 少し乱暴にまとめてしまうと、00年代、オタク達は、ギャルゲーなりハーレムアニメなりで、俺たちは複数のヒロイン達からよ
Leaf(リーフ) WHITE ALBUM2 -introductory chapter- 初回限定版 (予約キャンペーン特典「オリジナルフィギュア」付き) リーフ 2010-03-26 売り上げランキング : Amazonで詳しく見る by G-Tools 敷居さんの薦めを受けて、ホワルバ2をプレイしていました。 結論から言うと、すごく気に入った作品です。オススメ感謝。 前作のホワルバとは世界(=音楽業界)がつながっているだけで、ドラマ上の連続性の無いタイトルです。 なので、2からいきなりプレイしてもOKですよ? という前提で「どこをどう気に入ったのか」という話をしたいと思います。 一本道シナリオである「序章」 まずはパッケージとしての形態から説明すると、今発売されている「introductory chapter」は全体の序章という位置付けで、次の冬に出る「closed chapter」
Steins;Gate (シュタインズ・ゲート) (数量限定版) - Xbox360 出版社/メーカー: 5pb.発売日: 2009/10/15メディア: Video Game購入: 7人 クリック: 286回この商品を含むブログ (72件) を見る あらかた感想は出揃っているので、直接的に触れられることの少ない「メタギャルゲー」としての『シュタインズゲート』について。 構成に関わっている下倉バイオ氏が、ニトロプラスの方で『スマガ』のシナリオを書いていたのは、ご存知の方も多いと思います。 スマガ 1 (ガガガ文庫) 作者: 大樹連司,津路参汰出版社/メーカー: 小学館発売日: 2008/10/18メディア: 文庫 クリック: 60回この商品を含むブログ (29件) を見る (ソフトが表示できないので、画像は小説版) 扱うと書いておいてあれなのですが、「メタギャルゲー」の語そのものについて、
村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』だったと思う。読んだのは中学生くらいのころなのに、終わりの印象は、今でもべっとりと頭にこびりついている。 「僕はこの世界に責任があるんだ」 そんな台詞があったかは定かではないか、世界の終末に殉じる主人公は、ともに滅びることを選択していたはずだ。不健全で間違っているといわれるとそれまでなのだけれど、人間の世界への認識なんて、根っこのところでそんなに変わるものでもない。自分が関わってしまったことには、自分のセカイに取り込まれてしまったものには、どうにも責任を感じてしまう性質というのはある。 エロゲーのKanon問題もそんな感性から端を発するのだろう。 エロゲーのテンプレートには"ヒロインを救済することで結ばれる"というのがある。なぜ救済することで結ばれるのだろうか? 救済の意味するところが本質を全うさせることにあるからだろう。本質を全うさ
お会いする度に美しくなられるあおい様。毎夜センスの良いランジェリーを身にまとい、たわわな果実を揺らしながら、妖精のような綺麗なお声で感じるあおい様に欲情しては、快楽に溺れてしまうのです。今後清純なあおい様の初めてになられるお方が、羨ましくてなりません。
http://www.ero-gamers.com/03/index.html エンターテインメントは欲望とともに entertainment 名 1. 楽しみ、娯楽{ごらく} 2. エンターテインメント、楽しませるもの、催し 3. もてなし、歓待{かんたい}、接待{せったい} entertainmentの検索結果 - 英和辞書 - 英語辞書 - goo辞書 世の中には多くのメディアがあり、様々なコンテンツが流通しています。その多くが、エンターテインメントに分類されるコンテンツです。 エンタメは、不特定多数の受け手を楽しませるために発展してきました。そして、人を楽しませるのにもっとも直接的で有効な方法は、その欲望に答えることです。 多くのエンタメ作品で見られる「勧善懲悪」というスタイルは、「悪党は懲らしめらてほしい」という大衆の普遍的欲望に答えるものといえます。 異性との恋愛も普遍的欲望の
『Steins;Gate(シュタインズ・ゲート)』をクリアした。ゲーマースコアも1000。実績もコンプリート。いやあ、まったく素晴らしい作品だった。これは本当に傑作と言ってしまって良いような気がする。物語の面白さ、キャラクターの豊かさ、ガジェットの豊富さ、どれをとっても素晴らしいが、やはりギャルゲーの構造的に持っている”悪”に対して真正面から切り込んでいるところが素晴らしいと思った。感動的だ。今作は、『スマガ』で一気に名を上げた感のある下倉バイオがシナリオ補佐に入っていることもあるのかもしれないが、『スマガ』と同じものを目指している作品であろう。 いわゆるKANON問題に対する回答だ。この問題にきちんと取り組んでいる作品は存外少なく、『スマガ』はその問いに答えつつ、高いレベルでエンターテインメント性を維持した稀有な作品であった。このKANON問題と言うのは、端的に言えば、「ギャルゲーで主人
なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO いまさらながら積んでたのを崩しました。ところどころ面白かったんだけど、それゆえに「惜しさ」が目立ちますね。勿体ない、もうちょい練ってれば、という。 ある意味では典型的なギャルゲー・エロゲーです。エンディング曲の歌詞に「今あなたの腕につつまれて 私生まれ変わる」という一節がありますが、まさにそのような内容。3つのシナリオ・3人のヒロインそれぞれが、大なり小なり「主人公のおかげで」、それまでとは違う自分に生まれ変わる。「主人公のおかげ」というのは、直裁に彼の行動がヒロインのトラウマや問題克服において大きな助力になったりとか、あなたがいるから頑張れる的な支えだったりとか、いろいろですが。主人公が(エンド時の・最終的な)ヒロインにとってある種欠かせないものとなっている(実存在に限らず、心的な支えとかの意味でも)。あなたの腕
これまでのあらすじ:半年以上前に書いて下書き状態で寝かしてたけど数ヶ月前にアップしてみたら某氏にどうでもいいと切り捨てられたのですぐ消しちゃったけど(笑)、なんか最近のお話聞いてたら3割くらい被るんじゃねえと思ったのでちょっと手を加えてアップしてみた。 「『Kanon問題』とは何か」。やーもう議論の核とか知りませんしそも何処を拝見すればよろしいのか存じなくて非常にこうなんといいますかー、正当な認識からは遠く離れていると自分でも理解しているのですが、そこはひとつファジーなお心持ちで、つまり閲覧者の方におきましては利用できる所は利用してやろうといった具合に、寛容なお心でご覧になっていただきたいのですが、さて、Kanon問題。「そもそも」や「正式に」などは存じ上げないので誤解を含んでいるかもしれませんが、方々で偶に目にする議論やお話を拝見させていただく限りにおきましては、大雑把に申し上げてしまい
ネタバレ注意。 素晴らしき日々〜不連続存在〜 3より引用 286 :名無しさん@ピンキー:2010/04/08(木) 01:08:04 id:grvjJoys0 ついでに作中に出てきた本もまとめてくれると嬉しいな いつか読んでみたいから 386 :名無しさん@ピンキー:2010/04/08(木) 21:34:10 id:EQYMwd0s0 >>384 まったくだw >>286 まとめてみた 作中でキャラクターが読んでいた書籍 純粋理性批判 シラノ・ド・ベルジュラック(原書も) 猫と共に去りぬ 作中でキャラクターが引用していた書籍 論理哲学論考(草稿もだったら全集の一巻) エミリ・ディキンスン詩集 阿房列車 不思議の国のアリス 鏡の国のアリス 作品のモチーフ?になった書籍 ドグラ・マグラ 銀河鉄道の夜 らき☆すた かんなぎ 387 :名無しさん@ピンキー:2010/04/08(木) 21:3
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