いつの間にか、Apple Watchを腕に着けていることを忘れてしまっていた。こう書くと、ふだん筆者がApple製品を多用していることを知る同僚は、褒め言葉だととらえるかもしれない。全くの誤解である。久しぶりに会った知人に指摘されるまで、そこにあるのが単なる腕時計でなく、ウエアラブル業界最強の切り札であることを本当に忘れていた。もっと言えば、折にふれて盤面に時刻が現れなくなることから、そもそも何もないのと同じ、「まさに究極のウエアラブル端末」と表現したいくらいだ。 確かに動機は不純だった。締め切りの重圧に押しつぶされそうになると、なぜか物欲が頭をもたげる。そんな自分に、分解用の一台は、いち早く確保しろと言うのだから因果な商売である。予約ついでにもう1つ頼んだとしても何の問題があろうか。事前に公開されたレビュー記事には、生活が変わるとまで書いてある。自腹を切るのだから誰にも文句を言われる筋合