タグ

ブックマーク / number.bunshun.jp (77)

  • 日本人選手“10代メジャー直行”の賛否…結城海斗19歳の“解雇”で考える 菊池雄星は「高校生がマイナーに飛び込むのは大変」(氏原英明)

    人史上最年少でMLB球団のKCロイヤルズと契約していた結城海斗が自由契約となった。 日の高校へ進学せずに海を渡った右腕には注目が集まったが、厳しい結果となった。このコラムでも彼の挑戦を応援していただけに、残念というしかない。 過去に、菊池雄星(マリナーズ)や大谷翔平(エンゼルス)が高校を卒業してのメジャー挑戦を目指した際には世間から「成功するはずがない」と否定論が渦巻いたが、若くしてのメジャー挑戦はこれまでどおり日のプロ野球を経てからというのが定石なのだろうか。 とは言え、海外FA権までの取得年数が9年と長く、1年でも早くメジャーに挑戦したい選手からすれば、かなり重大な選択を迫られるだろう。大谷のように割と早い段階で球団からの容認がもらえればいいが、選手によって、9年近くを待たされるのは長い。 個人的には、挑戦したい意欲があるのであれば、年齢には関係なく、早い段階から海を渡るべきで

    日本人選手“10代メジャー直行”の賛否…結城海斗19歳の“解雇”で考える 菊池雄星は「高校生がマイナーに飛び込むのは大変」(氏原英明)
  • 26歳“現役ランナー”卜部蘭が語る、性的画像の難しさ「鍛えられた肉体美は“知ってもらうきっかけ”にもなる」(佐藤俊)

    そのひとつが、産後のアスリートの復帰だ。 「これは日だけに限らず、世界的に見てもそうなんですが、出産を経て、競技を続ける人の数が非常に少ないんです」 そう言われてみると確かに女性アスリートの場合、妊娠して、出産し、子育てに入ると、もう競技者としては“上がり”のような風潮がある。 「ほんと、そうなんです。日で女性の社会進出が改めて問われている中で、アスリートが育児を挟んで復活するために、もっとサポートできる環境が生まれて、理解が広がっていけば、陸上に限らず、産後も競技を続けたい人、戻りたい人がけっこう出てくると思うんです」 「いろんな人の思いがあって生まれた1枚だと思うんです」 そう願うなかで、卜部には最近、忘れられない印象的なシーンがあったという。 「寺田(明日香)さんが織田記念で日記録(100mハードル)を出した時、娘さんとタイム表示板の前で写真を撮られていたのがすごく素敵だなって

    26歳“現役ランナー”卜部蘭が語る、性的画像の難しさ「鍛えられた肉体美は“知ってもらうきっかけ”にもなる」(佐藤俊)
  • ノムさん「プロに誘ってすまなかったな…」あれから20年、阪神・F1セブンの元メンバーが明かす“野村監督とのその後”(長谷川晶一)

    その瞬間、スタジオ内は爆笑に包まれ、赤星以外の6選手の顔写真が、一瞬にしてカラーからモノクロへと変わっていく――。2020(令和2)年4月23日オンエアのテレビ朝日系『アメトーーク!』の一場面だ。この日は、「ありがとうノムさん芸人」と題して、野村克也追悼企画が放送されていた。この放送から1年以上が経過した今、番組内でも紹介された高波が苦笑いを浮かべる。 「僕と赤星だけが5秒台で、あとは6秒フラット前後だった」 「今でもF1セブンを取り上げていただけるのはありがたいし、嬉しいですよ。野村さんが亡くなられて、『アメトーーク!』でも紹介されました。陣内さんにはディスられたけど、僕らも速かったんですよ。確かに赤星は頭抜けていたし、誰も彼には勝てなかったけど、赤星だけカラーで、僕らを白黒写真にすることはないのにね(苦笑)」 01年春のキャンプで突然誕生した「F1セブン」は、その年のオフ、野村の退陣と

    ノムさん「プロに誘ってすまなかったな…」あれから20年、阪神・F1セブンの元メンバーが明かす“野村監督とのその後”(長谷川晶一)
  • 高校女子野球の甲子園開催を「正面から反対したのは私です」 25年前、高野連が下した「女子大会の開催は時期尚早」という判断(飯沼素子)

    たくさんの人たちが願っていた「高校女子野球の決勝を甲子園で」が、2021年8月、第103回夏の甲子園大会休養日に実現する(22日を予定)。長く女子の野球に冷淡だった日高野連は、なぜこのタイミングで「女子も甲子園」を許可したのか。そしてこれからの課題は。 全国高等学校女子硬式野球連盟(以下女子高野連)と日高野連(以下高野連)との交流の歴史、および関係者への取材から、その真相を探った(全3回の1回目/#2、#3へ続く)。

    高校女子野球の甲子園開催を「正面から反対したのは私です」 25年前、高野連が下した「女子大会の開催は時期尚早」という判断(飯沼素子)
  • 令和の部活事情「帰宅部が1番人気って本当?」「部活でサッカーやるのはカッコ悪い」イマドキ中学生の本音(沼澤典史)

    中高生に人気の部活が大きく変わり始めている。正確には部活に入らない=「帰宅部」が当たり前になっているという。現役教師の方々に取材し、その背景に迫った(全2回/後編へ)。 野球の「甲子園」、サッカーの「国立」、ラグビーの「花園」……。部活動の大会は多くの人々の関心を呼び、学生が毎年生み出すドラマに全国が熱狂する。 それはなにも、こうした「メジャー」なスポーツの部活だけではなく、マイナーなスポーツの部活にも、それぞれのドラマがあり、生徒や顧問、保護者らが一体となって学生時代の青春の1ページを形作っている。学生の分は勉強とはいえ、「文武両道」を校訓とする学校も多数あり、教育理念の面でも学校生活と部活は不可分と考えられていることもまた事実だ。 しかし、近年では厳しすぎる指導に対して「ブラック部活」や「パワハラ」などの言葉が叫ばれ、生徒の側が部活を見る目は、学校側のそれとは大きく異なってきているよ

    令和の部活事情「帰宅部が1番人気って本当?」「部活でサッカーやるのはカッコ悪い」イマドキ中学生の本音(沼澤典史)
  • 「五輪選考会の標準記録も可能」NFL屈指の俊足選手が100m走に挑戦 “ボルトより速い〇〇選手”論に終止符?(及川彩子)

    だけではなく、世界中で、サッカー、アメフト、野球選手のスピードがこんな風に紹介されることがある。俊足ぶりを表現したいのは分かるが、数字、記録を争う世界にいる陸上選手や関係者にとっては、見過ごせない内容だ。 ボルトよりも速い選手が他スポーツにいる? 50m走のタイムは手動で、選手自身のタイミングでスタートしていることが多いし、サッカー選手のプレー時の最高時速を単純に100mに換算されても、あくまでも仮説なのでボルトを超えたことにはならない。俊足の選手は、確かにその競技では突出したスピードを持っていることはまちがいない。だがボルトよりも速い、50mで日記録を超えるなどの表現は、陸上選手に対して敬意がないように感じる。 もちろん当該選手には非がなく、キャッチーな見出しをつけたり、正確性に欠ける数字をそのまま伝えているメディアに問題があるのだが、多くのスポーツファンはこう思っていたのではない

    「五輪選考会の標準記録も可能」NFL屈指の俊足選手が100m走に挑戦 “ボルトより速い〇〇選手”論に終止符?(及川彩子)
  • 食べたものを吐けば、もう苦しい減量をしなくていい… マラソン・原裕美子が背負った“食べ吐きの代償”(松原孝臣)

    マラソン元日本代表の原裕美子は『私が欲しかったもの』(双葉社)を刊行し、摂障害や窃盗症に苦しんだ過去と現在を隠すことなく打ち明けた。彼女が“べ吐き”を伴う摂障害に陥るまでには何があったのだろうか(全3回の1回目/#2、#3へ)。 2005年、初マラソンの名古屋国際女子マラソン(2012年より名古屋ウィメンズマラソンとして継承)で2時間24分19秒の好記録で優勝。原裕美子は華々しくデビューレースを飾った。同年の世界選手権代表に選出され、そこでも6位入賞を果たす。その後も大阪国際女子マラソン優勝をはじめ輝かしいキャリアを築いた。 だが、その裏には苛酷のひとことではおさまりきらないほどの日々があった。 今年3月、厳しい体重管理、その後患った摂障害、そして万引き(のちに窃盗症であったことが診断で判明)と逮捕――当時と現在を綴った『私が欲しかったもの』(双葉社)を出版した。 原が同書を刊行し

    食べたものを吐けば、もう苦しい減量をしなくていい… マラソン・原裕美子が背負った“食べ吐きの代償”(松原孝臣)
  • 安藤美姫が明かす“記憶を失くした18歳の1年間”「特にトリノの頃はスケートのことをあまり覚えてないんです」(河崎環)

    くっきりと張りのある声。意志を感じさせる美しい顔立ちに、しなやかな身のこなし。マネージャーに付き添われて取材場所に現れたのは、プロフィギュアスケーター・安藤美姫だ。 取材者の話にしっかりと耳を傾け、自分の言葉で、誠実に、しかもたくさん話してくれる。ただ瞳の奥に、和らぐことはあっても消えない硬さがある。「初めてお会いする方にはどうしても壁を作ってしまうところがあって」。彼女がそう教えてくれるまで、少し時間がかかった。でも、自らそれを口にできるようになったこと、それ自体が安藤美姫の濃密な、33年間の人生を物語っていると、のちにわかった。 名古屋で育ち、9歳からフィギュアスケートを始めた安藤が、女子史上初の4回転ジャンプに成功したのは14歳のとき。その後、16歳でシニアデビューを果たした天才少女は、トリノ五輪代表選考を前に激烈なメディア攻勢に晒されたという。あれから18年――。当時のことについて

    安藤美姫が明かす“記憶を失くした18歳の1年間”「特にトリノの頃はスケートのことをあまり覚えてないんです」(河崎環)
    imakita_corp
    imakita_corp 2021/04/15
    むしろトリノでの無理に狙った雑な4回転で安藤が好きになったわ。世界レベルの若い人とおっさんの自分を比べるのはアレだけど「分かるわー、分かるけどそこは…でもやっちゃうんだよなあw」と
  • 33歳安藤美姫が振り返る“母での復帰”「『出産を経ての復帰は無理だ』という声に疑問を覚えました」(河崎環)

    2012-2013シーズンの公式試合を欠場していた安藤だったが、2013年7月、テレビ番組のインタビューで「4月に無事出産、母になりました」「最後まで悩んだけれど、1人の女性として生きることを選んだ」と公表。同時に、全日選手権、そして2014年2月のソチ五輪に挑み、今シーズン限りで現役を引退することも表明した。 フィギュアスケートの世界では、母として競技復帰する前例がこれまでなかったが、すっきりした表情で安藤は言う。「いろいろとご意見もありました。それでも復帰を決めた一番の理由は、娘です」――。現役引退から8年が経った今、改めて安藤美姫に“現役最後の1年”を聞いた(全3回の3回目/#1、#2より続く)。 2013年、安藤美姫の長女出産報告と、そのシーズンを最後とする引退宣言を聞いた世間は、またバッシングを始めた。「アスリートなのに出産するなんて、何を考えているのか」。アスリートに恋人がい

    33歳安藤美姫が振り返る“母での復帰”「『出産を経ての復帰は無理だ』という声に疑問を覚えました」(河崎環)
  • 「女性であることがコンプレックスだった」女子ラグビー代表選手がイギリスで気づいた“日本のスポーツ界の問題点”(吉田直人)

    「日でプレーする中で生まれた問いを、イギリスで答え合わせしている感覚です」 15人制ラグビー女子日本代表の支柱として13年にわたりプレーしてきた鈴木彩香は、2020年11月にイングランド・Premier 15s所属のWASPS LADIESに加入。コロナ禍による制約や言葉の壁など不慣れな環境下、12月12日にはフル出場を果たした。 7人制でリオ五輪も経験し、競技歴20年を数える日本代表のCTBは、今年9月にニュージーランドで開催予定のワールドカップを競技人生の集大成と定める。セカンドキャリアとして志すのは指導者の道だ。 だが、英国に身を置くなかで、「プレーの良し悪しとは別の価値観に気づいた」とも話す。その気づきは、チームの強化という枠組みを超え、ラグビー界、スポーツ界を変えたいという思いにも繋がっていた。 「日が勝つために必要なことは何か」即答で決まったイギリス行き 渡英のきっかけは唐

    「女性であることがコンプレックスだった」女子ラグビー代表選手がイギリスで気づいた“日本のスポーツ界の問題点”(吉田直人)
  • 巨人・桑田真澄コーチ「9回完投135球」論の本質 “昔の俺たちは凄かった”的OBと似て非なるワケ(広尾晃)

    巨人の桑田真澄氏が「9回完投135球」の持論を唱えたのが話題になった。同氏に取材経験もある記者による記録を含めた「球数」考察を前後編の2回に分けてお送りする(後編はこちら)。 新型コロナ禍の春季キャンプでひときわ注目を集めているのが巨人の桑田真澄一軍投手コーチ補佐だ。2006年に退団して以来15年ぶりの巨人復帰である。 そして就任にあたって桑田コーチは「先発投手は9回完投135球を目指すべき」と持論を唱えたことが、大きな話題になっている。 筆者は2016年、東京大学で行われた「野球科学研究会大会」にパネリストとして招かれ、このとき当時東京大学大学院の研究員だった桑田氏の知遇を得た。その誼で2019年に『球数制限』というを刊行するにあたって、桑田氏にコメントを寄せていただいた。顔を合わせれば、意見交換をするような間柄である。 「野球は近い将来マイナースポーツに」 2016年の「野球科学研究

    巨人・桑田真澄コーチ「9回完投135球」論の本質 “昔の俺たちは凄かった”的OBと似て非なるワケ(広尾晃)
  • 高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか(西尾典文)

    2004年秋季全道高校野球秋季大会決勝で捕手を務めた駒大苫小牧の田中将大。その後の明治神宮大会では「背番号2」をつけてマスクをかぶった キャンプイン直前の1月28日、古巣楽天への復帰を発表したことで話題を独占した田中将大。8年ぶりの日球界復帰のニュースに、大いに期待を抱いたファンも少なくないだろう。筆者も“朗報”に触れながら、学生時代に取材したことを回想していた。 田中のプロ入り後の成績は申し分ないが、駒大苫小牧高時代は2年夏に甲子園優勝投手となり、3年夏には斎藤佑樹擁する早稲田実業高と決勝戦再試合の激闘を演じるなど、学生時代も数多くの伝説を残してきた。少年野球時代はキャッチャーを務め、バッテリーを組んだのは同じ兵庫県出身の坂勇人(巨人)だったことは有名な話。ピッチャーに格的に転向したのは高校時代からだった。しかし、あまり語られていないのが、田中にとって初の全国大会でもキャッチャーと

    高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか(西尾典文)
  • 女子陸上選手はなぜ“セパレート型”ユニフォームを着る? 努力を踏みにじる「性的画像撮影」の卑劣さ(松原孝臣)

    女性アスリートの撮影被害や画像拡散などの問題に焦点があてられるようになった。 陸上競技も、問題視される競技のひとつだ。 主に短距離やハードル、走幅跳や走高跳などの女性アスリートが着用している、上下が分離したタイプのユニフォーム、いわゆる「セパレート型」のユニフォーム姿が撮影の標的とされてきた。 全国大会で活躍するレベルにある選手は、今ではたいがいセパレート型を着用している。学生でも多くの選手がこのタイプのユニフォームを選ぶ。スタンダードと言っていいだろう。 肌が出ている割合が多いがゆえに、撮影の被害を受けてきた。でもセパレート型を着用するのには、競技上の根拠がある。 もともとはセパレートのユニフォームはなかった セパレート型のユニフォームはもともとあったものではない。昔はランニングシャツにランニングパンツが主流であった。 最初にセパレートタイプを着用した選手が具体的に誰かははっきりしないが

    女子陸上選手はなぜ“セパレート型”ユニフォームを着る? 努力を踏みにじる「性的画像撮影」の卑劣さ(松原孝臣)
    imakita_corp
    imakita_corp 2021/01/30
    >>海外のトップクラスの中にこれを着る選手が出てきて、日本の上位選手にも出てきた。「速い選手が着て」いれば、真似したくなる
  • 清原和博が1985年決勝を見る。「自分の一番、輝いている瞬間を……」(鈴木忠平)

    清原和博が、1985年夏の決勝戦を見る――。 「Number」958号の甲子園特集において、この企画が持ち上がった時、正直、ぞくっとした。 「僕の人生の中で、一番忘れられない試合なんです」 自らがそう語る最高の瞬間を、暗闇の中にいる今の清原氏がどう見るのか。そこには、人の内面や質をえぐり出すようなものが存在すると思った。 ただ同時に、実現は難しいのではないだろうか、とも思った。なぜなら、33年前の夏と、現在の清原氏の間にあるコントラストが残酷すぎるからだ。 プレーボールからゲームセットまで、すべてが「清原和博」という打者を中心に、美しく完結される、眩しすぎる、あの決勝戦を直視できると思えなかったからだ。 だが、清原氏はやってきた。視聴覚設備の関係で、場所は文藝春秋社となった。それでも、何かを覚悟したように、そこへやってきた。 そして、薄暗い部屋で、ただ一点、明るく浮かび上がる画面の前に

    清原和博が1985年決勝を見る。「自分の一番、輝いている瞬間を……」(鈴木忠平)
  • “つたない英語”が高木美帆を変えた。オランダ人コーチが支えた銀メダル。(矢内由美子)

    両手を挙げながら表彰台に跳び乗った。メダルを狙うという覚悟で五輪の大舞台に臨み、そして、メダルを獲った。十分に晴れがましい笑顔だった。 江陵オリンピックオーバルで行なわれたスピードスケート女子1500m。高木美帆(日体大助手)が銀メダルを勝ち取った。 15歳で出た2010年バンクーバー五輪では、銀メダルに輝いた女子チームパシュートの一員でありながら、準々決勝から決勝までの3レースで一度も出番がなく、1人だけメダルを授与されなかった。小平奈緒、田畑真紀、穂積雅子から、表彰式の後にそっとメダルをかけてもらうと、あどけなさの残る顔を少しゆがめ、複雑さの混じる笑みを浮かべた。 それから8年。どん底から這い上がった少女は、いつしか闘うアスリートの顔になっていた。 「もうちょっと行けたんじゃないかな? って」 「率直には、掲示板で2番という結果を見たときは、メダルを取れたといううれしさがあった。でも、

    “つたない英語”が高木美帆を変えた。オランダ人コーチが支えた銀メダル。(矢内由美子)
    imakita_corp
    imakita_corp 2018/02/19
    >ヨハンがシンプルな英語で説明してくれるうちに、自分の考え方もシンプルになっていった。大学2年~まではいろいろと考えすぎていたのですが、そこにシンプルな言葉が乗ったことで、考えがうまくまとまったんです
  • 名作ノンフィクション 「江夏の21球」はこうして生まれた  【連載第1回】 - Number Web : ナンバー

    1980年、日初のスポーツ総合雑誌として創刊された「Sports Graphic Number」の誌面に、画期的なノンフィクション作品が掲載された。「江夏の21球」は、日シリーズの最終戦で広島のピッチャー江夏豊が投じた21球の裏にある心理と智略を見事に描き出し、スポーツジャーナリズムに新しい可能性を拓いたのだ。 アスリートの内面に肉薄するという「Sports Graphic Number」を今も貫くスタイルが生まれた瞬間を、当時の編集長岡崎満義が1986年に記した文章で振り返りたい。 リリーフ投手のイメージを変えた――江夏豊の出現 『スポーツグラフィック・ナンバー』というスポーツ誌をやれ、といわれてから実際に発行するまで準備期間は七カ月あったが、「イケル!」と確信できたのは、江夏豊に会ったときだった。それは昭和55年1月2日、大阪のロイヤル・ホテルの一室であった。 江夏は何時間かのサイ

    名作ノンフィクション 「江夏の21球」はこうして生まれた  【連載第1回】 - Number Web : ナンバー
  • 高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)

    ときに励まし、ときに挑発する。俊足巧打でならした名プレイヤーは、 自身とは違う道に進んだ息子たちに対して、父親としてどう接したのか。 高木家独自の教育方針に基づいた3兄弟への三者三様のアプローチに迫る。 「野球? やらせたいなんて全くなかったね」 『蛙の子は蛙』というが、高木豊にはこの概念は存在しなかった。かつて大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、日ハムファイターズに在籍した俊足好打の名選手。大洋時代は屋鋪要、故・加藤博一両氏と共に『スーパーカートリオ』として名を馳せた。現在はプロ野球解説者として、テレビや雑誌で幅広く活躍するが、彼の3人の息子たちは今、野球界ではなく、サッカー界に身を置いている。 清水に所属する長男・俊幸(20)、東京Vに所属(6月20日にオランダ・ユトレヒトへの移籍が発表)する次男・善朗(18)、東京Vユースに所属する三男・大輔(15)。3兄弟とも、世代別日本代表に選出

    高木豊 「“蛙の子は蛙”ではない」 ~プロ野球選手の息子3人がサッカー選手になったわけ~(安藤隆人)
    imakita_corp
    imakita_corp 2011/06/30
    俺もプロ野球に憧れ3軍まである強豪少年野球チームの1軍の補欠という所まで登りつめた。