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高校1年の田中将大は「捕手」で秋の神宮出場…なぜ次のセンバツで投手として“覚醒”できたのか(西尾典文)
2004年秋季全道高校野球秋季大会決勝で捕手を務めた駒大苫小牧の田中将大。その後の明治神宮大会では「... 2004年秋季全道高校野球秋季大会決勝で捕手を務めた駒大苫小牧の田中将大。その後の明治神宮大会では「背番号2」をつけてマスクをかぶった キャンプイン直前の1月28日、古巣楽天への復帰を発表したことで話題を独占した田中将大。8年ぶりの日本球界復帰のニュースに、大いに期待を抱いたファンも少なくないだろう。筆者も“朗報”に触れながら、学生時代に取材したことを回想していた。 田中のプロ入り後の成績は申し分ないが、駒大苫小牧高時代は2年夏に甲子園優勝投手となり、3年夏には斎藤佑樹擁する早稲田実業高と決勝戦再試合の激闘を演じるなど、学生時代も数多くの伝説を残してきた。少年野球時代はキャッチャーを務め、バッテリーを組んだのは同じ兵庫県出身の坂本勇人(巨人)だったことは有名な話。ピッチャーに本格的に転向したのは高校時代からだった。しかし、あまり語られていないのが、田中にとって初の全国大会でもキャッチャーと
2021/02/05 リンク