津波から一ヶ月あまり。4/16未明、避難所で暮らすひとりの高校生が呟きました。高校生の目を通じて被災地の現実を。 (被災地の状況は日々変わります。最新情報はツイッター等で) [関連] 良記事(日経):届かぬ被災地の声、支援阻む「情報断絶」http://t.co/LG9LXSI 2011/4/16(日経)
![陸前高田の高校生の訴え](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/f01909e8e00e8adb69906f7445534090c0226ac7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2F4f499fe7221c77aa28942aff10710954-1200x630.png)
1本だけ残った高田松原の松=25日、岩手県陸前高田市、金子淳撮影数万本の松が並んでいたかつての高田松原=2007年9月5日、岩手県陸前高田市 海岸沿いに数万本の松が並んでいた名勝、岩手県陸前高田市の高田松原。いま、津波に耐えた1本の松が残っている。 高田松原は、砂浜に約2キロにわたって弓なりに松が続いていた。県観光協会によると、約350年前に農作物を潮風から守る防潮林として植えられ、昨年は約104万人の観光客が訪れたという。 津波の被害を受け、ほとんどの松の幹が折れ、その周りに枝やがれきが散乱している。その中に1本だけ、まっすぐ立っている。県観光協会の担当者は「松は陸前高田のシンボルなので、1本でも残ったのはうれしい。復興のシンボルにもなってほしい」と話している。(宮沢賢一)
コラムニストの石原壮一郎氏は、震災直後、事務所で付けっぱなしにしていたラジオから『アンパンマンのマーチ』が流れてきたのを聞き、思わず落涙した。そして自分がレギュラーを務めているラジオ番組の企画で「被災者を元気づける曲」として、この曲を躊躇わずイチ押ししたという。なぜそれほどまでに心を揺さぶられたのか。 「震災で被災地の悲惨な状況を見て心を痛めたり、原発事故で不安を感じたり、モヤモヤとした複雑な感情が入り交じっていたと思うんです。その中でこの歌が、たとえいろいろなことがあっても人は生きて行かなくてはならないんだということを教えてくれました。漠然とした生きる事への不安に対して、それでも生きていけと励ましてくれたのです」 人々を勇気づけるこの歌はどのように誕生したのか、どのような想いが込められているのか。自ら作詞を手がけた「アンパンマン」作者で今年92歳、漫画界の大御所やなせたかし氏に、ノン
美少年が「ラ~ラ~ ララ~ラ ララララララ~ ラ~ラ~ ララ~ラ ララララ~♪」と歌うテレビCMでおなじみの、エステー『消臭力』。美しいヨーロッパの街を背景に歌っている癒やし系CMですよね。 「なんて素晴らしいCMなんだ!」と感動していると、突然少年は「しょ~しゅ~りぃ~きぃ~♪」と歌いだします。あまりにも突然の展開に、爆笑した人たちも多いと思います。「そういうオチなのか(笑)」と思わせて楽しませるCMと思いきや、実はこのCMにはもっと深い秘密が隠されていたのです。 なんとこのCM、東日本大震災後にはじめて撮影したエステーのCMだったのです。さらに背景の街はポルトガルの都市・リスボンで、1755年に大地震と津波で6万人が亡くなった街でもあるのです。 エステー宣伝部責任者の鹿毛康司さんはこのCMに関して、「このリスボンは1755年に大地震と津波に見舞われ6万人以上のかたが亡くなった歴史をもつ
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