著者のマイク・モラスキー氏は、アメリカ出身で日本在住の研究者だ。研究テーマは、日本の戦後文化や音楽文化論、東京論などを通して、現代日本社会を捉えなおすことであるという。現在、早稲田大学で教鞭を執られているが、エッセイスト、ジャズ・ピアニストという顔も持っている多才な方である。 本書でも述べられているが、私にとっても居酒屋はトライ&エラーの場所のひとつだ。だから、「上手くいったなぁ」とか「失敗したなぁ」とか思う経験も無数にある。店自体のセレクトもそうだし、席の確保の仕方や会話の仕方や話題など、ひとつひとつの選択や対応がダイレクトにその場の空気に影響し、すぐに自分の身にその結果が反映される。 つまり、お店の人や多くのお客さんによって培われてきた雰囲気を壊さずに如何にその場に溶け込むか。そして、それを如何に楽しむかが重要なテーマになるわけだ。上手くその流れに身を任せることが出来ることもあるし、ま
「グローバル化と民主主義の両立不可能に抗うために」、『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』(宮台真司 著) 私たちはどこから来たのか 「私たちはどこへ行けるのか/行くべきなのか」。この問いに答えることが本書執筆の目的である、と著者は言う。そして、そのために「私たちはどこから来たのか」を主題とし、過去と現在、そして未来を一つのコンテクストにして繋いでいく。 日本の近代化はその過程において、それまでの地域共同体を解体していくベクトルを含んでいた。明治時代の始まりから第二次世界大戦に至るまで、その共同体の空白は天皇制ファシズムが機能する場所となる。そこに「想像の共同体」が生成されたのだ。そして戦後、日本における共同体の場所は、年功序列と終身雇用を基本とした会社社会とその経済力に支えられた家族にあった、というのが一般的な見解だろう。 しかし、グローバル化の流れに伴い、格差や貧困の度合いが増し始め
「身体は着実に年を取り衰えていくのに、人生の老成の仕方がわからない。」 本書は、そのような苦悩のあり方を「若作りうつ」と名付け、その原因となっている社会的背景を分析し、そのひとつの処方箋を提示している。 このような問題を抱えている社会的階層は、いわゆる「自分探し」の時代を生きたかつての若者たちだ。著者自身もその時代を若者として生きた当事者でもある。当時、「自分探し」的な生き方は肯定的に語られていたが、その着地点はいまだに上手く示されていない。 アメリカの心理学者、ロバート・リフトンは、「自分探し」的なライフスタイルの人びとを「プロテウス的人間」と呼び、新時代の強者のライフスタイルとして紹介した。プロテウスとは、ギリシア神話に登場する「自分の姿を自由自在に変えられるけれども、真の姿をあらわすことができない」神様のことだ。 それから約30年以上を経て、日本において「プロテウス的人間」のような人
「マイルドヤンキー」の経済活動 著者の原田曜平さんは博報堂ブランドデザイン若者研究所のリーダーで、若者の消費行動やライフスタイルの研究とマーケティングを行っている方。本書はその若者研究の成果のひとつだ。 本書では、これからの日本経済において重要になると予想されるある層のライフスタイルや消費傾向が紹介されている。それは「マイルドヤンキー」と呼ばれる層である。 「マイルドヤンキー」とは、「上京志向がなく、地元で強固な人間関係と生活基盤を構築し、地元から出たがらない若者たち」のこと。この層は、地縁を大切にする保守的な意識を持っており、「新保守層」と呼ぶこともできるとされる。 「マイルドヤンキー」の上昇志向のなさと、「いま、ここで築いている生活に対する高い満足度」は、密接に結びついている。そのため、彼らが望む消費は、かつてのヤンキーたちのように「今の自分を変革し、高いステージに上るための消費」では
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