実際に強姦された者の記録をおかずにした妄想を楽しむ女がいるらしい。それは明らかにSecond Rapeだが、内心に留まっている限りは許容されるらしい。その理由は本人には知る由もないからということらしい。 強姦されるアンドロイドに憑依してMasochismを堪能する女を描いたSFがあるらしい。憑依している間、抜け殻となった女の身体は、共にアンドロイドを襲った他の男たちの慰み物になるらしい。その女は自分が強姦被害を楽しんでいる間に己の本体が強姦されていることを知っているのだろうか。 仮に知らなかったとすれば、その女は他人の妄想に利用されていることを知らない実録記の被害者と同じだということになる。アンドロイドの身体を借りて強姦されることを楽しんでいる間に自分の実体が強姦されている女とは、いったい何を意味しているのだろうか。女は加害者なのだろうか。それとも被害者なのだろうか。 Kill Billの
822 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい 投稿日:2010/04/10(土) 13:23:44 ID:TF0Ncp0N0 サイバラの「人生画力対決」ってイベントでは 浦沢直樹がゲストでよばれたらしいけど。 今週の文春に載ってた。 西原「フロシキ広げるだけ広げて畳めないくせに」 浦沢「野原描きゃあ人が泣くと思ってる」 とかいうやりとりがあった模様w 水先案名無い人 :2010/04/10(土) 23:51:38 ID:y0ECOeqK0 >937 どっちも的を射てる言い分だw 953 水先案名無い人 :2010/04/11(日) 02:36:07 ID:nv5h3c8h0 >>937 http://livedoor.blogimg.jp/antenna22/imgs/e/7/e71459da.gif
テキトーなブコメをしてしまったのではないかと、今一度はてこはだいたい家にいるを読み返してみた。 コメント残そうか迷ったが、そこまでの内容なのかという逡巡があり、また返答いただいても、議論が深まるのかどうかも分からない。だから、ただ目を通していただければ、という気持ちで以下記す。 まず、「ファンタジー」という言葉が、やや曖昧で、それが上記ブログの不幸な結果につながっている。多くの人は、それを表現物として解釈してしまったきらいがある。夢物語は夢物語でも、おそらくもちのすけさんが当初言及したときの「ファンタジー」は、表出以前のもので表現物としては想定されておらず、近い言葉で言えば「妄想」なのだろう。 という前提にたって読み返してみると、少なくともはてこさんの苛立ちというか不安というか危惧というか、はよく分かる。 多分、ここに書かれているエピソードが重要なのだ。 つまり年上の内気な独身男性から雰囲
ソクラテス だからまた、もろもろの欲望を満足させるということも、たとえば、飢えているときには食べたいだけ食べるとか、渇いているときには飲みたいだけ飲むとかいうことも、もしその人の身体が健康であれば、医者は大抵の場合、その人のしたいようにさせておくけれども、しかし病気をしているときには、その人の欲しがるもので欲望を満足させることを、いわば絶対に許さないのではないかね。少なくともその点は、君も承認してくれるのかね。 カリクレス 承認しよう。 ソクラテス では、魂についても、ねえ、君、これと同じ扱い方をすることになるのではないかね。すなわち、魂が劣悪な状態にあるかぎり、つまり無思慮で、放埓で、不正で、そして不敬虔なものであるかぎりは、そういう魂には欲望の満足を禁じるべきであり、そして、その魂がよりすぐれたものになるのに役立つこと以外は、何ごとも勝手にさせないようにすべきである。君はこれを認めるか
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "マズローの欲求段階説" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2009年2月) マズローの提唱する、欲求の階層をピラミッドで表現し原始的欲求に近づくほど底辺に書いた図。 マズローの欲求段階説(マズローのよっきゅうだんかいせつ、英: Maslow's hierarchy of needs)とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、「人間は自己実現に向かって絶えず成長する」と仮定し、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものである。ただし、科学的に実証されたものではない。 自己実現理論、自己実現論、欲求5段階説などとも呼ばれる
Togetter - まとめ「ピクシブ腐問題を受けてナマモノ腐者からのひとりごと」を読んでて、本題とはちょっと違うところでびっくりすることがあったので、以下引用。強調は引用者によります。 「何故腐ネタが叩かれるのか」を考えるのも大事ですが、「何故、腐ネタを描く人の多くがそれを隠したがるのか」を考えるのも大事なのではないでしょうか。「攻撃される」=「それを不快に思い傷つく人がいる」という事ではないでしょうか。最近は同性愛への理解も深まり性の自由に肯定的な人も増えてきましたが、生物学的に不自然な性行動に対する嫌悪感は生理的なものです。 皆さんおっしゃるように、これはとても…とてもデリケートな話だと思うのですよ。 chun_tanaka 2010-04-20 18:00:35 えええええー。「生物学的に不自然」って、どこの惑星の生物学ですかそりゃ。 と思ったら、同じ方の発言に、 なぜ私がこんなに
人様のブログで武術談義が進んだので,コメント書いていたら長くなってしまい,エントリを立てることにしました。唐突ですが,久しぶりにそっち系の話です。前提部分をここでは省略しておりますし,ご興味のない方にはどうか,お許し下さい。 黒猫亭さんの結論部分,なるほどです。 「中国武術のロジックで謂うなら、少なくとも外向けには「内功とは気功である」と表現するのが逆説的に最も正しいということになるんでしょうかね。」 ある意味,伝承者においても人の身体はブラックボックスなので,そういう理解で総てを説明した方が,余計なエネルギーを使わずに済むのかもしれませんね。 さて,失礼ながら,言葉を拾いながらその部分だけ補足する作業を少しさせてください。とりあえずいうのなら,Wikiの「内功」の説明は酷いと思います。書いた人の中国武術認識が武侠小説からしか想起できない貧困な経験しかないことを物語っています。「内家功夫」
by ASIAN KUNG-FU GENERATION 特に深い意味はない。 ⇒直接的暴力のみが暴力だと思ってました。 - halt. ⇒在特会は悪くない、ということになりました。 - halt. ⇒僕が差別と戦って、それで暴力が無くなりますか? - halt. ⇒クズも馬鹿もお互い様 - 地下生活者の手遊び 佐藤亜紀氏が『終結宣言』で「偏見は人を殺す」と繰り返しているのを拝見したとき、この際なので「もちろん偏見は人を殺すが、偏見が人を殺すたびに表現の自由を制限していてはきりがない」とはっきり書こうかと思ったが、やめた。色々な意味で火に油だ。大惨事だ。――hokusyuさんが言われるところの<あること>とは、つまりそのように言い切ることなのだが。そしてmojimojiさんが指摘した「ご都合主義」もまた、そのことだった。 結局のところ、このような誤謬は「表現の自由」至上主義者がなんとか<ある
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