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日本史の欠片に関するinvitingcatのブックマーク (3)

  • 日本史(神道史)で垂加神道とか吉田神道とか唯一神道、復古神道(その他日本史ででてくる神道)それぞれどのようなことを主張しているのか... - Yahoo!知恵袋

    神職をしています。大雑把に説明します。 まず日古来のアニミズム的信仰に仏教が伝来し、神仏習合思想ができます。これは仏教の理論のなかに神道が取り込まれたものです。そこでは仏尊の方が日の神により上の存在で、日の神は仏教の仏・菩薩・天部が仮の姿で現れたものと解釈されました。これを地垂迹説といいます。この神仏習合思想はさらに理論整備され、両部神道(真言系)、山王神道(天台系)、御流神道などができます。 地垂迹説は仏教を上にする思想なので、鎌倉時代末からそれに対抗する理論が出されます。伊勢神宮外宮の渡会家が主張した「伊勢神道」、別名を「渡会神道」といいます。これは神を仏より上とし、儒教・道教の理論も使いながら日が「神国」であることを強調しました。 室町時代になると、京都吉田神社の社家である吉田家(もともと学者が多い家系)が吉田神道を唱えました。これは神道が根で、儒教が幹、仏教が花実であり

    日本史(神道史)で垂加神道とか吉田神道とか唯一神道、復古神道(その他日本史ででてくる神道)それぞれどのようなことを主張しているのか... - Yahoo!知恵袋
    invitingcat
    invitingcat 2022/02/19
    神道に対する現役神職の解説
  • 貞慶 - Wikipedia

    貞慶(じょうけい、久寿2年5月21日(1155年6月22日)- 建暦3年2月3日(1213年2月24日))は、鎌倉時代前期の法相宗の僧である。 祖父は藤原南家の藤原通憲(信西)、父は藤原貞憲。号は解脱房。釈迦如来、弥勒菩薩、観音菩薩、春日明神を深く信仰し、戒律の復興に努め、法相教学の確立に大きな役割を果たした。その一方で朝廷の信任も厚く、勧進僧と力を合わせ、由緒ある寺社の復興にも大きく貢献した。勅諡号は解脱上人。笠置寺上人とよばれた。興福寺の衆徒が法然らの提唱した専修念仏の禁止を求めて朝廷に奏上した『興福寺奏状』の起草者としても知られる。 経歴[編集] 祖父信西は保元元年(1156年)の保元の乱の功により一時権勢を得たが、平治元年(1160年)の平治の乱では自害させられ、また父藤原貞憲も 土佐に配流された[1]。生家が没落した幼い貞慶は望まずして、興福寺に入り11歳で出家叔父覚憲に師事して

  • 和辻哲郎 - Wikipedia

    和辻 哲郎(わつじ てつろう、1889年(明治22年)3月1日 - 1960年(昭和35年)12月26日)は、日の哲学者・倫理学者・文化史家・日思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。法政大学教授・京都帝国大学教授・東京帝国大学教授を歴任。日倫理学会会員。文化勲章受章。 兵庫県出身。東大哲学科卒。ニーチェなど西洋哲学を研究。奈良の寺院建築や仏像の美を再発見し、『古寺巡礼』(1919年)も人気を博す。『人間の学としての倫理学』(1934年)で新しい倫理学の体系を構築。『風土』(1935年)、『面とペルソナ』(1937年)も名高い。 人物[編集] 日的な思想と西洋哲学の融合、あるいは止揚とでもいうべき境地を目指した稀有な哲学者と評価される。主著の『倫理学』は、近代日における独創性を備えた最も体系的な哲学書の一つであると言われている。

    和辻哲郎 - Wikipedia
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