神職をしています。大雑把に説明します。 まず日本古来のアニミズム的信仰に仏教が伝来し、神仏習合思想ができます。これは仏教の理論のなかに神道が取り込まれたものです。そこでは仏尊の方が日本の神により上の存在で、日本の神は仏教の仏・菩薩・天部が仮の姿で現れたものと解釈されました。これを本地垂迹説といいます。この神仏習合思想はさらに理論整備され、両部神道(真言系)、山王神道(天台系)、御流神道などができます。 本地垂迹説は仏教を上にする思想なので、鎌倉時代末からそれに対抗する理論が出されます。伊勢神宮外宮の渡会家が主張した「伊勢神道」、別名を「渡会神道」といいます。これは神を仏より上とし、儒教・道教の理論も使いながら日本が「神国」であることを強調しました。 室町時代になると、京都吉田神社の社家である吉田家(もともと学者が多い家系)が吉田神道を唱えました。これは神道が根で、儒教が幹、仏教が花実であり