第37回 豊臣秀吉の天下統一 ○とりあえず、改めてこの図から ○小牧・長久手の戦い こうして秀吉が勢力を拡大する中、不満の声をあげ始めたのが織田信雄でした。彼は「秀吉め。織田家の家臣の分際で私を部下のように扱うとは何事か」と秀吉と仲違いします。特に敵対したとはいえ、弟の織田信孝が秀吉によって自害させられたため、「次は自分かもしれない」と感じたことでしょう。 さらに織田信雄は、秀吉との融和を主張していた浅井長時、岡田重孝、津川義冬の3人の家老を殺害し、徳川家康と手を組むことにし、家康も「私は亡き信長様の盟友として、その息子を助ける」という大義名分を得て、秀吉と戦う決意をしました。こうして賤ヶ岳の戦いの翌年である1584年、徳川家康・織田信雄連合軍VS羽柴秀吉軍がスタートします。 ・・・といっても最初こそ、秀吉軍の池田恒興(いけだつねおき 1536~84年)が犬山城を攻略したり、秀吉が伊勢を攻